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世界は無名の太った女性に寛容か?『作家、本当のJ.T.リロイ』  

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『作家、本当のJ.T.リロイ』アップリンク公式サイトより

『作家、本当のJ.T.リロイ』アップリンク公式サイトより

『作家、本当のJ.T.リロイ』      ジェフ・ファイヤージーク監督

“1996年に突如文壇に現れ、女装の男娼となった過去を綴った自伝『サラ、神に背いた少年』で時代の寵児となった謎の美少年作家、J.T.リロイ”。

 96年当時、高校生だった私は、この『サラ、神に背いた少年』を実際に読みはしなかったが、日本でも社会現象になるほどのベストセラーになり、巷で話題になっていたことは覚えている。そしてその作者であるリロイが、のちに、実は架空の人物だったというニュースもどこかで耳にしたことはあった。

 この映画は、そのリロイを作り上げた張本人である女性の言葉と映像を通じて、世界を混乱させた一連の事件を解剖していくドキュメンタリーである。

 映画の冒頭から、非常に落ち着い多用すで、淡々と事件について語る女性、ローラ・アルバート。彼女の口から告げられる真実は、にわかには信じがたい内容だ。

 最初は、電話越しに男の子のフリをしてカウンセラーに虐待内容を相談する「ターミネーター」という人格、次に直接カウンセラーと会うために急遽用意された「スピーディー」という人格が、彼女の中に現れたらしい。そして小説を書くために作り上げられたのが、「J.T.リロイ」という人格だった。

 こう書くと、いわゆる精神障害の多重人格者という印象を与えるが、ローラの特異なところは、リロイという人格に、元夫の妹(サヴァンナ・クヌー)という実像を与えた点だ。金髪のウィッグと顔の半分はある大きなサングラスをつけた「リロイ」の隣に、ローラは「マネージャー」として常に付き添い、自ら作り上げたリロイ像をコントロールしていた。

 どこまで計算していたのかはわからないが、リロイの小説は発売するなりあれよあれよとベストセラーになり、世界中で熱狂的なファンを生み出す。

 『サラ、神に背いた少年』に感動し、リロイにコンタクトをとったいわゆるセレブの電話音声がこの映画では流されるのだが、ウィノナ・ライダーに始まり、U2、コートニー・ラブ、トム・ウェンツ、と、半端なく豪華だ。映画監督のガス・ヴァン・サントはリロイに惚れ込み、自身のカンヌ受賞作『エレファント』の脚本を依頼している。そしてリロイの二作目の小説『サラ、いつわりの祈り』は、アーシア・アルジェントにより映画化され、リロイとローラもカンヌに招待されている。アーティストが世間を欺いていた、という点で、日本ではミュージシャンの佐村河内事件が思い出されるが(森達也監督『FAKE』は未見)、スケールが桁違いなのだ。

 しかし、そんな嘘を起点とした熱狂がいつまでも続くはずがなく、リロイの正体はNYタイムズの記者によって暴露され、今まで熱中していたファンたちも「裏切られた」と手のひらを返してリロイの元を去っていく。

 なぜ、この一見普通の中年女性が、そんな騒動を巻き起こしてしまったのか。映画は徐々に、彼女の過去も暴いていく。

狂人ではないから幻想に浸った

 彼女は、幼い頃から肥満体型だった。彼女自身もそのことを非常に強くコンプレックスに思っていたとたびたび語られる(映画に登場する現在のローラは糖尿病の治療のおかげかかなりスリムになっており、この映画撮影を決意できたのはそのことによって自信を取り戻した部分も大きいようだ)。

 仲の良い両親に育てられながらも、父親の友人から性的虐待を受けていたというローラ。「太った」「女の子」が、「ゲイの男の子」で「エイズの男娼」のふりをしたのは、世間を騒がせようという悪ノリではなく、悪意があったわけでも、計算があったわけでもないことが見えてくる。彼女はそうすることでしか、世界に受け入れられる方法が見つからなかったし、世界も彼女に振り向かなかったのだ。辛すぎる現実から目をそらして、幻想の中で生きることが罪ならば、罪を犯せばよい。わたしたちは誰も彼女(=彼)を責めることはできないはずだ。わたしたちは無名の太った女性に寛容か?

 そして実際、才能豊かな美しいゲイの男の子に熱狂した観客たちがリロイに求めたものを、リロイは与えてくれた。あの熱狂は嘘だったのか。もしリロイが本当に実在する人物だったなら、その熱狂も本物だったと言えるのか?

 時代やセレブの気まぐれに振り回されたとも言えるローラ・アルバートだが、この映画は、その騒動を一歩引いたところからあくまで冷静に彼女の姿を映す。冷静さを欠いていた自分や、周りの人間たち、そしてトラウマを抱え、それと対峙していくことについて何かを伝えようと真摯に語るローラの姿は、逞しくて美しい。彼女がリロイを通じて手に入れたかったものを、今は本来の彼女自身として手に入れつつあるように見える。

 ただ、自分として生きること。ひとりの女性にとってそれがいかに困難であるか。J.Tリロイ事件は、決して狂人の奇行ではないのだ。

gojo

1979年大阪生まれ。立教大学社会学部卒。
映画芸術、ユリイカ、boidマガジン等に寄稿

twitter:@gojo445

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