吉 私は、男の人って、男の人同士で恋バナをあんまりしないなあって思ってるんですけど。女の人ってすぐ友達同士で自分の今の恋愛について話すじゃないですか。話すことによって気持ちを整理する。その場に恋人がいなくても、自分の整理がどんどんできてしまう、友達に話しているうちに。だから気づいたら、男女カップルの男の側だけ整理できてない、置いてけぼりになってしまっているんです。でも、男4人の友情って言ったところで、恋愛に対する問題は浮き彫りにならないんじゃないですか、その物語で。
田 うん、男の世界の話になっちゃうっていうか。でも、それだと、世界は貧しいじゃないですか。
林 女は、友達同士でいても、そこに不在のはずの男の存在が常にあるってことですね。
吉 さっきの『ゴースト』の話に戻すと、わりと私、お付き合いしてきた男の人たちは、ちゃんと言ってくれる人たちでした「好き」って。で、「同じく」って言うのが私だったりする。だから、ちゃんと自分の気持ちを言う男の人って私の周りにはちゃんといるなあって思う。
濱 90年代は、男性がちゃんと「好きだ」って言わないといけない、っていうテレビドラマとかがめっちゃありましたよね。すごく教育されたって感じですよね
林 そう、いわゆるデートマニュアルみたいなものを「POPEYE」(マガジンハウス)とかで読んで、男性が女性をリードせないかん文化が発達した。今50代で、バブル世代でもある松村さんは、どうでしたか?
松 そんな恋愛経験は豊富なわけじゃないけど……個人的には、自分の彼女を連れて歩いてるのを他人に見られるのがすごく恥ずかしい。どっか、一緒に映画観に行ったりして知り合いとかに会ったりしたら恥ずかしい。
吉 何が恥ずかしいんですか?
松 恥ずかしないですか(笑)? 50代だからか……? 俺の世代の男は、基本恥ずかしいと思うよ。
林 それは、男性は社会的な生き物だから仕方ないんでしょうか。
濱 でも、林さんも外でデートとかしてて、職場のスタッフさんとかとすれ違って、ああ恥ずかしいみたいなのはないんですか?
林 あんまり思わないですけど。もしすっごく甘々モードで、いちゃいちゃとかしてたら恥ずかしいです、完全に(笑)。でも、一緒にいるだけの状態が恥ずかしいとは思わない。
田 なんか、自分の知ってる人の、見たこともないような表情をしている瞬間にたまたま出くわすっていうシチュエーションがあった時、やっぱり「見てはいけないものを見てしまった」って思うじゃないですか。で、『ハッピーアワー』ってそういう映画になっているような気がするんですよ。多分、この4人の女性たちの表情って、よく知っている相手にも滅多に見せないものが引き出されている。
濱 見ちゃいけないものを見ちゃったっていう気持ちになりますよね。本来は、別の誰かのためだけに向けられた顔を、「あたし、見ちゃった……」みたいな。
仮面を脱がない男たち
田 実は、映画『ゴースト』だけじゃなくて、僕がもうひとつエポックだと思った作品が、『ハチミツとクローバー』で。一番最初に、「人が恋に落ちる瞬間を、初めて見てしまった」っていうモノローグがあって。あれってすごい革命だなって思ったんです。ああ、すごい角度だ。ああ、そのシチュエーションを切り取るって、今まで無かったかもしれんって。で、要は、その誰にも見せない、自分でもそういう顔してるって意識してないっていう表情っていうのは本当に貴重っていうか……もう、無いわけですよ。もしかしたらそれを、見せてる映画なのかも。『ハッピーアワー』って。
林 そしたら、普通の劇映画で女優さんが演じてる場合、あまり発現しないものってことですよね?
松 普段の川村さんの顔じゃないけど、でも、演技として作った顔じゃない表情が劇中で映し出されているってことやんね。川村さんだけじゃなく、誰一人として、この出演者たちは顔を作ってない。
濱 人間社会っていうか、社会的なルールっていうか、装いの顔が剥がれてしまってる瞬間っていうのはありますよね。
田 成熟した大人でも、自失する瞬間というか、本当に社会からフッて自分が消えてる瞬間の表情っていうのが僕はあると思ってるので。それを映しているのが、『ハッピーアワー』なんだと思う。
濱 成熟するっていうのは、装うのがうまくなるってこと。でも、それにも関わらずってことか。
田 そう、そういう局面が、ドラマとして描かれている映画だと思う。現実だと、知っている人であればあるほど、その表情って見てはいけないものだと僕は思っていて。それを、スクリーンを通してバン! と見せられているわけで、しかもこの作品では演じてる人が僕の知っている人だったりもするから、もういたたまれないわけですよ。
濱 多分、演じてる当人たちも、自分の知らない自分の顔に出会っている。最初はやっぱり、それを見るのは恥ずかしいんだろうけど、だんだん他人みたいに見えていくんだと思う。だって、自分が見てない顔だから。鏡で見ている自分の顔とは違うはずだから。
林 自分の顔が分からないですもんね、普段は。周りの人の方がよっぽど自分の顔を知っているっていう。出演者たちの近しい人から、そういう感想ってあったんですか? 普段見ないような顔してたねって。
濱 どうなんでしょう。出演者が知り合いからなんと言われたかって聞いてない。確かに、女性はそういう顔を見せるんだけど、男性はどこまでもそういう顔を見せない映画だなって思いますね。そういう自失した顔を男性の出演者たちは見せなかった。
林 それは、何でですかね? 素人が演じているという点は同じじゃないですか。何で女性はできて、男性はそこの部分が外れないんですかね?
吉 最終局面にならないと外れないですよね、男性って。たとえば別れ話の時とかじゃないと。
林 やっぱり社会的な生き物だからですか?
田 枠組みに収まっている安心感ってあるんですよね。だから、そこから外れようとしない男性は少なくないと思う。女の人の方が、枠組みに対しての疑いがある。だから、社会から外れた瞬間の表情がフッと訪れるんじゃないかな。男は、そういう瞬間がきたとしてもスルーしちゃってるのかも、気づいてなくて。女の人の方が、感覚的に察知しているような感じがするんですよね。
松 男は、スルーもするし、我慢もしちゃうんじゃない? 飲み込んじゃう。子供のころから「男は泣くんじゃない」って育てられてきたし。俺らの世代(50代)は、弱いところ見せられないっていうか。
林 それは、世代的な「男ってこういうもの」という概念ですかね。
松 まあ、そういう時代だったしね。子供のころはよく泣いてたけど、やっぱり「男なんだから泣くんじゃない」って育てられたから。それが変なプライドとしてあるねんな。それ捨てなあかんねんけど。いや、でもやっぱり俺も男として何か……って気持ちになる。無意識にやっぱりプライドがある。だから、弱音が吐けない。でも、女性スタッフからは、それじゃあかんって言われる。その点、女の人は自由やん。
吉 女の人は口には出さないものの、表情には出るじゃないですか。「私怒ってるのわからへんの?」みたいな。
松 ……わからんわ!
吉 やっぱりわからないんですね。女性にブスッとした顔をされた時に、どう対応されますか?
濱 いや、本当に、自分は一体どこで何を間違ったのか……って、記憶を辿りますよね。
松 だから、それはさっき田中くんが言った「男が最終的に負ける」っちゅうヤツやろな。
林 でも、その辿るっていうのは、彼女と一緒に辿るのではなくて、ブスッとしている彼女の横で、監督が頭の中で一人でぐるぐる辿っているわけですよね。
濱 そうそう。で、「あれですか?」って聞いて「違う」って言われて、「これですか?」って聞いて「違う」って言われて、何も分かってないっていうことに、なりますよね。
吉 ああ~。それで、彼女に説明を求めることはあるんですか?「じゃあ言ってよ、分からないんだから」みたいな。
濱 そりゃありますよ。
吉 そしたら、彼女は逆上する感じですか?「何でわからないの?」みたいな。
濱 逆上はしないにしても、「これこれこうだから怒ってる」ってちゃんと説明してもらったことは……ないような気がします。
田 女性は絶対、答えを言ってくれない。男だったら答えるんですよ。答えるっていうか、「お前、こういう時にこういうふうにせなあかんやろ!」とかって。女の人はそんなふうにはっきり言ってくれないもん。
吉 林さんは、自分が特別な関係の男性に対して、何で怒ってるのかってわかる時あります?
林 あの~女性はやっぱり、意味もなく不機嫌になるんですよ。
田 だから、それがズルいわけですよ!!
吉 や、違うんですよ。「これ!」っていう1つの事象じゃないんですよ。1つ1つはとても小さな出来事で、いちいち言うようなことじゃないんですよ。そういうのがちょっとずつ溜まっていって、ムッカー! ってなってしまうんですよ。だから、「何で怒ってんの?」って聞かれても、あれとこれとこれと……めっちゃある。もう言わへんってなる感じなのかなって。
林 イヤなことがひとつひとつ溜まっていってコップが満杯になるまでは静かに我慢しているけれど、許容量を0.1ml超えた瞬間に、こぼれてしまうんですよ。
吉 で、その0.1mlは男性には理解されにくい。
濱 え、そんなことでこんなふう(=怒り)になるの? みたいな。
吉 日々の積み重ねなんですよね。
(後編へ続く:後編は12月26日12時に公開予定です)
映画『HappyHour』
<上映館>
●東京都/シアター・イメージフォーラム 【03-5766-0114】 2015/12/12(土)〜終映日未定(1/8までは確実に上映)
●兵庫県/神戸 元町映画館 【078-366-2636】 2015/12/5(土)〜2016/1/1(金) ※12/31(木)は休映
●大阪府/第七藝術劇場 【06-6302-2073】 2016/1/23(土)〜2/5(金)
●京都府/立誠シネマ 【080-3842-5398】 2016/2/6(土)〜2/19(金)
●宮城県/せんだいメディアテーク(主催:幕の人) 2016/1/17(日)
●愛知県/シネマスコーレ 【052-452-6036】 2016/1/23(土)〜2/5(金)
●鹿児島県/ガーデンズシネマ 【099-222-8746】 2016/1/30(土)、1/31(日)
●長野県/松本CINEMAセレクト 【0263-98-4928】 2016/2/21(日)
●静岡県/静岡シネ・ギャラリー 【054-250-0283】 2016/3/12(土)~3/18(金)
<作品情報>
製作総指揮 : 原田将、徳山勝巳
プロデューサー : 高田聡、岡本英之、野原位
アソシエート・プロデューサー:靜 健子、HAYASHI Akikiyo
監督 : 濱口竜介
脚本 : はたのこうぼう(濱口竜介、野原位、高橋知由)
撮影 : 北川喜雄
録音 : 松野泉
照明 : 秋山恵二郎
助監督 : 斗内秀和、高野徹
音楽 : 阿部海太郎
製作・配給 : 神戸ワークショップシネマプロジェクト(NEOPA,fictive)
宣伝 : 佐々木瑠郁、岩井秀世
2015 / 日本 / カラー/ 317分 / 16:9 / HD
■濱口竜介 Ryusuke HAMAGUCHI / 監督 Director
1978年、神奈川県生まれ。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』がサン・セバスチャン国際映画祭や東京フィルメックスに出品され高い評価を得る。その後も日韓共同製作『THE DEPTHS』(2010)が フィルメックスに出品、東日本大震災の被災者へのインタヴューから成る『なみのおと』『なみのこえ』、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011〜2013/共同監督:酒井耕)、4時間を越える長編『親密さ』(2012)、染谷将太を主演に迎えた『不気味なものの肌に触れる』を監督するなど、地域やジャンルをまたいだ精力的な制作活動を続けている。現在は神戸を拠点に活動中。
(協力・神戸 元町映画館/構成・下戸山うさこ)