構成担当F あの、ちょっと話を蒸し返したいんですが……。枡野さんは、今日、小谷野さんから言われた宿題、「元奥さんの視点から自分を書く小説」を本当に書かれるつもりですか? 書けば本当に面白い、読みたくなる小説になると思うんですけど、ただきっと元奥さんはとても嫌がられるとも思うんですけど……
枡野 奥さんじゃなきゃダメですか?
構成担当F それは……奥さんの視点じゃなきゃ、意味なくないですか?
枡野 ダメか。息子じゃダメ?
構成担当F それは……小谷野さんに聞いて……
小谷野 息子!? 息子ってまだ16歳でしょ!?(笑)
枡野 ダメか。じゃあ、元妻のアシスタントだった女性の視点とかは?
小谷野 それは変です。
枡野 変ですか。
小谷野 円地文子[注]って読んだことないですか?
枡野 円地文子ってなんでしたっけ?
小谷野 なんでしたっけって、作家ですけど(笑)。
枡野 代表作は?
小谷野 『女坂』っていうのがあります。
枡野 読んでないですね。
小谷野 『朱を奪うもの』とか。円地文子っていうのはすごいんですよ。上田萬年が父なんですけど。上田萬年って知ってます?
枡野 名前だけは。
小谷野 それで円地文子は円地与四松と結婚するんですけど、その後、片岡鉄兵と不倫して、戦後はまたなんか不倫するんですよね。
枡野 すごいですね。
小谷野 それで娘がいて、娘が歌舞伎役者になりたいって言いだして困らされて、自分は子宮癌の手術して、その後に娘が結婚するんですけど、その娘の夫に執着するんですよ。
枡野 すごいですねえ。なんてエネルギッシュな。
小谷野 それを小説にしてるんですよ。
枡野 ええっ……!
小谷野 『私も燃えている』っていう小説。
枡野 うわっ。それは世間的にはどうだったんですか?
小谷野 みんな、口をつぐんでますよ。遠慮して。
枡野 あ、世間ってそうなんですね。じゃあ僕の本も優しく口をつぐまれてるのかなぁ。
小谷野 いや、それはやっぱり円地文子は……
枡野 売れっ子作家だったから?
小谷野 売れっ子とかじゃなく、大物作家ですよ。
枡野 そうですかぁ。
小谷野 だって枡野さんは「選考委員」とかやったことありますか?
枡野 ないですね。短歌の選はありますけど、それくらいですね。
小谷野 円地文子は谷崎賞の選考委員をやってて、5回目に自分にあげちゃうんですから。
枡野 そうでした。それは読みました。小谷野さんの本で。
小谷野 ただね、あれはあのとき、武田泰淳は批判したけれど、実際に読んでみて、円地文子の勝ちなんです。こんなすごいものを書いたんなら、自分にあげてもいいと。
枡野 すごい、いい意見ですね。僕、そういう意見っていいと思っていて、「だって本当にすごいんだもん!」っていうのがあれば、いいんですよね。
小谷野 逆に武田泰淳の小説がダメすぎる! あの男は武田百合子がいたから名前が残ってるんだ。
枡野 ああ、そうです。奥さん、すごい文章家として愛されていて。小谷野さんのご指摘は面白いなぁ。でも僕もそういうことありました。話だけ聞いたときにはフェアじゃないと思ったけど、作品みたときには「あ、これならいい。説得力抜群だな」って。
小谷野 それはありますよねえ。
枡野 つまり、意見や倫理と関係ないところに、作品の良さっていうのはあるってことですよね。
小谷野 そうです。
枡野 じゃあもし僕の小説が驚くほど魅力的だったら、「枡野さん、ストーカーだけど、小説面白いね」っていうことで、面白がられるってことはあるってことですね。
小谷野 だって、近松秋江だってストーカーでしょ?
枡野 わかりました。僕がストーカーであることは十分わかりました。もう胸に刻んで(笑)。今日は想像していたのとは違いましたけど、でも僕自身、本当に宿題として受け止めてやろうと思いますので、嫌がられるかもしれませんし、発表するかどうかは別ですけど、書きます!
小谷野 なにを想像してたんですか?
枡野 えっ……。まぁ、小谷野さんとは長い交流があって。小谷野さんの文庫本の解説も書いたことがあって。『軟弱者の言い分』[注]っていう、ちくま文庫の。でもそのときもまだ直接会ってはいなくて、遠くから見ている感じで。こんなに長くきちんと話したのは今日が初めてなんです。だから、なんか小谷野さんって僕に対して考えがあって、ズバッと言おうと思えば言えるのに言わないんだろうなって予感でいっぱいだったんですよ。絶えず絶えず。
小谷野 ほお~~。
枡野 だから、今日いくつか言っていただいたことが、なるほど、想像もしてなかったけど……もっと早く言ってくれてもよかったのにとも思いました。
小谷野 いやいやいや(笑)。それはね、私は2週間くらい、10日間くらい前から、今日に備えていろいろ考えてたんですよ。それで、10年前に町山が枡野さんを批判したじゃないですか。あのとき私は枡野さんの肩を持ったんです。でもあれは間違っていた、町山が正しかったということに気づいたんです!
枡野 えーーーっ、そうだったんですか!? あのときは、町山さんの解説は違うと思っていたけれど……。
小谷野 いや、解説はっていうか、これはこれで枡野さんの表現なんだと。枡野さんは裁判で決められたことを守らない奥さんに抗議してるんだと思ってたんだけど、今回この本を読んで、「あ、町山が正しかった」……と。
枡野 いやぁ~、それ、凄くいい話じゃないですか。やぁ~、そうでしたか。
小谷野 町山はストーカーをやめろと言っていたのに、枡野さんはやめていなかったんだと。
枡野 町山さんは、さぞ呆れてるだろうと。
小谷野 町山はtwitterでは枡野さんについてああ言ってるけど、本当は「コイツはもうダメだ」と切り捨てた……。
枡野 おっしゃるとおりかもしれません。あと、枡野になんか言うと100倍になって返ってくるから、適当に褒めておこうって感じかな……。
小谷野 そうです。みんなそうなんだと思う。中村うさぎも。せっかく忠告した言葉も本の帯文に使われてしまう。枡野さんはなんでも飲み込んでしまう、バキューモンみたい……って思ってると思います。バキューモンっていうのは『帰ってきたウルトラマン』に出てくる怪獣です。
枡野 素晴らしいご意見ありがとうございました。まさか、当時は町山さんに否定的だった小谷野さんが、今回の本で町山さん側になったなんて。最後にいいことが聞けたと思います。でもね、それは僕すごくね、小谷野さんも町山さんそう言うなら、僕はストーカーですよ。わかりました。ストーカーですね!
小谷野 枡野さんは本当にね、すごいストーカー特有の発想をするんですよ。「追いかけてないんだ、待ってるんだ」とかね。
枡野 もう僕、ナチュラル・ボーン・ストーカーですね。
小谷野 やっぱり決定的なのは、「この執着をやめてしまうと僕はゼロになってしまう!」という発想……。
枡野 それがストーカーだと?
小谷野 それがストーカーです。
枡野 はい、それは認めるようにします。それで、ご来場のみなさん、今日の話を聞いて、もう僕の本『愛のことはもう仕方ない』をまったく読む気はしなくなったかもしれませんが、読み物としては面白いんですよ。みんな、小説ではないけど面白いねって言ってくださいますし。今日のこの話で、僕のことを知ってから読むとより面白いと思うので、ぜひ読んでください。小谷野さんの小説も僕はすごく好きな小説で、お父さんお母さんのことを書かれていて、お父さんお母さんへの愛情をとても感じる本なので、ぜひ読んでみてください。今日は長時間どうもありがとうございました。
【第8回の注釈】
■長嶋有
小説家。ブルボン小林名義で漫画・ゲームの批評もおこなう。『サイドカーに犬』が第92回文學界新人賞を受賞し、小説家デビュー。同作は映画化もされた。『猛スピードで母は』で第126回芥川賞受賞。『夕子ちゃんの近道』で第1回大江健三郎賞受賞。『三の隣は五号室』第52回谷崎潤一郎賞受賞。枡野浩一の『結婚失格』には長嶋有の特別寄稿が収録されている。
■穂村弘
歌人、エッセイスト。1962年生まれ。歌集に『シンジケート』、『ドライドライアイス』、『ラインマーカーズ』、短歌入門書に『短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために』(解説/枡野浩一)、エッセイに『世界音痴』などがある。枡野浩一の『結婚失格』には穂村弘の特別寄稿が収録されている。
■『石川くん』
枡野浩一・著。≪「啄木の短歌は、とんでもない!」と糸井重里さんも驚嘆。親孝行で清貧という石川啄木のイメージは大誤解だった!? 本当は仕事をサボって友達に借金をしては女の人と……。そんなサイテーな、だけど憎めない「石川くん」をユーモラスに描いた爆笑エッセイ集。「一度でも俺に頭を下げさせた/やつら全員/死にますように」など、啄木の短歌には、枡野浩一による衝撃の現代語訳つき。朝倉世界一の可愛いイラストも満載。≫(amazonより)
■与謝野鉄幹
歌人。1873年(明治6年)生まれ、1935年(昭和10年)没。短歌の革新を唱え、「新詩社」を設立し、機関誌「明星」を創刊。北原白秋、吉井勇、石川啄木などを見出し、日本近代浪漫派の中心的な役割を果たす。
■正岡子規
俳人、歌人、国語研究家。1867年(慶応3年)生まれ、1902年(明治35年)没。俳句革新・短歌革新をおこなうも、34歳で病死。「野球」の名付け親ともいわれ、文学を通じて野球の普及に貢献し、野球殿堂入りもしている。
■与謝野晶子
歌人。1878年(明治11年)生まれ、1942年(昭和17年)没。処女歌集は『みだれ髪』。代表作に『君死にたまふことなかれ』がある。与謝野鉄幹との不倫関係は当時の一大スキャンダルだった。鉄幹とは結婚し、子供を12人出産している。
■円地文子
作家。1905年(明治38年)生まれ、1986年(昭和61年)没。『朱を奪ふもの』『傷ある翼』『虹と修羅』の三部作で谷崎潤一郎賞、『遊魂』で日本文学大賞を受賞。1985年に文化勲章を受章している。
■『悲望』
小谷野敦・著。≪女性と恋愛経験のない東大院生の藤井は同じ院生の響子を好きになる。が響子はまったく気がなく逃げるようにカナダに留学。すぐに追いかけて藤井もカナダヘ、同じ寮に入る算段をとる。執拗な藤井に響子は「諦めてください」と懇願の手紙を寄越すが、逆に藤井は響子を説得しようとさえする。どれほど嫌悪されても怯まぬ愛の一方通行、究極の告白小説。≫(amazon内容紹介より)
■『ショートソング』
枡野浩一・著の短歌を題材にし、吉祥寺を舞台とした青春小説。集英社文庫・刊。
■『軟弱者の言い分』
小谷野敦・著。≪スポーツは相撲以外に興味無し。ファッションにはほぼ無関心。テレビドラマなんか見もしない。外出すれば帰りにはヘトヘトになる。だから座っていると、俺より元気そうな老人が乗ってくる。そういうときは信念にしたがって座り続ける。ああ、「もてない」うえに「軟弱」。この苦しみがエネルギー過剰な「丈夫な奴ら」に分かるか!相も変わらず世の中に向かって物申したいことだらけの思いを綴ったエッセイ集。≫(amazon内容紹介より)
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■小谷野敦さん
1962年生まれ。作家・比較文学者。東京大学文学部英文科卒業、同大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。『聖母のいない国』でサントリー学芸賞を受賞し、『母子寮前』『ヌエのいた家』で芥川賞候補になるなど、これまでに数多くの評論・小説・伝記などを発表している。また、“大人のための人文系教養塾”『猫猫塾』も主宰し、“猫猫先生”とも呼ばれている。
●小谷野敦 公式ウェブサイト「猫を償うに猫をもってせよ」
●『猫猫塾』HP
(構成:藤井良樹)