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「決定権は女自身にあり」。国や時代や他者が何と言おうとも、自分の生き方は、自分が決める。

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ナガコ再始動

ナガコ再始動

 かねてより内閣府は、地域少子化対策の一環として、自治体の婚活事業を推奨して来た(参照:昨年の『地域少子化対策強化交付金 優良事例集』)。1月27日発売の『週刊金曜日』は、特集「家族にしのび込む国家」(表紙の文言は「家族に介入する国家」)にて、これら“官製婚活事業”の事例とその問題点を追及。自民党による憲法改正草案24条(個人よりも家族を尊重する“家族条項”)も視野に入れ、国や県政による結婚、出産への干渉、ひいては「家族のあり方」への介入に警鐘を鳴らしている。

 また、同特集の斉藤正美氏の記事によると、35歳を超えた女性の卵子の老化リスクを懸念する説が一部に浸透したため、子供を希望する婚活における女性の商品価値は35歳までとされるとのこと。結果、若い女性に対し、生殖機能の“劣化”を踏まえたライフデザインを提唱し、結婚、出産を暗に急がせる自治体主導の妊活キャンペーンも登場。大分県の妊活パンフレット(参照)がその代表例だ。

 上記“官製婚活事業”の詳細については、同特集および関連情報をぜひご確認頂きたい。当方は専門家ではないので、本稿では例によって持論を述べるに留めるが、先だって1つのメッセージをお伝えしておきたい。

 結婚、出産における商品価値や年齢市場原理に悩まされる30代の女性は、自己決定権の手綱を手放すな。

国民ではなく国家のための事業

 当方は、家族や血縁の縛りが苦痛ゆえに、結婚も出産も望まない42歳であり(▼すでに苦しい「家族」をいっそう縛りつけ罪悪感をもたらす憲法第24条改正案に反対する)、家族の再強化と少子化対策の婚活・妊活事業に対し、嫌悪感を覚えるが、年齢的にその事業にターゲット視されていない当方の個人的な感情は、一旦棚上げする。言及するべきは、国民の“個”の領域に干渉してくる“官”の事業の薄気味悪い総体だ。

 我々は「すべての国民は個人として尊重される」と明記された現行憲法に則って生きている。結婚も、出産も、当事者同士の自由意志の尊重のうえに成り立つ。その決定権は“個”にあり、“官”の介入の余地などない。

 そもそも、家族観、結婚観、出産の希望は、個々に与えられた環境や条件によって差異が生じる。すべてを肯定的に受け入れられる者もいれば、私のように1つの価値観をフックに「全部いや」と宣う者もいる。結婚しても、出産を希望しない者もいれば、逆のパターンもある。血縁者による家族とは異なる集団との共生を望む者もいる。

 ヘテロセクシャルもLGBTQも、幸福な生活を確保する方法論は個々それぞれ。パーソナルかつ多様な価値観を社会で実行することが、我々に与えられた個人の権利だ。結婚希望者が行政、民間ともに婚活サービスを利用することも、結婚しない選択も含め、決定権を持つ“個”の主体は平等である。

 この“個”の選択の権利は、古の家制度や男性優位社会におけるジェンダーの強制役割分担、性分業制等、集団の活性化のために個人の尊厳を蔑ろにする社会構造から派生した。人権の観点より“個”の多様性が認められている現在。翻って、集団としての勢いが衰退したと捉えた“官”は、国民の大半が同じ方向を向いていたからこそ成立した戦後の復興期や好景気時の国勢を「取り戻す」ための調整を画策。コントロールしやすい最小単位のメタ国家としての“家族”を再強化し、“個”を圧制し、結婚(男女のつがい化回帰)・出産(少子化対策)を一括りと扱ったうえで奨励する。その方法論は“個人の尊厳の侮蔑”への回帰である。

 誰のための婚活・妊活事業か。その主体は“国家”だ。婚活サービスを有意義に利用する者がいる以上、一部希望者のためとは言える。が、少子化対策というお題目の下、国民の結婚・出産率を上げたいのは、国民ではなく国家である以上、件の事業は、国民の税金を使って国民をコントロールしたい国家のために存在すると言える。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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女の解体 nagako's self contradiction