―― 市民が、議員はスペシャルな存在でなくてはいけないと思っているところがあると思うんですね。「分かった上で議員になったのに育休するの?」といった意見はイデオロギーにかかわらず耳にします。でも今の社会の問題を生活感覚を持って考えるためには、育児や出産など、ある種の「ハンディ」を持っていることに価値があると思うんです。三浦先生に伺いたいのですが、諸外国ではどういった制度システムが用意されているのでしょうか?
三浦 「男性稼ぎ主モデル」とよくいうのですが、男性が24時間バリバリ働いて、育児介護などを専業主婦である女性が担うというモデルを戦後の日本はやってきました。日本ではその成功体験を今でも引きずっていますが、他の国では「これではやっていけない」として、「共稼ぎ型モデル」に移行しています。既に日本は、共稼ぎの世帯のほうが圧倒的に多いのですから、社会の制度をそれにあわせて変えていかなくてはいけないでしょう。いまは過渡期の苦しみにあるのだと思います。
今の社会の実態に合わせるためには、税金も、社会保障も、議会のあり方も変えていく必要があると思います。今回の議会の話では、どんな工夫があるのか。地方議会の場合、無所属の議員が多いですが、国政の場合は政党が「この人なら24時間働ける」「この人は組織票がある」といった理由で候補者を立てます。バイアスに満ちているんですね。そうすると一部の人しか議院に慣れません。ここを打破するためには、政党が多様性をもった人をリクルートするような監視が必要になっていきます。
その方法のひとつとして、クォータ制があります。例えば候補者のうち30%は女性でなくてはいけない、どの性別も60%以上を上回ってはいけないといったルールを設ける制度です。政党が自主的にやる場合もあれば、国として法律を作って行っている場合もあります。この制度自体は、女性議員が30%を越えているような北欧で始まっていて、30%を40%にしようといった話から始まった高いレベルのものです。いま世界に190カ国くらいありますが、何らかの形でクォータ制を敷いている国が140カ国ほどあります。日本は、国政の女性議員数が下の37カ国のひとつです。クォータ制をしていないから女性議員が増えない、とも言えるでしょうね。
実は私もかかわっているのですが、いまクォータ制を出来るように議員立法を出そうという話があって、今年の8月に法案の骨子が固まりました。次の通常国会で提出して通る可能性もあります。ここでポイントなのは、「男女同数を目指すことを努力する」と記載した点なんですね。クォータ制の場合、割合は自由なので、「女性は10%」というルールも可能です。しかし世界の潮流は、クォータ制というよりは「パリテ(男女半々)」なんです。人口比率はだいたい男女半々になっています。だとしたら、女性議員が30%というのも不十分でしょう。もちろん女性議員が80%というのも違いますね。21世紀はパリテという考え方が世界の民主主義の減速になっていくと思います。そんな時代に生きていると考えて、議員立法でも30%ではなく、「男女同数を目指す」という理念を掲げました。
それから政党助成金の問題もあります。日本ではいま320億円の税金が政党に配られています。このお金を、女性が立候補できるような特別基金にすることもできるしょう。実際、韓国にはそういった制度があります。格差社会ですから、経済力がない人でも立候補できるようにすることが重要です。それから日本は世代間格差が大きいんですね。お年寄りと若者で意見が違いますから、若者枠を設けるという案もありだと思います。ただ大学で授業をしていて感じるのですが、若者の政治関心が本当に低いんですよね。そのことがいかに自分の首を絞めているのかは教えていかなくてはいけないと思っています。
女性枠を突破口に、若者枠、障害者枠など、多様性を引き入れるための制度を考えていく必要があるでしょうね。
―― 市民が意思決定にどのように参加するのかが重要だと思います。例えば自治会で、ゴミ問題など決めるときに、どれだけ市民が決定プロセスにかかわっているか。言いたいことは言うけど、あとは自治会長にお任せみたいなことがほとんどではないでしょうか。形骸化した組織がものを決めるのではなく、意思決定をどのようにするのか、民主主義のあり方が問われていると思います。
三浦 非常に重要な点ですね。ざっくり言うと民主主義は、多数決型、理念型の民主主義と参加型、熟議型の民主主義があります。日本の場合、選挙で議員が決まったらあとは白紙委任を、みたいな暴論がまかり通ってしまうくらい、多数決型の民主主義になっていますよね。しかし本来、選挙で代表者を選びますが、その後に議会で熟議をするわけですし、市民との熟議も必要です。すかすかになっている参加型、熟議型を盛り上げるには、地域のレベルで市民と政治の関係が蜜にならなくてはいけないでしょう。
熟議とは人の意見を聞くことから始まります。聞く耳を持たない悪代官みたいな「オッサン」は対極にあるんですね。多数決型だけでは、多数派が勝つだけです。市民がコントロールできるのは選挙だけになってしまう。投票率が低いのが現状ですから、毎回同じ人が投票をして、同じ人が当選して、マイノリティとされる人たちの意見がいつまでも反映されないことになります。他方、熟議モデルは、自分の意見に必ずしもこだわるのではなく、いろいろな情報や情勢の変化の中で、自分の意見を変えることが前提にあります。そうやって合意を目指すことがいいのだという考え方が広く形成されれば、「オッサン政治」ではない、参加型、熟議型の民主主義が出来るようになるのではないでしょうか。
地方議会で、熟議型の民主主義をオープンな形で行い、市民がそれをチェックする。そこで初めて豊かな意思決定が出来ると思うんですね。その理想はまだまだ遠いですが、そこが理想だと思えば、いま何をしなくてはいけないのか、いまやっていることをどのように評価するべきかが見えてくるでしょう。山田議員もおっしゃっていましたが、閉会中に市民とコミュニケーションをとることは、議員として素晴らしい活動だと思います。有権者もそういった議員を大事にする。今日の「怒れる女子会@越谷」はまさしくそんな貴重な場なのだと思います。
(取材/角間惇一郎、構成/カネコアキラ)