コンドームを付ける授業に悲鳴が上がる日本
文部科学省の学習指導要領に関するページには「学校における性教育については、子どもたちは社会的責任を十分にはとれない存在であり、また、性感染症等を防ぐという観点からも、子どもたちの性行為については適切ではないという基本的スタンスに立って」、性教育を行う場合は「人間関係についての理解やコミュニケーション能力を前提とすべきであり、その理解の上に性教育が行われるべきものであって,安易に具体的な避妊方法の指導等に走るべきではない」という記載があります(黒字強調は筆者)。
子どもたちの性行為が適切か適切でないかという議論はさておき、「子どもたちの性行為は適切ではないから具体的な避妊方法を教えない」というのはあまりにも現実からかけ離れています。なんらかの形でセックスの存在を知った子どもが、実際にセックスをした場合、避妊方法を知らなければ望まない妊娠をしてしまう/させてしまうかもしれません。リスクが存在するのであれば、リスクを回避する方法や正しくリスクを伝えることこそが重要なのではないでしょうか。
このように、学校における性教育には性に関するリスクやその回避方法を知らずに大人になってしまうような現実離れした方針があるのです。
これは小貫氏が東海大学の学生に、「コンドームを付ける授業をしようか」と話した時の反応にも現れています。
「『キャー! マジ? むりむり!』と反応する女子学生もいました。『コンドーム』という言葉を言うのも恥ずかしいのという感じ。その日本人学生の反応を見て、ノルウェーの学生が『キャー! マジ?』ですよ。北欧では小学生のときから当たり前に、具体的な避妊の方法を学ぶ機会があるんです」
このくらい、日本の性教育は「遅れて」いるのです。
「ヨーロッパの考え方をそのまま受け入れる」のか
では、性教育に関して「進んで」いるヨーロッパ圏の性教育のやり方をそのまま日本でも行うよう推進すれば、性教育は盛り上がるかというと、そうは思えません。なんでもヨーロッパ圏のやり方が正しい訳ではないし、ヨーロッパ圏のやり方が日本人に馴染まないこともあります。
小貫氏は「性教育で考えると、性をめぐる人権や幸福を追求する権利といった普遍主義的価値観と、日本の文化の相対的な特殊性との関係について考えるべき」としながらも、他国の性に関する規範には宗教的な要素が強く反映されることを例に挙げ、「地域の特徴を捉えることは性教育を考える上でもデリケートに求められます」と語りました。
日本においては、宗教文化とは異なりますが、性の話をする家庭や、性について真面目に取り上げるメディアが少ないということは特徴と言えます。その特徴・文化が良いのか悪いのかは関係なく、こうした条件を踏まえて、今後の性教育の方法や内容を考えることは性教育がうまく機能するために欠かせないことです。現実にそぐわない形で性教育を行えば、むしろ逆効果になってしまうことだってあるでしょう。
性教育を盛り上げるために必要な一歩は、かつての性教育が盛り上がっていた時代とは異なる性教育の現状において、今の「日本の特徴」を正確に捉えることから始まるのかもしれません。
小貫氏は最後に、日本がお辞儀の文化であることを例に挙げ、「挨拶を、握手やハグなどにしろと言うのではない。日本人なのだからお辞儀だけできればいい、ということでもない。お辞儀や握手、ハグすべてが格好よくできるようになることがこれからは大切になる。性教育も同じです」と締めくくりました。性教育の先進国・ヨーロッパという「お手本」に捕われ過ぎず、『日本の文化』にも捕われ過ぎず、複数の視点をマスターした上でバランスを取ることがこれからの性教育には求められることになるでしょう。
(此方マハ)
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