これまで日本における離婚世帯の「養育費」は夫婦間で取り決めるべき個人の問題と捉えられていました。しかし、近年になって国家が介入すべき「家族政策」として捉えられはじめた背景には、安倍政権のかかげる「伝統的」な「家族」への回帰があると考えるのが妥当でしょう。よく知られているように、安倍首相をはじめ、自民党政権の主要議員が多く所属する宗教団体「日本会議」といった保守系の団体には、「伝統」「家族」などの保守的な価値観を政策に反映することを目的として活動しているところが多数あります。
・「家族は、互いに助け合わなければならない」の何が問題? 憲法第24条改正によって社会保障がなくなるかもしれない。/山口智美×杉山春【1】
日本会議や安倍首相らの「家族」回帰政策が長期的に女性の社会進出にどのような悪影響をもたらすのかといった問題点とは別に、こうした濃厚な保守主義とともに 安倍政権が明らかに打ち出したのは、これまでの日本の政策に欠如していた「家族政策」という概念です。
家族政策とは、家族一般を国家にとって望ましい状態へと導くための政策です。つまり、「家族政策」とは国家にとって「望ましい家族像」を達成するための政策であり、一定の家族像を規定に設計されているのです。注意しなくてはならないのは、国家がどんな家族像を「望ましい」とするか、です。
安倍政権における「望ましい家族像」とは、「女性活躍」関連の政策で明らかなように、企業の総合職として働きながら、家庭内での主要な家事・育児という伝統的な妻・母親の役割を担う女性のいる共働き世帯です。しかしこうした「家族像」には「女性の負担増」は明示されているものの、「ケアする者、育てる者」を担う「父親像」「父親の役割」は明示されていません。あくまでも伝統的な「稼ぎ手」としての父親・夫の役割が所与のものとされているだけです。
安倍政権が大々的に喧伝する「伝統」「家族」「共働き」家庭像には、ケアする者、育てる者としての「父親像」の欠落のみならず、「子」への関心も欠落しています。子どもが何を望んでいるのか、離婚した夫婦の子、母子家庭の子の貧困を国家としてどのように救済すべきなのか、 そうした関心が全く見られません。
養育費の強制取り立てをしても、それだけでは父親はケアする者、育てる者としての父親にはなれません。母子の貧困を解消するという視点も重要ですが、母子家庭も含めて、日本における「家族」の中で、ケアする者、育てる者としての「父親像」を描きながら、「国や社会が子を育てる」という観点も確立していかなければ、離婚、未婚、非婚など「家族」概念そのものが瓦解しかけているなかでは、早晩「家族政策」そのものが空洞化してしまいます。
安倍政権の「家族政策」という観点とは別に議論されているのが離婚による親子断絶を問題視する超党派議員連盟の提案している「親子断絶防止法」です。親子断絶防止議員連盟は、夫婦が別居した後も適切な親子関係を維持できるように、定期的かつ頻繁な面会交流を確保することの必要性を訴えるとともに、離婚後に単独親権を求める親が子どもを連れ去るケースが頻発していることを問題視しています。今期の臨時国会での法案提出を目指していましたが、子を連れた別居防止や共同親権制度の検討にも踏み込んだ内容について、DV(ドメスティックバイオレンス)被害者支援団体などから懸念の声が上がっています。
具体的な運用などについてもう少し検討が必要だとは思いますが、ケアする者としての「父親」の役割を政府が現状より少しでも踏み込んだかたちで示していくことは、今後の家族政策を考える上で重要な変化だといえるでしょう。
参考資料
http://oyako-law.org/
http://www.moj.go.jp/content/001204837.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscfh/25/0/25_0_81/_pdf
http://133.25.177.211/oz/611-612/611-08.pdf
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0228.html
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum094.html
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