日本社会は女子教育の重要性に対する認識が薄く、そのため女子教育政策が政策アジェンダに乗りづらい・乗ったとしても見当違いになりがちな国の一つです。例えば、この1年間だけを振り返っても、鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏が「女性にとっては三角関数よりも世の中の草花の方が将来、人生設計において有益になるかもしれない」という趣旨の発言をしたり、自民党・衆議院議員の赤枝恒雄氏が「親に言われて仕方なく進学しても女の子はキャバクラに行く」という趣旨の発言をしたりしています。もちろんこれは、能力以外の要素がボトルネックになって教育機会が阻害されないように環境を整備しなければならないという、人権の側面から考えても問題のある発言ですが、重大な事実誤認も含まれています。そこで今回は、教育政策の優先順位と戦略を考える上で考慮しておくべきことと併せて、女子教育の重要性を考えたいと思います。
その前に前回のおさらいをしましょう。前回は女性に関する教育問題を考えていくにあたって、その基本として、教育政策には人権を行使できる環境を整えることを目的とした「人権アプローチ」と、教育を受けることで得られるメリットを考え、経済発展や貧困削減を目的とした「経済アプローチ」があることを紹介しました。
そして、経済アプローチを採用する利点として、「私的収益(教育投資によって個人が受け取るリターン)」と「社会的収益(教育投資によって社会が受け取るリターン)」の二種類のメリットを踏まえることで、教育政策の優先順位と戦略を考えることができるようになることもお話ししました。詳しくは前回記事を参照してください。
教育政策の優先順位をどのように考えるか
一部の国や自治体を除けば、政策のために予算や人材を無尽蔵に使えるわけではないので、どの政策を優先的に実施するかを考えなければなりません。もちろん、前回お話した、教育の投資収益率(投じたコストに対してどの程度のリターンがあるか)は、教育政策の優先順位を考える上で最も重要な要素で、収益率の高い教育政策ほど優先して実施されるべきだと考えられます。しかし教育の投資収益率が大きい教育政策をとにかく優先すればよい、というわけではないのです。どの層をターゲットにするのか、すなわち平等性への配慮も重要な基準となってきます。これは、格差の解消そのものが政策ターゲットとされるべきものである上に、格差の小さい社会ほど経済発展の速度が速いとされているからです。
より教育政策にフォーカスすると、例えば私の仕事では相手政府から「富裕層の子供に世界トップクラスの教育を受けさせて国会のリーダーたる人物を育てる教育政策か、貧困層の子供が充実した基礎教育を受けて貧困の連鎖から脱出できるような国家の底上げを図る教育政策か、どちらを優先すべきか?」と尋ねられることがあります。その国の経済に与える影響を考えると、どちらの教育政策も費用対効果はほぼ同じという結果が出ているのですが、中長期的な影響を考え、私は以下の3つの理由により貧困層の子供を優先すべきだと答えています。
1.富裕層が富むことが貧困削減に繋がるわけではない
富裕層が富めば、時間をかけてその恩恵が中流階級や貧困層へと浸透するという説(トリクルダウン仮説)に基づく政策は、これまで何度も国際協力の世界で唱えられてきたが、その都度失敗している。富裕層が富めばそれが自動的に貧困削減につながるわけではなく、手を打たないと格差が広がり、それに伴い治安も悪化する。
2.治安の悪化・格差拡大がコストを増大させる
格差が広がり治安が悪化すると、経済に悪影響を及ぼす。極端な例を出すと、マラウイのような貧しいけれども平和な国では、地方の学校に教科書を届けるのに何の配慮もいらないが、紛争国の場合、近場に物資を届けるためであってもコンボイを組んだり、空輸をしたりと、多大な費用が必要になることがある。つまり貧困層への教育が十分に行われず、格差が放置され治安が悪化すると、本来ならば必要ないセキュリティが必要になり、取引コストが大きくなったり、商業活動が停滞したりしてしまう。
3.大きな政府になりすぎるのもよくない
治安が悪い・格差が大きいという状況は、それ自体が経済発展の足かせになりうるだけでなく、治安対策や格差対策のための政府支出も必要になる。そして、政府支出を賄うために高い税率を課せば、外国からの投資なども呼び込みづらくなる。それだけでなく、国や自治体は民間企業に比べて非効率なことが多く、さらに民間事業を締め出(クラウドアウト)してしまう可能性を否定しきれないので(例えば、平等性や多様性という観点を無視して効率性という点にだけ絞った場合、公立学校よりも私立学校の方が良いと考える人も多いと思われるが、公立学校の存在は私立学校を教育セクターから締め出している、とも考えられる)、不必要に大きな政府になるのもあまり好ましいものではない。現在の貧困層の子供たちに投資することで、未来に政府が肥大化することを防げるのであれば、それは優先すべきであろう。
このように、教育政策の優先順位を考えるときには、どれぐらい経済成長を誘発できるのか(費用対効果・私的収益)、社会へのメリットがどれぐらいあるのか(社会的収益)に加えて、中長期的な経済発展の観点から、その教育政策がどれぐらい社会の平等性に資するか、も考慮する必要があるわけです。
私的収益から見る女子教育の重要性
教育政策の優先順位は「基礎教育か高等教育か」「学校建築などのハード面か教員研修などのソフト面か」など様々な問題を考えなくてはなりません。その中でも特に話題に上ることが多いテーマが「女子教育を優先すべきか」です。もちろん「男子も女子も」が最も望ましいことなのですが、予算や人材に限りがある中では、男子か女子のどちらを優先させるのか考える必要が出てきます。
平等性という観点から考えると、世界的に見ても女性は男性と比べて賃金が低いなど不利な状況にあることが多いので、女子教育を優先すべきだと考えられます。では、メリットという観点から見た場合はどうでしょうか? 字数の関係で今回は私的収益に焦点を当てて、社会的収益については次回お話ししようと思います。
上の表1は、世界各地で行われた教育の私的収益率分析の結果がまとめられたものです。表が示す通り、先進国・途上国、さらに地域を問わず、一般的に女子教育の私的収益は男子教育の私的収益よりも大きいと考えられています。この手の分析は、「賃金の低い女性は家庭に入り、賃金の高い女性が働いている(=データに現れている女性は教育投資の効果が大きかった人)に過ぎない」という指摘もあります。一方で、教育を受けた女性労働力が、男性のそれと比べてまだまだ貴重であることから、より高い賃金を得ている、とも考えられています。
日本の場合はどうでしょうか? 前回、男性にとって大学教育は1370万円のコストを支払って5200万円の利益を得る、平均収益率が約5.4%の投資だと説明しました。女性についても前回と同様の計算を行うと、女性にとって大学教育は1270万円のコスト(学費等)を支払って6300万円を得る、平均収益率が約7.1%の投資となります(高卒女性が平均して卒業後4年間で約900万円稼ぎ、さらに22歳から59歳までで約1億6300万円稼いでいる一方で、大卒女性は22歳から59歳までで平均して約2億2600万円稼いでいる)。諸外国のように日本でも、女子教育の収益率は、少なくとも高等教育段階では、男子教育よりも高い値となっていて、国の経済発展を考えると女子教育の推進は男子教育の推進に比べて優先順位の高い教育政策だと考えられるでしょう。
今回の計算では算入しなかったものの、高卒と大卒の生涯収入の差は退職金の金額にも反映されるでしょうし、60歳から65歳の女性の高卒と大卒での賃金差は60歳未満のそれよりも大きなものになっています。さらに高卒と大卒の生涯収入の差は65歳以降の年金の額にも反映されるはずです。もちろん、大学の専攻や質によってコストもリターンも大きく変動するので、必ず儲かる投資になるとは断言できませんが、女性にとって大学教育は比較的優れた投資先であると考えられます。
まとめ
冒頭で、日本の政治家が「女性への教育は必要がない」という趣旨の発言を紹介しました。このことは、人権的な側面だけでなく、女子教育の収益率が高いというデータに反しているという点でも大問題です。政治家が政策を様々な指標やデータを見ずに考えるという行為は、パイロットが計器類を全く見ずにジャンボジェット機を操縦するようなもので、仕事柄途上国の名もない航空会社のフライトに搭乗する機会がある私であってもごめん被りたいものです。しかし、そのような政治家を選んでいるのは国民であり、日本社会全体が女子教育の重要性への認識が薄い証左だと考えられます。より豊かで、より平等な日本社会を実現していくためにも、女子教育の重要性が日本の社会でもっと認識される必要があると思います。
次回は今回書けなかった、女子教育の社会的収益についてお話ししたいと思います。