当初のツイートも言い訳のツイートも双方の質が粗いので、通して読むと理に適っていると錯覚しそうになるが、ヘイトスピーチとは「マイノリティの人間としての尊厳を否定する言葉の暴力」(師岡康子)であるし、Twitterの規約は「他者への攻撃を扇動することを主な目的」とする言葉を禁じるとあるのだから、「在日外国人」と「男性」を同軸で比較できるはずがない。自分のリテラシーがいかに瓦解しているかを率先して知らせてくれているわけだが、『Voice』2017年1月号の百田尚樹vs竹田恒泰対談にこのような発言を見つけた。見出しには「日本のモラルは世界最先端」とある。
「最後に、これだけは言わせてください。第一次大戦後、日本は人種差別が当たり前だった時代に、パリ講話会議の国際連盟委員会で人種差別撤廃の提案を行なった」
「そんなことは誰も言わない時代に、日本だけが人種の平等を主張した。じつに尊い振る舞いです。つまり日本のモラルは世界最先端だったのです」
百田尚樹(百田尚樹vs竹田恒泰「鋼の日本が世界を導く」/『Voice』2017年1月号)
ご自分の話を投げかけていただきたいのは、もちろんご自分に対してである。来年の日本が臨むべきこととして「長く続いた平和の幻想から目覚め、鋼の意志で世界の新しい秩序形成の役割を担っていくべき」と対談を締めくくっている彼には、「強姦事件の犯人は在日外国人ではないか」という見解と、「日本は人種差別撤廃の提案を行った尊い国」という言及がシンクロしないらしい。まったく不思議である。罵詈雑言を撒布するご自身の性分を自分で“鋼のメンタル”だと許しながら、史実を引っこ抜いて日本人は尊いとまとめる。好都合な理解のために「日本人」が使われているようで虚しい。
ましてやこの同じ対談の中でも、韓国人は「いまだ韓国が日帝統治の下にあると思っている」と気づいた、「自分たちは日本人だと思っているから、日本政府に対して口を出すのは、当然だと考えている。だから日本に住んでいる韓国人は選挙権をくれと言ってる(笑)」と実に乱雑に人種を扱っている。持論とかみ合わない論旨を押し並べて愚かなる意見だと跳ね返す話者なので、そうならないように、ご自身の発言をご自身にぶつけてみるが、こんな発言も日本人としての「尊い振る舞い」に抵触しないのだろうか。
対談相手の竹田恒泰氏といえば、今年の5月、武蔵野市のライブハウスで出演者女性に20カ所以上を刺す残忍な事件が発生した直後、このようなツイートをしている。
「小金井ライブハウス殺人未遂事件で逮捕された人物は『自称・岩埼友宏容疑者』と報道されている。自称ということは本名でないということ。なぜ本名で報道しない?ここが日本のメディアのおかしいところ。臆する必要はない。本名で報道すべき。これは私の憶測だが、容疑者は日本国籍ではないと思われる。」(5月22日)
先述の百田氏のツイートとまったく同じ構図をしている。犯人が特定されていない凶悪犯罪が生じると、「犯人は日本人ではないのでは」という憶測を誘発するのがこういった面々なのである。何かと「日本人」という主語を背負いながら、そうではない人たちを嫌悪する弁舌を撒く快感に酔いしれているが、この程度でヘイトスピーチとされてたまるかという誤った男気で同志と抱き合い、最終的に「俺たち、そういう芸風だから」に落ち着かせる彼らの感覚。「日本だけが人種の平等を主張した。じつに尊い振る舞いです」と「私の憶測だが、容疑者は日本国籍ではないと思われる」が共存できる理由がどうしたって見つからない。
2016年も瞬間風速で様々な事件が消費されていったが、だからこそ彼らのような「味付けの濃い憶測」が瞬間的な賛同を得てしまう。眼前に広がる事象に対する即物的な嘲笑がヘイトスピーチになりうることを、いつになったら気付くのだろうか。人種差別撤廃の提案をした「日本人として」、真っ先に成すべきは史実を使った言い訳ではなく、その「尊い振る舞い」をご自分に染み渡らせて考え直すことではないのか、と指摘したい。自分の振る舞いこそ真っ先に「尊い」からこぼれ落ちている。
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