『赤ちゃんは言葉が話せないから泣いて伝えるしかないんですよ』
『赤ちゃんだって一生懸命なんです、母親のあなたが辛いと言って目を背けるのですか?』
『叩くなんて、ありえない。母親失格』
『じゃあ、何故産んだんですか?あなたのような母親の元に産まれ、赤ちゃんが可哀想です』
『今からそんなんでこの先やっていけませんよ。それにあなたがしたことは立派な虐待です。今すぐ児童相談所に行かれることをお勧めします』
私もこの相談者と同じような境遇と心境でいたから、当事者のような気持ちで回答者たちの言葉を一つ一つ見たのだが、これらの回答群は衝撃的だった。
ものすごく立派なことを書いてるようだけど、これらのことは全部母親なら百も承知なこと。
望んで授かった。
産まれた時は本当に嬉しかった。
赤ちゃんは喋れないから、泣くしかない。
それでもこっちがもたない。
余裕がないから可愛いと思えない。
叩いちゃった。
この先ちゃんと母親としてやっていけるの!?
不安不安不安……
恐らく質問者はこんな気持ちで投稿したのではないだろうか。ちゃんと育てたいと思うからこそ、悩んでいるのだろう。ちゃんとやってるつもりなのに思うようにいかないから、愛したいのに余裕がないから愛せない、こんなんで大丈夫なのか……いつか笑える日が来るのか……こんな気持ちでいっぱいだったのだろう。
だってまず、回答者たちが共通で主張しているように「子の存在そのものが雑なもので、どうでも良いもの」というスタンスがこの母親にあるのなら適当にやり過ごせばいいだけの話。叩いてしまったとしても、別に何も感じないし、ましてやこんな所でわざわざ相談などしないだろう。
「叩いてしまった」ことを重大なことと受け止め、ものすごく自分を責めているからこそ、この質問者はさぞかし辛い思いをしているのだろうなぁ……と私は強く共感した。なのに「児童相談所に行け」だなんて、人の心の裏側にある弱くて繊細な部分を土足で踏み潰すような言葉、よく軽々と言えるな、と私は逆に強く非難したくなった。
ここで大きなことに気付く。このやり取りだけに限らず、育児についての相談ごとの回答は、基本的に「否定」が大半だということ。
多くの回答者(先輩ママ)は、悩んでいる母親たちに対して「精神論」のようなことばかりを投げかける。具体的な方法が欲しくて相談しているのに、「まだまだです」とか「そんなの良いほう」とか、場合によっちゃ前出のような「虐待です」にいたるまで、とにかく、具体的な対策を提案するなど、質問者のことを案じて返答している回答者は、ごく一握りであるように思う。
直接的な批判はしないとしても「わかります、うちもそうでした!でも可愛い時期は今だけですよ♪イヤイヤ期にはもっと憎たらしくなります^^;今をもっと楽しんで♪」とか、遠回しな脅迫行為に似た発言をする母親たちも少なくない。これらに共通するのは「あなたはまだまだ序の口だ」という主張だろう。
そういう文化を理解しているから、多くの質問者たちは敢えてへりくだった前置きをしているのだろう。「どうだ、これなら突っ込まれまい」と、自分が立派な母親であり、我が子を心から大切にしているという息の詰まった主張をしてからでないと、悩みを相談できないのだ。
匿名のネットなのだから、ただでさえ「心にあること」そのままを吐き出したって支障ないハズなのに、顔も素性も知らない「先輩ママ」たちに、常に気を配らければ、ヘタに相談のひとつもできない。僅かな隙を見せれば、間髪入れず突っ込まれる。まるで、世の中の「先輩ママ」というのは「審査員」だ。
『先輩ママのネガティブな次回予告「産まれてからの方がもっと大変だよ」は何を意味しているのか』にも書いたように、先に「妊娠」「出産」「育児」を経験した母親たちは、今自分が立っているステージよりも後ろにいる母親を見下しがちだ。自身が辛い思いをしながら乗り越えた項目だからこそ、「まだその段階」で音を上げてる母親に喝のようなものを入れたくて仕方ない、という人もいるのかもしれない。しかし、きっと自分だってその時は泣きごとのひとつぐらいは言ったことあるだろう。
先輩ママたちはあたかも「そんなのは大したことじゃない」ような聖母ぶった発言をするが、今まで(妊娠・出産前は)自由だった私生活が、制限つきのものになり、全ては子供(自分じゃない人間)が中心になる、それどころか人間が生きていくための「衣食住」を全うすることすらマトモにいかない。突然ある時からこんな状況に陥るというのに、全く戸惑わない「生まれながらの聖母」なんているだろうか?
私はいないと思うし全員、戸惑いながら折り合いをつけていると思う。でもとにかく「完璧な母親」がネット上には多数存在するのだ。