男の育児を「日常生活」に落とし込め
テレビ、雑誌、ネットメディアが延々撒き散らす「育児は本来、女性の仕事。手伝ってくれる男性、えらいね!」ムードは、国ももちろん否定しない。むしろ乗っかる。行政が発行する冊子などにもしっかりと記載がある。
一昨年、私が母子手帳を交付してもらいに役所に行った際、出産や育児にあたってのサポート冊子のようなものを受け取ったのだが、その中に度肝を抜かれるフレーズがいくつか存在していた。
『夫も積極的な育児参加を!』
『献身的に妻のサポートを!』
『妻が不調により、家事ができない時は理解を!』
気をつけて読まないとスルーしてしまいそうなくらい自然体すぎる書き方にも驚いたわけだが、行政がこんなの書いていいんだろうか? だって、行政はどんだけたくさんの女性が外で働いているか把握しているはずだ。なのに、「家事と育児は女性が担当してくださいね」と言わんばかりじゃないか。
行政の冊子によれば、家庭運営において「妻は張本人・夫はお客様」なのだ。
そのくせ、「奥さんも大変な時期なのだから、家事・育児は夫も積極的に手伝いましょう」と、あたかも「新しい考え方」を提案しているかのようなドヤっぷりなのだが、前提(=家事と育児は女性担当)が変わらないのなら、全然新しくない。
『夫は育児の当事者です!』
『献身的に子供の世話を!』
『妻が不調のときは、家事育児を分担せず休ませてあげ、旦那一人で頑張りましょう』
こう書けば、まだ、いいかもしれない。
理解ある夫が評価されるというが、そもそも妻は夫に「理解」など求めていない。
当たり前のことをしてくれ。ただそれだけのことだ。
出したらしまう、開けたら閉める、点けたら消す、父を名乗るなら育てる。
私は以前から、芸能人も含めイクメンを気取る男性はなぜみんな共通してダサいんだろう、と思っていた。そのダサさはどこから臭ってくるものなのか? とってつけたような不似合な柄のエプロン? オムツを替える時のコンパクトになった姿勢?いや、違う。どうも、視覚から入ってくるダサさではない。
インスタグラムなどに「今日は〇〇(子供)のためにご飯を作りました」だの「天気が良いので一緒にお散歩です」だの、“育児してるオレ”アピールを週1とか月2くらいのペースでUPしているところだ。
子供の成長を楽しむ意味での投稿は自由だし、我が子の成長を日記のような感覚で載せている父親もいるだろうが、わざわざUPしているところが「非日常」感を物語っている。
これらの自称「イクメン」、もしくは「イクメン擁護派女性」の言動・行動って、私にはこんなふうに見える。
いい歳こいて「ほら、僕は自分のお洋服たためたよ!」「自分でおしっこできたよ!」とうれしそうにしている男性と、「わあ~××くん、カッコイイねえ~」「うちの子も見習ってほしいわあ~」と手を叩いてホメる女性。
滑稽でしかたない。その馬鹿っぷりが、究極にダサいのだ。
最後に断りを入れておくが、「育児に取り組む男性」を否定したいわけではない。それを“特別なこと”として扱ってはいけない、ということだ。
特別ではない日常生活の一部として育児している父親だって、少ないながらもいる。
乳児にミルクを飲ませおむつを交換し、抱っこして寝かしつける父親。
乳児連れで外出する際に必要な荷物を全部大きめのカバンに準備できる父親。
子供を起こし朝食を食べさせ着替えさせ連絡帳を書いて保育園に連れて行く父親。
子供を保育園から連れて帰り通園バッグから汚れた衣類を出して洗濯機にぶちこみ、夕食を食べさせて風呂に入れ一緒に少し遊んで歯磨きをし絵本を読んで寝かしつける父親。
子供の予防接種スケジュールを把握し小児科に予約、習い事や宿題を見たり、子供の持ち物すべてにきちんと記名する父親。
そういうのが、“特別なこと”ではないと、みんな思えるようになってほしい。
こうして書き出してみると、「女じゃなきゃできない」ことなんて、ひとつもないはずだ。
(小出愛)
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