個人で出来ることの限界
―― こうした状況で、どのような対応や対策が取れるかが重要になると思います。個人レベルでの備えもあるでしょうし、社会制度として考えなくてはいけないものもある。藤田さんのお考えをお聞かせ下さい。
藤田 個人レベルで言えば、まず9割の人が下流老人、つまり今の生活保護基準で生きていかないといけないという現実を受け止めて、将来を考えることが必要です。既に、生活スタイルを変えて地方に移住したり、家計を見直して支出を減らしている若者が少なくないのは、現状を肌で感じているからだと思います。雇用が不安定で、結婚も子供も産めない。歳を取ってから今のような暮らしができるなんて思っていないから消費もしない。安定志向ですよね。
―― 個人レベルの対応は、消費を減らして貯蓄を増やし、老後に備える、ということですね。ただ、その方向を放置すると、次の世代も下流老人になってしまう可能性はありませんか? 消費をしないから経済がまわらない。収入が安定しないので結婚もできないし子供も作れない。必然的に高齢者が多く、若い世代が少ないという人口構造が維持されてしまう。そういう悪循環に陥ってしまうような気がします。もちろんそうしたライフスタイルを否定するべきではないと思いますし、悪循環の中で、ある生活水準に落ち着くのかもしれませんが……。
藤田 そうはいっても個人レベルだと支出を下げて貯蓄を増やす以外の方法がないんですよね(笑)。北欧やヨーロッパだと、意識的に支出を下げなくても、普通に暮らしたら普通に老後を送れるように社会保障が作られていますが、日本はそうじゃない。だから個人レベルではなく、社会制度を根本的に変えていくしかないんです。
生活保護への抵抗感を減らすために「自分で払う」
―― 本書は、下流老人の現実を伝えることに重点を置かれていますが、社会制度を変えていく必要性も訴えていらっしゃいますね。例えば昨今、繰り返し話題になる生活保護の場合、貧困層が制度の利用に抵抗感を覚えていたり、あるいは利用者をバッシングするような風潮について言及されています。
藤田 同じように貧困で、生活保護の対象となるべき人が、「私は頑張っているのに、どうしてお前は頑張らずに生活保護を受けているんだ!」と受給者を責めるケースがあります。先ほどもお話した母子家庭の場合、12~13万円で3人の子供を育てたことが美談として語られることが度々ある。でも最低生活基準以下の生活をしているんですから、今まで生きていけたことが奇跡で、美談にしてはいけない。
日本には「自分は生活保護を受けるほど哀れな対象ではない」と信じたいという強い価値観があるように感じます。でもこの価値観って、生活保護が無拠出型だから生まれているものだと思うんです。年金や介護保険って貰うことに抵抗がないですよね? これって「自分で払っているんだから当たり前」と思えるからなんですよ。それが生活保護の場合、自分で払っていないからいざ恩恵を受けようとなると、抵抗を覚えてしまう。本当は高い税金を払って、その一部から捻出されているんですけどね。そもそも年金だって全部が全部払っているわけじゃなくて半分は税金ですから生活保護とそんなに変わりません。それでも抵抗なく貰っているんだから、拠出型にしてもいいと思う。
―― 受給のハードルを低くするために「自分が出しているんだ」という感覚が持てるように無拠出型から拠出型にするというわけですね。ただそれって、本来の生活保護の理念から考えれば邪道ですよね。
藤田 そうですね。だからみなし拠出がいいんじゃないかな、と思います。「あなたたちは払っているんですよ。だから貰っていいんですよ」という打ち出し方ですね。国民年金と同じ形です。
―― ベーシックインカムのように、国民全員に払うという方法も考えられますね。
藤田 方法論は様々にあると思います。それぞれ良し悪しがありますから、ちゃんと議論をすればいい。僕は、部分的ベーシックインカム、つまり一定の所得水準に達していなければ、審査なく生活保護を出してしまえばいいと思っているんですけどね。マイナンバー制度が施行されて、国民の所得がわかりやすくなるわけですから、申請なしで生活保護を出すのは容易になるでしょう。今の政権での運用することは、僕は反対ですが(笑)。なにをされるかわからないので。
当たり前の住宅と教育を、インフラにする
―― 生活保護以外にはどういった社会制度が有効だと思いますか?
藤田 住宅政策と教育政策はいち早く着手しないといけないと思います。私たちが一番相談を受けるのが家賃に関するものなんですね。とにかく負担が大きい。20万円の給料のうち、12~13万円を家賃に費やすような、馬鹿げた生計を山のように見てきました。
―― 東海道新幹線で焼身自殺した老人も家賃に困っているようでした。家賃は手取りの30%が限界という話がよくされます。都内の生活保護基準の12~13万円の30%だと3万6000円~3万9000円。年収400万円の人の年金14~16万円の30%は4万2000円~4万8000円ですから、都内で部屋を借りるのはかなり難しいですね。
藤田 右肩上がりの経済成長を経験した先進諸国では土地と家屋が高騰し、商品化されています。でも住宅って基本的な生活インフラですよね。日本はここにほとんど何も手をつけていないんですよ。ドイツやフランス、オランダでは、最も需要の大きい1~5万円の住宅を、市場ではなく国が提供しています。国が建てた公営住宅や、あるいは全国にある空き家を買い取ったり寄付を受け付けるなりして、それを提供する社会住宅を作っている。公営住宅や社会住宅を借りる人たちは、家賃が低いだけ余裕が生まれるので貯蓄や消費に使え、経済をまわせているんです。
―― 補助金ではなく住宅の提供が肝心なのでしょうか? 例えば貧困層がそうした住宅を借りることで、ある地域に貧困層がまとまってしまいスラム化するような可能性はありませんか?
藤田 日本の場合はそうならないと思うんですよね。だって全世帯が貧困なんですから(笑)。1~5万円で家に住めるなら、学生からお年寄りまでみんな借りたいと思うんですよ。低学歴層から高学歴層までいろいろな人たちが集まるでしょうし、治安も悪くならないと思います。空き家なんて人口減少が進む中で全国各地に続々と出来ていますからね。
―― そのような動きは既に現れつつあるのでしょうか?
藤田 始めている自治体もあります。条例で、空き家や店舗、シェアハウス、老人ホームとして活用しています。
できれば住宅政策という形で政府が主導となって初めて欲しいんですよね。昔は単にお金をつぎ込んで公営住宅を各自治体に作るみたいな形でやられていましたけど、それだとただ借金が膨らむだけです。それに公営住宅の利用対象者は、高齢者や障害者、母子家庭など一定の層しか使えないことがほとんどです。私たちの世代はそんな形での解決を望んでいないと思うんですよ。教育政策も住宅政策も、当たり前のものだと思われてきました。当たり前に教育を受けているし、当たり前に家に住んでいる。でも実際にはそうとうな負担を強いられているわけです。誰もが下流老人になる中で、そうした負担を取り除いて、みんなが必要としているものを、国民全員が使えるようにインフラ整備していかないといけないでしょう。年金や介護、医療ばかり注目されますが、それだけじゃないんですよ。
―― 最後に何か希望になりそうなお話や、生き延びる術のようなものを改めてお聞かせいただければ……。
藤田 悩ましい所ですね。著者である僕自身が、真夜中にこの本を書いていて絶望的な気持ちになっていましたから……(笑)。
まずは自分も社会保障制度の対象になり得るんだというイメージを持って欲しいです。そして、その知識や情報を得られるように、いろいろなものにアクセスしたり、価値観のあわない人とも話をするようにするといいんじゃないでしょうか。セーフティーネットは制度だけじゃありません。人脈や情報も含めて、自分自身でセーフティーネットを広げていくことで、なんとか生きていくことが出来るようになると思います。
(聞き手・構成/カネコアキラ)
藤田孝典(ふじた・たかのり)
1982年生まれ。社会福祉士。特定非営利活動法人ほっとプラス 代表理事。聖学院大学人間福祉学部客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉 代表。厚生労働省 社会保障審議会「生活困窮者に関する生活支援の在り方に関する特別部会」 委員。著書・共著として、『反貧困のソーシャルワーク実践~NPOほっとポットの挑戦~』、『ひとりも殺させない~それでも生活保護を否定しますか~』『下流老人 1億総老後崩壊の衝撃』など