広告と政府
ニベアには “前科” がある。2011年、アメリカでの男性向けニベア商品の広告が、やはり人種差別と厳しく批判されたのだ。短髪の若い黒人男性が、アフロヘアの黒人男性の仮装用マスクを投げ捨てようとしている瞬間の写真に「自分自身を再度文明化せよ」のキャッチフレーズがつけられていた。
前回の「ミシェル・オバマが見せた「ナチュラル・ヘア」の衝撃 名前も言葉も髪型も白人社会化を迫られた歴史」に書いたように、アメリカの黒人は歴史上、白人から「文明人ではない」扱いを長年にわたって受けてきた。そうした背景がある中、黒人生来の毛質を活かしたアフロヘアを捨てることが「文明化」と謳ったのは、どう考えても鈍重だ。広告の商品はスキンケア製品であり、ヘアケア製品ではなかったが、広告のビジュアルは見る者の視線をアフロヘアに集中させたのだ。
仮に短髪の白人男性が、または日本で日本人男性が長髪のマスクを投げ捨てる写真に「文明を取り戻せ」のコピーを付けても炎上はしなかっただろう。両者ともに社会的に「文明人ではない=野蛮人」の扱いを受けたことがないグループだからだ。このように人種差別はすべての人種に均等に適用されるものではなく、そのグループの社会的なポジションによる。
ニベアに限らず、少なくない数の企業が広告で同様の誤ちを犯しては謝罪を繰り返している。大手企業の広告は立案制作から発表に至るまでに相当な人数の目を経ている。その中に(発言権のある)マイノリティがいれば異議が出て再考されるはずだ。それがなされないのは、ひとえに企業や広告代理店に今もマイノリティが少ないことを表している。
同様のことが政府・政権にも言える。人種やジェンダーなどのマイノリティ不在の政権による政策がマイノリティを置き去りにすることは、多くの国で証明済みである。
(堂本かおる)
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