バカ女を見下してニヤつく下衆男どもの卑しさよ
そもそも、女が同時に複数の男と関係をもつと、否定的な意味で「ヤリマン」だの「ビッチ」だのと非難するくせに(これも大体がモテないヤツのひがみだけど)、男が同じことをすると「モテキ」になるのかよ、という根本的なつっこみはとりあえず今回は置いておく。しかし、映画の中で描かれている長澤まさみが、森山未來の一途な気持ちを散々振り回した挙げ句、泣きながら「幸世くん(森山未來の役名)じゃ成長できない……」とつぶやいて不倫相手の元に戻るような女として描かれていることは放っておけない。こういうことを言いたがるバカ女が現実にうじゃうじゃいることは知ってるし、自分の若い頃を思い出して苦笑いしてしまう部分もあるのだが、結局この女は最後まで男の勢いに流されるだけで、一度も自分を泣かせる男たちを本気で責めはしない。男に可愛がってもらって、男に成長させてもらう、それは人間ではなく、ペット。21世紀の流行映画がこんなキャラクターを登場させて喜んでるって、男って本当にどうしようもないなと絶望的な気持ちになる(しかし断言しよう、この女はこの後絶対に幸世くんじゃ満足できず、不倫相手の元に戻る!)。
さらにタチが悪いのは、麻生久美子演じる33歳B‘z好きの地味な女で、彼女は一回やった後ろくに連絡もしてこない好きな男に泣き叫びながら「幸世くんの好きな映画とか音楽とか勉強するから~!」としがみつくもフラれる。彼を忘れるため高級寿司を奢ってくれるような大人のおじさまと一夜を過ごして、なんか色々すっきり、あたし生まれ変われるかも、ガラにもなくおっさんに紛れて牛丼食べちゃうぞ(しかもおかわりまでしちゃうぞ)。しばきたい。もちろん麻生久美子をではなく作り手を。
ここでも女はあくまで、ひとりで必死で傷ついて頑張って、自分を適当に扱った男たちを非難することはない。それどころか、作品は「そんな真面目な彼女を応援!」とでも言うようなポジションにいる。さすがに、ここまでバカにされたら女として怒らないわけにはいかないんじゃないでしょうか。体よく、ふたりの男にやられただけなんです。男が楽しんだだけなんです。そんな状況で、朝日を浴びたり牛丼食べたくらいでリセットできたら、相当何も考えてないだけのヤバい女です。こんな空っぽな女を応援して持ち上げて、「やっぱり女はバカだな」って言いたいんでしょうか。もしくは、ほんとに、男がこんなに酷いことをしても(酷い映画を作っても)女は怒らないとでも思ってるんでしょうか。
男と次々セックスする現代の奔放な女性像を描いている、と見せかけて、男にとっては都合のいい従順な女が次々現れてくれるのが「モテ期」だとしたら、それは期でもなんでもなく、ここ数百年男がやってきたことの相変わらずの垂れ流しだ。げんなり。
ちなみに、雰囲気は180度違うけど、よく考えたら話自体はほぼ同じ、ジェームズ・グレイ監督作品『トゥー・ラバーズ』(08年)はめちゃくちゃ名作なので、見比べてみることもオススメ。
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