増えるムスリム人口→ヒジャブの自己主張
単なる楽しみのためであったり、ビジネス目的だったり、フェミニズムであったり、はたまたショッキング効果であったり。理由はさまざまながら女性の露出度がどんどん上昇している今、逆に「隠す」美を追求し、世界に発信し始めたのがムスリム女性たちだ。
ニューヨークと周辺都市部はムスリム人口が多い。正確な数は不明ながら推定60万人もしくはそれ以上とも言われている。出身国は中東、アフリカ、アジア、東ヨーロッパと様々で、アメリカ生まれの二世も少なくない。ニューヨーク市内に限ると公立学校の生徒の10%はムスリムと発表されている。そのため教育庁から保護者に向けたお知らせの文書にはアラビア語バージョンがあり、イスラム教の2つの祭日が休校となっている。
アメリカに暮らす若いムスリム女性のファッションは祖国の文化や各家庭の方針によっていろいろで決して画一ではない。ニューヨーク市内で見掛ける女性のヒジャブは色も巻き方もバリエーションがある。ヒジャブに合わせる着衣も出身国の民族衣装もあれば、現代アメリカの一般的な服装もある。先日、筆者は地下鉄で黒いヒジャブ+黒いアディダスのトラックジャケット+ジーンズというヒップホップ・ファッションの若い女性を見掛けた。小学生の女の子がピンクや花柄のヒジャブを被っていることもある。制服にヒジャブの中高生もいる。ヒジャブに比べると少ないが目だけを出したニカブ姿の女性、ヒジャブを被らず髪は見せるが、タンクトップやミニスカートなど露出度の高い服装を避ける女性もいる。
こうした若い女性たちはイスラムの教義とアメリカ文化を折り合わせていく。
昨年の11月、ミネソタ州のミス・ミネソタ・コンテストにソマリア生まれ、アメリカ育ちの大学生、ハリマ・アデンが出場した。アデンはヒジャブ姿でステージに立ち、水着コンテストの部では、ムスリム女性が水浴の際に身に付ける、全身と髪を覆う水着のブルキニを着た。
アデンは優勝こそ逃したものの、ケイト・モスやカーリー・クロスが所属する一流モデル・エージェンシー、IMGモデルズにスカウトされ、先月イタリアで開催されたミラノ・ファッションウィークのランウェイに登場した。
昨年のリオ・オリンピックでは、ニューヨークをベースに活動するフェンシング選手、イブティハジ・ムハマッドがヒジャブ姿で出場し、USAチームは銅メダルを獲得した。種目を問わずオリンピックUSAチーム初のヒジャブ着用選手となったムハマッドはアフリカン・アメリカンだ。父親がイスラム教に改宗し、ムハマッドもイスラム教徒として育った。
毎年11月にフロリダ州で開催されるアマチュア・ボクシング大会に、昨年は弱冠16歳の少女、アマイヤ・ザファーも出場するはずだった。ところが当日になって大会側はヘッドギアの下のヒジャブ、長袖のシャツ、足首までのレギンスは規則違反であるとしてザファーを失格とした。
自動的に対戦相手の15歳の選手アリーヤ・チャーボニアの勝利となったが、成り行きに納得できなかったチャーボニアは「こんなの不公平。勝者はあなたよ」と、勝利のベルトをザファーに渡した。ムスリムと非ムスリムがスポーツを介してお互いへの敬意と友情を芽生えさせたのだ。
大会側は、ユニフォーム規定は安全性に基づいており、イスラムの服装を認めると他の宗教の選手も同様のことを望むだろうとコメントした。
アメリカのムスリム人口は増え続けている。アメリカで女性の自立や可能性を学んだ少女や女性たちは今後、あらゆるフィールドに挑戦していくものと思われる。その際、スポーツも含めてヒジャブや長袖が馴染まないものもあるのかもしれないが、まずは「危ないに違いない」という思い込みを排し、実地的、科学的に検証していく必要があるだろう。
それを実践したのがナイキだ。ナイキはムスリム女性アスリート向けのヒジャブ “Nike Pro Hijab”を開発した。通気性を重視した素材を用い、激しい動きでずれる巻くタイプではなく、被るスタイルとなっている。
地下鉄で座り合わせるタンクトップとヒジャブ
アメリカは何事も極端に振れる国だ。トップレス擁護者や、カメラの前で乳房を露にするセレブがいる一方で、信仰を理由に髪や肌を隠すムスリム女性の存在と権利も徐々に認められ始めている。トランプの大統領当選直後、ヒジャブを被った女性へのヘイト・クライムがあり、一時的に娘にヒジャブを被らせなかった母親たちもいた。同時にムスリムへのいわれなき迫害があるからこそ、ムスリムとしての自覚を強めた女性も多い。
もっとも、ムスリム女性には同胞からのプレッシャーもある。もう何年も前のことではあるが、当時、大学生だったムスリムの友人はヒジャブを被っていなかった。被りなさいという母親を説得し、母親も祖国ではなくニューヨークで生活する若い女性である娘の心情を理解して許可してくれたとのこと。ある日、この友人と食料品店に入るとムスリムの店主が友人に「君はなぜ何も被らない?」と詰問した。店主の背後にはニカブを着た妻とおぼしき女性が控えていた。筆者はこの時、アメリカの都市部に暮らすムスリム女性の非常に微妙な生活背景を垣間見たのだった。
それでも多彩な人々の集合体であるニューヨークのような都市部では、基本的には互いの信仰・思想・指向・嗜好に異議を唱えることなく共存が為されている。良い意味での個人主義だ。ニューヨークでは、今夏もタンクトップにショートパンツの女性とヒジャブの女性が道や地下鉄でごく当たり前に鉢合わせ、ごく当たり前にすれ違う、そんな光景がきっと見られるのである。
(堂本かおる)
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