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どこまでも他人でしかない存在と、他愛のないものを共有する幸せ。最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』

【この記事のキーワード】

浅い関係でいてくださいと願うこと

他人と一緒にいることも、他人に共感することも、けっこうしんどい。何よりそれを強いられることが。自分と相手はまったく違う存在だし、認知の仕方も考え方も違うわけだし、しかも相手のことは本当のところ何ひとつ分からないのだとしたら、そもそも「共感」などというものはできるはずもないのです。できるとしたら、そこにあるものを「共有」することくらい。だけど他の人間がたくさんいる社会で生きていると、他人を大事に、他人を思いやれ、他人と深く繋がれ、というようなことばかり言われます。他人を他人としてみとめていると、冷たい、薄情だ、とすら思われる。それはなかなかに、息の詰まることです。

浅い関係でいてくださいと、願うようなこともある。共有するのは感情だとか苦労だとか不幸だとかよりも、お天気や食べたケーキがおいしいことだったり、そういう他愛もないものであってほしいと思っている。人間が複数いる限り、私たちは「私たち」にはなれなくて、たぶん永遠に個人がよりそっているだけなのだと思う。ただの群れだ。それを孤独だと思うことはなく、ただどこまでも他人でしかない存在とともにいて、他愛もないものを共有して、そのことを幸せだと信じて生きていく、そんな自分のひからびた感性をちゃんと、愛していこうと決めている。(「さみしくなりたい」)

とんでもなく憂鬱で、もうだめ、つらい、死ぬ、という気分の夜に、気心の知れた友達と飲みに行ったり、電話で悩みを打ち明けたりということよりも、2ちゃんねるの「眠れない人集まれ」みたいなスレッドを覗いてみたりすることのほうが、救いになる人もいる。あるいは、ツイッターのタイムラインで、同じように夜更かししている人の投稿にいいねをつけてみたりといったことが。

それはもしかしたら浅くて、冷たくて、さみしいことなのかもしれません。でも、ほの白く光る画面越しの、どこまでも他人でしかない存在に、救われる人もいるのです。

同時代を生きる人間の群れの中で、すれちがう誰かと、ぼんやりと光る信号を送りあうこと。「最果タヒ.jp」は、『きみの言い訳は最高の芸術』は、そういう幸福をくれるコンテンツなのです。
餅井アンナ

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餅井アンナ

1993年生まれ。ライター。messyでは家族やジェンダー、生きづらさについての問題を取り上げた文学作品のレビューなどを書いています。食と性のミニコミ誌『食に淫する』制作。

twitter:@shokuniinsuru

http://shokuniinsuru.tumblr.com/

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きみの言い訳は最高の芸術