父性なき保護者気取りの男と幼い女が騒ぐ国会
安倍首相は、野党の追及を受けた先の国会でも、重要法案の採決においても、十分な説明責任を果たさない。だから瑣末な揚げ足取りに終始する野党にきゃんきゃん噛みつかれて国会が空転するのだ。そのような体たらくで、本気で強い日本を取り戻せると思っているのか。
肝心な説明を避ける一方で、「(森友問題に)妻や私が関わっていたら、私は総理大臣をやめますよ」といった軽口を叩く首相の迂闊さ。妻は妻で、総理大臣夫人の立場を暴走私人に利用され、「夫のために、国のために、一生懸命頑張っているのに」と涙を流す。阿呆か。権力を持つポジションにいることを自覚し、もっと慎重に、警戒するべきだ。
昭恵氏は、ヘリパッド建設問題で揺れる沖縄県高江の電撃訪問を筆頭に、首相夫人らしからぬ自由奔放な言動で知られる人物である。当方は、家父長制の復権を訴える保守団体『日本会議』の要人であり、「女性の自立を支援する」内閣府の長である安倍首相の矛盾を象徴するものが、昭恵夫人の存在とお見受けしていた。
家父長思想は、女性の自由意志および自立を否定する観点がある。それは個人の尊厳を蔑ろにするものである。よって首相は、妻の自由意志を家父長が「輝かせるべく支持する」パフォーマンスを通じ、父性の権威と女性の自由尊重の両立を企てたと推測する。いわく、女性の幼女化、男性の保護者化である。なめるなこの野郎。そのご都合主義的な矛盾ちゃんぽん感にためらいもなく付き合って差し上げるほど、国民は馬鹿ではない。
また、首相の秘蔵っ子である稲田朋美防衛大臣は、森友問題の追求を受けて、一度は籠池サイドとの関与を悪し様に否定したが、夫の仕事を通じて関与を問われた際には「記憶にない」と宣った。それが事実か。虚偽か。公の場での弁明に非難が集中した彼女を、安倍首相がかばおうとする姿が、当方には、まるで幼女と保護者に見えた。父に内向きに防衛されなければ職務がまかり通らない防衛大臣など、頼りないにもほどがある。もちろんそれは稲田朋美が「女だから」ではない。国会にて、すっとぼけた発言を行っても許されると考えているような人間だからだ。
そんな彼女を防衛大臣という職務に抜擢したのは他ならぬ安倍内閣であり、当然安倍首相の責任は重い。あまつさえ彼女を罰するではなくかばおうとしたその様は、保護者気取りをしつつも「強い父性」のかけらもないみっともなさだ。と、激怒するのには、超個人的な理由がある。
愛国保守だった父に教育されて
当方は、終戦の年に生まれた愛国保守の父に厳しく育てられた経験を持つ。父と同世代の戦後チルドレンの中には、戦争に行けなかった己の境遇を嘆き、軍人精神に憧れを募らせた少年も多くいたと聞く。その一人であった父は、第一子の私を長男として育て、言うことを聞かなければ容赦なくビンタを食らわせる鉄拳制裁を行った。幼稚園の登校は「出陣」、お小遣いは「軍資金」、子守唄は、右翼の街宣車から流れる軍歌でおなじみ『いざ征け、つわもの、日本男児』(出征兵士の歌)だ。
余談だが、当方の誕生日は昭和天皇の皇后陛下である香淳皇后良子さまと、僭越ながら同じである。これに肖り、同じお名前のナガコを頂戴し、しかし不敬なので別の漢字である「永子」としたとの来歴を持つ。つまり、愛国キラキラネームである。
父は私に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」以下、昭和天皇による終戦の詔勅(玉音放送)を繰り返し言い聞かせ、「いいか、ナガコ。日本男児たる者、お国のためにがんばるのだ。男には見栄を張ってでも我欲を耐え忍ばなければならない時がある。その時のために胆力を身につけろ。男は黙ってやせ我慢だ」と檄を飛ばした。当方は「御意」と返し、日の丸の鉢巻きを巻いてせっせと匍匐前進の練習を行ったものだ。
当然ながら、教育勅語も読まされた。が、泥酔した時には「貴様ごときが朕と抜かすな」とぶん殴られた。なんたる不条理。そもそも当方は男児ではない。大人って支離滅裂。しかし、耐え忍ぶ。我こそは、日本男児。お国のためにがんばるのだ。
こうして父娘は一丸となって大日本帝国を取り戻そうとしていたわけだが、天国の父に一言いいたい、「今、これやったら、児童虐待で捕まるよ」と。父の教育は褒められたものではないので肯定はしないが、当方は、父を恐れる一方で、敬愛してもいた。ただし、彼の教育には洗脳されなかった。私には私の自我があり、この世は個人の自由を尊重する民主主義に則った社会であるからだ。