「なぜ嫌われるか」が持つ意味とは
杉田 田中さんのいう「中年」的な成熟って、たぶん何もできなかったみじめな中年男の現実を受け入れろ、自分の体や顔をよく見てみろ、っていう過酷な認識のことですよね。そこには、田中さん自身の人生の痛みがしみわたっている気がする。でも同時に、田中さんの言葉には、ある種の柔らかさがあり、くすっとしてしまうようなユーモアもありませんか。
まく そう言われてみれば……。あまり田中さんの文章のユーモアに、注目することができていなかったのですが、確かにあるかもしれないですね……。
杉田 ちょっと頭髪が薄くなったり、太ってお腹が出てきたり、鼻毛が飛び出たり、耳毛が伸びたり、服もよれよれで色あせていたり……というようなことを羅列していきますよね。結構しつこく。中年男のダメさを観念的に批判したり、やっつけるんじゃなくって、そういうみみっちいところへひたすら注目していく感じがいいな、って思ったんです。どんなに気遣っても、意識しても、それでも身体のレベルでひしひしと「中年化」していく。そういうどうしようもない卑小な身体性への注目がありますよね。ファッションチェックというのも、バブル感というより、そういう感じがする。
まく うーん、僕はその部分、ちょっと違和感を持ちました。「鼻毛が飛び出たり、耳毛が伸びたり、服もよれよれで色あせていたり……」あたりは、別に良いんじゃないのかな、と(「頭髪が薄くなる」「太ってお腹が出る」については、止むを得ない事情もありがちなケースなので、言わずもがな)。そういう外見云々を許容するような空気の方が、逆に大事なんじゃないのかな、と感じました。鼻毛とか、服装のこととか、そういう身だしなみをキチンとしようと厳しく自分を見ることで、そうしない他の人に嫌悪を抱くようになってしまうんじゃないか、とか。そんなことを思いましたね。
杉田 僕はあんまり、他者をジャッジするという印象はなかったんですね。たとえば、次回扱う二村ヒトシさんの本の場合、男性的な自意識の「こじらせ」の嫌らしさを逐一批判していくんだけど、そういう二村さんの分析の試み自体が、基本的には異性に対する性的な意識に水路付けられている、という気がする。
それに対して、田中さんの場合、タイトルに「なぜ嫌われるか」とあるけど、じつは異性や他者から嫌われるというより、田中さん自身が自分の身体を嫌いである、なんだか愛せていない、そのことに今まで向き合って向き合って……やっと何とか自分の中年男性としてのみみっちい身体を受け入れられるようになった、というような感触があったんですよね、少なくとも僕には。確かにそれが反転すると、他者の身だしなみに対する神経症的なチェックになってしまうかもしれないけれども。ちょっと僕自身の問題意識にひきつけ過ぎかなあ。
まく いや、面白いです。書名の「嫌われるか」の意味について、そういう視点があったのか……。田中さんの本、ちょっともう一度読んでみます。正直僕は、田中さんの本をやけにナナメに見ようとしてしまっている自分がいたんです。田中さん、写真で見るとかっこよく見えるし、勝手に「スマートな人生を送ってきたんだろうな」っていう先入観というか、僕の中の嫉妬心が目を曇らせてる面があったのかもしれない。
杉田 ああ、なるほど。確かにカッコいいですよね、写真。キャリアもスマートだし。「学生による授業アンケートによる授業評価ナンバーワン教員」って書いてあるし。いや、僕とは全然違うじゃないか(笑)。やっぱり勝手に引きつけ過ぎか……。
まく (笑)。