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曖昧でまぜこぜな過去の記憶を年表化してみること/小谷野敦×枡野浩一【1】

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 枡野浩一さんの最新作『愛のことはもう仕方ない』をめぐる対談シリーズ<心から愛を信じていたなんて>第5弾は作家・比較文学者の小谷野敦さんを迎えてお送り致します。

 枡野さんはこれまでの対談で何度も「『愛のことは~』を小説と言い張っているのだけど、“エッセイでしょ”と言われてしまう……」とボヤいています。そして今回の対談相手である小谷野敦さんからは、かつて、「枡野さんは身辺エッセイを書くよりも、一度きちんと正面から私小説を書いてみればどうか?」という趣旨の言葉を投げかけられたことがあったそうです。

 小谷野敦さんは小説家として多くの作品を発表し、さらに比較文学者として大阪大学をはじめとして助教授の任にも就かれ、幾多の文学評論や作家の評伝も発表されています。また『私小説のすすめ』という著作もあり、主宰されている“大人のための人文教養塾”『猫猫塾』では小説執筆の指導もされ、“猫猫先生”の愛称でも呼ばれています。

 そんな小谷野さんと枡野さんのこの対談は、枡野さんが“個人的な生徒”となり、“猫猫先生”に「私小説、もしくは小説を、習う」という、とても特異な「小説入門」としても読めるかもしれません。

 これまで自らの離婚経験について何度も何度も語り、書いてきている枡野さんに対して、小谷野さんは改めて正確な年譜を作成するが如くに、枡野さんに一から質問していきます。そのまるで「取り調べ」のようなやり取りから、枡野さんの様々な意識があぶりだされ、枡野さん自身も気づかなかった記憶や自分史が浮かび上がり、さらにはある重要な「指摘」も行われます。「枡野さんは●●●●●なんですよ!」――と。

 それでは<小谷野敦×枡野浩一対談・全8回>です。「自分についてなにか書いてみたい」「小説を書いてみたい」と一度でも思われたことのある方には本当に本当に刺激的な対談であると思います。同時に、これまで多くの「自分語り」をしてきた枡野さんを小谷野さんがより客観的に「取り調べる」ことで、枡野さん自身の知られざる新たな本質――つまりは本人が自分では思うことができなかった本質――男女・夫婦・離婚・子供・執着・生きること……が、のぞけてくる・めくられてくる対談にもなっています。長い対談ではありますが、最後までじっくり、深く重く味わってみてください。

曖昧でまぜこぜな過去の記憶を年表化してみること/小谷野敦×枡野浩一【1】
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「女はバカだからわからない」が多数派の世の中で、賢い女が好きな男/小谷野敦×枡野浩一【4】

「離婚するまで自分を立派だと思ってたんですよ」(枡野)

枡野 みなさま、本日はご来場ありがとうございました。今日は僕の『愛のことはもう仕方ない』刊行記念対談シリーズ<心から愛を信じていたなんて>の第5弾になります。小谷野敦さんは評論家・批評家でありながら、小説家として芥川賞候補に二度なっており、「私小説」を書くことを奨める本も書かれています。そんな小谷野さんに今日はお越しいただきました。よろしくお願いします。

小谷野 よろしくお願いします。

枡野 あの、8年前に(文学評論家の)栗原裕一郎さん[注]がトークショーをしたときに、僕と小谷野さんが客席にいて勝手に口を出して盛り上がったという(自分の)日記を昨日読みました。

小谷野 記憶にない(笑)。

枡野 ちょうど僕、今自分のメルマガで8年前の日記を連載してるんですよ。

小谷野 8年前って何年?

枡野 2008年の9月くらいですね。

小谷野 (そのトークショーは)ここで?

枡野 ここではなくて。紀伊國屋書店かな?

小谷野 あ、それならわかります。

枡野 今日の会場は煙草が吸えますので、(小谷野さんには)思う存分吸っていたければと思います。それでお話をうかがおうと思ったのは、きっかけをお話しすると、私が今回出した新刊『愛のことはもう仕方ない』っていう本、書き手(枡野)自身は小説だと言い張ってるんですね。

<これから書く文章は小説だということにしたいと私は強く思いました>――っていう文章で始まってるんですけど、いろんな方に「これは小説でなない、エッセイだ」と、歌人の加藤千恵さん[注]や、映画評論家の町山智浩さん[注]、それから最近気鋭のコラムニスト・武田砂鉄さん[注]などにもわざわざ“これは小説ではない”というところからコラム(書評)を書いていただいたりとか……。

あと千野帽子さん[注]という方は《こんなのは小説ではない、という意見もあるが、それは小説というものをその人が狭く定義しているだけの話だ。》《けれど本書は、小説ではなくエッセイとして考えるほうが、僕にとっては身になった。だから、以下はこれをエッセイとしてあつかう。》と書いてました。そこまで言われてしまうのはなぜなのか、どうしたら小説と呼ばれたのか、私小説とはなんなのか……などからお話を伺いたいと思います。では小谷野さん、お願いします。

小谷野 枡野さんとはねえ、つきあいは長いのにあんまり話をちゃんとしたことがない。

枡野 そうですね。

小谷野 枡野さんはね、電話が苦手なんですね。

枡野 そうなんです。電話、ほんっとに嫌いで、出ないんです。

小谷野 それは率直に言って、社会人としてどうかと思うけど(笑)。

枡野 もう家族……姉と妹がいるんですが、みんな、「電話大っ嫌い」って言っていて。父が電電公社だったんですよ。そのトラウマではないかと思います。

小谷野 お父さんは電話できるんですか?

枡野 できますね。父[注]はいつも電話で部下を叱ってました。細かい文書のミスとかをずっと電話で怒ってるってイメージです。理系なんですけど、光ファイバーってあるじゃないですか? ガラスに光を通すやつ。あれの研究をずっとしてた人なんですよ。昔の本、『匠の時代』[注]っていう、『プロジェクトX』の昔版みたいな本に父は出てきて、“ガラスと一緒に死んでくれと枡野は言った”って書いてありました。それを読んで子供心に引きました。「なにを言ってるんだろう、このお父さんは……」って。

小谷野 どこに住んでました?

枡野 父は今……。

小谷野 いや、枡野さんの子供の頃です。

枡野 子供の頃は、僕、西荻窪生まれなんですけど、それからややあって茨城県の水戸市に引越して小学校4年生までいて、5年生からまた東京ですね。

小谷野 東京のどこですか?

枡野 小平市というところです。

小谷野 じゃあ実家は今、小平市?

枡野 そうです。

小谷野 私はね、茨城県出身なんですけど、水戸には行ったことないんですよ。

枡野 そうなんですか。

小谷野 大洗海岸には行ったことがあって、そのとき途中で通ったことはあるかもしれない。

枡野 そうですか。

小谷野 ちょうどね、乗代雄介[注]という人の『群像』に載った小説が、茨城県の北の方の高萩っていう所まで行く途中の常磐線の中の情景を描いた作品なんです。それを読んでいて、そういえば水戸って……と思って調べてたら、水戸は通ってたかもしれないってことだけはわかった。

枡野 水戸……水戸……水戸は小さいとき、4年生までだったんですよ。『水戸黄門まつり』っていうのが年1回あって、助さん格さんはテレビのタレントさんが来て、水戸黄門を水戸市長が演じるんですよ。っていうのをよく覚えてますね。

小谷野 『茨城県の歌』、知ってます?

枡野 わかんないです。

小谷野 ♪茨城~ 茨城~ 我らが茨城~~!

枡野 なんでご存じなんですか?(笑)

小谷野 だって私は小学校2年生のときに茨城にいたんですから。

枡野 そうですか。じゃ、あの(小谷野さんが)小説に書かれてる舞台も茨城県……お父さんとお母さんの……

小谷野 や、それは。育ったのは埼玉県。8歳から埼玉県。

枡野 なるほど。

小谷野 なんで茨城の水戸にいたのに『茨城県の歌』、知らないの? 習わなかったの?

枡野 僕ね、小学校の時の記憶がないんですよ。

小谷野 えっ、小学校の時の記憶がない!?(笑)

枡野 あの、二十歳位の頃からなんです、物心ついたのが。覚えてることとかもあるんですけど……。

小谷野 記憶がない?

枡野 村田沙耶香さん[注]っているじゃないですか。あの方にほぼ近いレベルでした。村田沙耶香さんは最近『コンビニ人間』という小説で芥川賞を獲ったんですけど、彼女は小学生の時でしたっけ高校生の時でしたっけ、学生の時にクラスメイトの男の子2人の顔が区別つかなくて、なおかつ体育教師の顔も区別つかなくて、その3人の顔が区別つかなかったってコラムを書いていらっしゃって。そこまで僕はひどくなかったですけど、クラスメイトの名前をいつまでも覚えられなくて、小テストを返すのとか困ってました。こう、誰が誰かわかんないので。それくらいちょっと物心つかないほどでした。

小谷野 物心つくっていうのはそういう意味じゃないような気がする。いわゆるちょっと「発達障害」っぽかったの?

枡野 ほとんどそうでしょう。あの、かなりそうですね。今振り返ればですけどね。でも自分がそうだっていう自覚がすごく遅れました。

小谷野 今…も……そうだと思ってます?

枡野 僕、10年くらいかかってやっと自分が「発達障害」かなって思うようになったってことは、この本(『愛のことはもう仕方ない』)にも書きました。

小谷野 10年くらいかかってっていうのは、何歳から何歳までかかってですか?

枡野 離婚するまでは僕、自分のことを立派だと思ってたんですよ。

小谷野 えええっ、立派だと思ってた?

枡野 で、33歳くらいになるんだろうか、離婚したのが、籍抜いたのが。離婚中も発達障害っていう概念は知ってたんですけど、他人事と思ってまして。短歌作る女の子で自分がアスペルガー症候群じゃないかとおっしゃってる人がいて、その人の話でアスペルガーって言葉を知ったんですけど。

小谷野 はいはい。

枡野 自分がそれだと思うのは、それから何年もかかって。えっと、ほんとに、2003年から10年くらいかかって、2013年くらいにはもうそうとしか思えないような気になってきたと思います。

小谷野 2001年が離婚ですか?

枡野 正確にいうと、まず2000年に子供が生まれたんですね。あの僕、小谷野さんと違って、時間軸の記憶がほんと酷くてですね。だから覚えてるのが、まず離婚後か離婚中か離婚前か……。そういうことは覚えてるんですよ。2000年に息子が生まれました。で、そのあとに籍を入れました。なぜかというと、妻がまだ前の旦那さんとの籍を抜いていなかった関係で、息子が勝手に前の旦那さんの子になっちゃったので、裁判所で「僕の子です」ってことにしたんですけど。その1年くらい後にはもう別居が始まっていて……。

小谷野 ちょっと待ってください、何の1年後ですか?

枡野 子供が生まれてからです。

小谷野 子供が生まれたのは2000年の何月ですか?

枡野 2000年の2月29日です。

小谷野 裁判をやって、自分の子供になったのはいつですか?

枡野 それは子供が生まれた後ですね。

小谷野 そりゃそうですよ(笑)。

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枡野浩一

歌人。1968年東京生まれ。小説『ショートソング』(集英社文庫)ほか著書多数。短歌代表作が高校の国語教科書(明治書院)に掲載中。阿佐ヶ谷「枡野書店」店主。二村ヒトシさんとのニコニコ動画番組『男らしくナイト』(第1回は9/24夜)、中村うさぎさんとのトーク企画『ゆさぶりおしゃべり』(第1回は10/7夜)など、最新情報はツイッター【@toiimasunomo 】で。

@toiimasunomo

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