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学校教育のあいまいな根性論、パートに社員並みの貢献度を求める…「そもそも」を問う、正直者たちの疑問

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Photo by Afghanistan Matters from Flickr

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 思春期に疑問に思ったこと、ふと感じた社会の違和感は、大人になれば多くを忘れてしまいがちだ。成人して社会に出ると、ちょっとした違和感や疑問を感じたとしても日々に忙殺されていつのまにか何を疑問に思っていたのかすら忘れてしまう。そんな、誰も疑問に思わない・思わなくなったことを、問いかけているトピを発見した。たまにはこんな正直者たちの叫びを紹介したい。

「帰国子女中学生です。僕は間違ってますか?」 

 トピ主は中学三年生の男の子で、今年の2学期、長年住んでいたアメリカから日本に引っ越してきて、公立中学に通っている。そんなトピ主は、日本の中学校での生活に違和感を多々感じているのだという。

 まず許せないのが「先生が見て見ぬふりをしているところ」。トピ主の通う中学では、例えば生徒が悪い言葉を使ったり、友達を冗談で叩いたりしているのを見ているのに注意しない。

「アメリカの学校だったら、大きな問題です。母にそれを言うと、『日本人の人間関係は密で、冗談で叩いたりすることは仲良しの間では普通だとみなされているから、先生も注意しないのでは?』と言いました」

 さらにトピ主にはもっと許せないことがある。先生が「細かいどうでもいいことでは厳しく注意すること」だ。トピ主が黒いソックスを履いていたら呼び出されて「白いソックスを履いてくるように」と言われたり、白い靴にナイキのラインが入っていたら、「真っ白のスニーカーを履け」と注意されたりする、と例を挙げる。

「正直そんなことはどうでもいいことで、全く害はありません。プライオリティが違うと思うのです」

 うん、全くそう思う。だが先生は生徒たちの暴言やじゃれあいは一切気に留めないのに、靴下やスニーカーはいちいちツッコんできて、しかも感情的になり、時に汚い言葉を使って叱ってくるのだそうだ。

「ロールモデルとしてはおかしなことです。欧米人は感情を表に表すと言われているようですが、表し方が違います。日本人のように乱暴には表しません。そんなことをしたら、『ダメな奴』と思われるだけですから」

 またある時は、英語の授業が簡単すぎるので、トピ主だけ、授業の内容に即したエッセイ等を書いても良いか? と提案したところ「不公平だからダメ」と言われてしまった。トピ主は「他の生徒は英語の授業で利益を得ているのに、僕は得られないということが不公平。みんな同じように能力を伸ばせる機会を与えることが公平だと考える」と主張したが、聞いてもらえなかった。

「友達は皆良い奴です。でもそんな学校に諦めた感じで、意見があるのに言わず冷めた態度をとっています。日本の学校はどうかしている思うのですが僕が間違えてますか?」

 という相談だ。なんか……この感覚ものすごく懐かしくて学生時代を思い出してしまった。確かに、中学校へ進学した頃、特につまらない校則について似たようなことをよく考えていた。皆と同じスカートの長さにすることで、生徒たちにどういう利益があるのか?という類のことだ。帰国子女だというトピ主だからこそ、いっそうその違和感が強いのだろうが、日本の学校は、“見た目上は”横並びや皆と同じである、ということを求めがちなのだろうか。もちろん、いろいろな先生がいるし、学校によってそのレベルも違うだろうが……。

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ブログウォッチャー京子

1970年代生まれのライター。2年前に男児を出産。日課はインスタウォッチ。子供を寝かしつけながらうっかり自分も寝落ちしてしまうため、いつも明け方に目覚めて原稿を書いています。

twitter:@watcherkyoko

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