ゴスペル・コンテストを勝ち抜く日本人
会場を埋め尽くした観客の大多数は黒人だった。しかしコンテスト出場者には多くの日本人が含まれていた。グループ部門に1組、男性ソロ部門に一人、さらに女性ソロ部門は15人中なんと4人が日本人だった。それぞれ予選を勝ち抜いての本選出場である。実は昨年、グループ部門では“おにぎりシスターズ”という日本人女性3人組が優勝を果たしている。同グループのシンガー、Tiaは今年もグループ部門とソロ部門に出場した。アメリカにおいて実人口、キリスト教徒人口、いずれも日本人をはるかに上回る白人がソロにもクワイアにも数えるほどしかいなかったことと比べると、まさに驚くべき数だ(アメリカでの黒人と白人の文化的乖離、日本人がどちらの側にも比較的容易に入り込める背景については別の機会に譲りたい)。
アメリカのゴスペル・シーンで本格的に活躍するには当然、クリスチャンでなければ無理だ。今回の日本人コンテスト出場者も全員が信者のはずだ。そうでなければクリスチャンである観客と審査員の心を動かし、勝ち抜くことはできない。
教会コミュニティへの参加も要だ。多くのクリスチャンは教会に通うわけだが、教会は信仰の場であるだけでなく、信者同士のコミュニケーションの場でもある。教会のメンバーになるということは、ひとつの大きなファミリーに属するようなもの。さまざまなイベントや活動、相互扶助のシステムもあるが、なにより強い精神的な繋がりがメンバー間に派生する。こうした特有のカルチャーを知らずしてアメリカでゴスペル・シンガーとなることはほぼ不可能と言えるだろう。
だが、フェスト主宰者側は日本に潜在的なゴスペル・ファンが多いことを知っており、日本人を歓迎するスタンスを取っている。フェストには数年前よりハーレム在住のゴスペル・プロデューサー、打木希瑶子氏が深くかかわっている。今年、日本人として初のコンテスト審査員も務めた打木氏はハーレムにある黒人教会のメンバーであり、ニューヨークでの日本人ゴスペル・シンガーの育成を試みている。同時に毎年、このフェストに”Don’t Give Up”という日本人クワイアを日本から率いて参加させている。日本人独自のゴスペルを目指し、今年は名古屋の和洋楽混成バンドNeo Japanesqueとのコラボ舞台とした。フェストの司会者は”Don’t Give Up”が日本からわざわざやって来たこと、日本ではウーピー・ゴールドバーグ主演のゴスペル映画『天使にラブ・ソングを』の影響でゴスペルが盛んであることを観客に紹介した。
キリスト教社会、アメリカ
ゴスペルに限らず、どんなジャンルであれ英詞であれば日本人には内容理解が難しい。例えば、レディー・ガガがLGBTについて歌っていることは日本でもよく知られるが、曲からそれを聞き取れる日本人は少ない。さらにゴスペルの場合は歌詞全編がキリスト教という、多くの日本人にとって馴染みの薄い信仰に基づいており、内容理解は一層困難だ。
だが、こだわり過ぎず、まずは曲を、音楽を、楽しむスタンスで良いのではないかと筆者は考える。日本人を歓迎するゴスペルフェスト主宰者も、日本人ゴスペル・シンガーを育てようとしている打木氏も、日本人が歌詞を解さず、しかし音楽としてのゴスペルに強く惹き付けられていることは承知している。彼らはゴスペルの音楽としての魅力の大きさも誇りとしており、英詞が理解されずとも歌と歌い手の魂は伝わると信じている。そのとおりである。だからこそ日本には多くのゴスペル・クワイアがある。
初心者は意味が分からないまま丸暗記で歌うにしても、やがて歌詞の内容を徐々に把握するようになる。そこから先、どこまで突き詰めるかは個々人の決めることだ。キリスト教について学び、スピリチュアルなものを感じ、やがてクリスチャンとなる者も出てくる。その中からいつかはアメリカでも通用する日本人ゴスペル・シンガーが誕生するだろう。フェスト主宰者や打木氏が期待しているのは、そこである。
同時にキリスト教徒でなくとも、筆者のように音楽としてのゴスペルのパワーを享受し続ける者もいる。アメリカは人口の7割がクリスチャンと言われており、信者でなくともキリスト教との関わりなくして生活は成り立たない。クリスチャンにとってのゴスペルが神の存在を身近に感じ、神に感謝を捧げるものであるとすれば、アメリカに暮らす非クリスチャンにとってのゴスペルとは、クリスチャンである家族親族、友人、隣人の存在、そしてアメリカ社会の有り様(ありよう)を気付かせてくれるGood News – 福音なのである。
(堂本かおる)
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