「それは僕は、申し訳ないけど、ほとんど考えてない」(利重)
枡野 この本によると、“人の喜ぶ顔が見たくて優しくするのと、悔しがる顔を見たくていじめるのは、要は趣味の問題であって本当はそんなに違いはない。”(p.32)と。
利重 そうですねえ、だって、悪いことするのが好きな人が「俺、悪いこと大好きなんだよお!」ってやってるの見たら、ちょっとスカッとするとこ、ありますもんね。
枡野 ふふふ(笑)。
利重 あの人、ほんっと楽しそうに悪いことするなぁ~って。「いや俺、ほんっとに悪いこと大好きだからよお!」って言われたら、なんかそれ、いいんじゃないかって思うし。
枡野 同じことだと。
利重 SMとかもそうでしょ? 苦しむのが好きだったり、相手をいじめて苦しんだ顔を見るのが好きだという人もいるわけじゃないですか。それはやっぱり、そんなに変わらないんだと思うんですよね。自分がそうしたくてしてるわけだし。ま、相手が嫌だって言ってるのにやるのは、それはやめてあげてとは思うけど。でも自分の気持ちというか欲望には素直だから、そんなに変わるもんじゃないし、いいとか悪いとかじゃなくて、そうしたいということなんじゃないかなぁと。
枡野 それはだから、その組み合わせですよね。
利重 組み合わせです。
枡野 いじめたい人がいて、いじめられたい人がいたら、うまくいく。
利重 そうですそうです。あの、組み合わせが悪いのにやり続ける人はよくないなとは思いますけど。まぁどうやって見極めるかですけどね。やっぱりそれは、一緒に暮らしてみるしかないのかもしれないですね。
枡野 そうですね。会社なんかだと、組み合わせが決められちゃうから、逃げたくても逃げられなかったりしますもんね。
利重 ああ~! でも、会社は辞めればいいじゃないですか?
枡野 僕もそう思いますけど、そう思えない人もいるんじゃないですか? 辞めたくても辞められない人みたいな。
利重 う~~ん。あの、ほんとにそういうことにハマッちゃって、辞められないって信じ込んじゃう人もいると思うんですけど。
枡野 檻の中に自ら入るみたいなね。
利重 だから……、ちょっと今、いいこと言おうとしてるかもしんないんですけど、そういうときにちょっと視点を変えると、「あ! 逃げていいんだ!」と思えたり、「こんなこと全然どうだっていいんだ!」と思えたり、そんな風に視点がピュッピュッピュッと変えられるようなきっかけにならないかなといつも思うんです。自分の文章だったり、自分の映画だったりが。ほんのちょっとだけ角度が変わるだけで、全然世界が変わるよって。モノクロだった世界がバーーン! ってカラーに見えたり。スカーーッとしたりとか。
本当にハマッてしまってるときって他のこと考えられないじゃないですか、人間って。自分は死ななきゃいけないと思い込んじゃったりとか。そういうときに、「な~んでそんなこと考えたんだろう」って思ってもらえるように、角度が変えられないかなぁって思うんですよね。
さっきのことで言うと、「会社だって辞められるよお!」って思うし。実際、自分が辞められないと思っていても、会社の方が潰れちゃうことだって多いわけですし。そんなことをね、よく、思うんですよね……。
枡野 確かに(利重さんが作るのは)そういう作品ですよね、いつも。映画も本も。
利重 なんかね、ずっとそうなんです。俺が作る作品はずっとそうなんです。ちょっとだけ角度変えてみたらどうですかっていうことなんですね。「変えなさいよ!」って言ってるんじゃなくて、「他にもあるよ」って言ってる。「そうすると全然違って面白いよ」って。だから強いメッセージ性は実はなくて、まだまだ面白いよ、いろんなこと――っていうのが伝えられればいいのかなぁっていう、そんな気がします。
枡野 そうですね。
利重 でも一緒じゃないですか、枡野さんも? 歌もそうじゃないですか? 単純にそれをメッセージとして伝えるんじゃなくて、一番最初に言ったように、言葉が相手の中に入った瞬間に全然違うものが生まれる、想像力が生まれる。映画も、100人の人が観たら100本の映画が生まれると思ってるわけですよね。それと同じように、やっぱり100人の人がひとつの歌を読んだら、ひとつの歌は100個の歌に変わるわけじゃないですか。そのことが面白いと思うんですよね。
ただ、どれだけ説明不足にできて、説明不足で尚且つ、その人の中に広がるように……。ただ「わからない」っていう状態じゃなくて、「わかるような気がする」とか。それは、自分はこんな経験があって、こんなときにこんなこと思ったんだっていうのをきっかけにして作ると、意外と相手に伝わったりするじゃないですか。
枡野 そうですよねえ。
利重 個人の強烈な体験、それは悲しいことだったり恥ずかしいことだったりするほど、「ああ~わかる!」って大概言われるんですよね、そういう話のほうがね。一般的な話じゃなく、自分にとっての特殊な話をすると「わかる!」って(笑)。そして、「私もこういうことがあった!」ってワーッて相手も話し始めて、それでコミュニケーションがとれたりして盛り上がるんだけど、そういうことなんじゃないの?
枡野 かえって特殊なエピソードのほうが通じたりしますね。
利重 ですよねえ。
枡野 僕も一応、自分のしてほしいことを人にもするようにはしているんですよ。だけどあまり喜ばれないことが多くて……それがちょっと悩みですね(笑)。
利重 いやいやいやいや(笑)。
枡野 でも、それがハマる人もいるから。このシリーズでも対談した(歌人で作家の)加藤千恵さんという人は、高校生の時に僕に短歌を見せてくれて、その短歌がとても素敵だったので僕が勝手に本を出す手続きをして出版して、今は売れっ子作家になってるんですよ。その人とかは、その人と僕の需要と供給があったというか、僕のおせっかいが役に立ったケースだけども。でも僕の結婚相手の人とかは(すでに出会った時には)売れっ子漫画家だったので、一切僕のメリット……いいところを味わわずに、嫌なとこばかりを味わってしまったと思うんですよ。だからすごく悪かったなと思います、そこは。
利重 ああ、そうなんですか……。
枡野 そういうところで後悔して終わっちゃうんですよ、僕は。ああ、ちっとも役に立てなかったなぁって。
利重 役立たなきゃいけない……って思ってしまうってことですかね?
枡野 どうなんでしょう。でもなんか、利重さんのおっしゃることに、ほぼ全然反論する気がないというか、そうそうと思うことしか本にも書かれてなくて……。それでもうひとつだけ(利重さんが本に書かれた言葉を)紹介するとね――
<誰かにかけてもらった一言で救われたことが何度もある。
かけた本人にはそこまでのつもりはなくても、
受けとった方は一生その時のことを思いだし、
感謝し続けているものだ。
この歳になっても、まだ、
人に声をかける練習をしている。
誰かに声をかけられる人間でいたい。>p.116
これもすごく共鳴して、確かに、自分が言ってそんなに覚えてないことでも人がとても大事に思っていることはある……。
利重 はい、ありますねえ。
枡野 自分が生きていて、物書きとしてもし役立つことがあるとすれば、こういうことだと思ってるんです。でもだけど、なんかどうやら、こういうつもりで書いてることが人への嫌がらせになってしまったり……
利重 悲しい思いをすることが多いんですね。
枡野 単純に本が売れなかったりとか。あの、心を込めて書けば書くほど売れないんですよ。
利重 あははは(笑)。
枡野 ちょっと他人事っぽく書いたものは売れたんですよ。『ショートソング』【注】って小説なんですけど。こういうジレンマを僕は抱えてしまってるんですよねえ。
利重 そうなんですか。
枡野 あと利重さんは、自分の作品、映画とかでも、すごく自分で気に入ってるものとその作品への他者からの評価って一致します?
利重 評価ですか? 評価ってなんですかね?
枡野 う~ん……。この本でも“知りもしない大勢にもてはやされるより、大好きな三人にほめられたほうが幸福”(p.94)って書かれてらっしゃるけど……
利重 だから「評価」っていうのは一般的な評価ってことかぁ。それは僕は、申し訳ないけど、ほとんど考えてない。
枡野 そうですかあ。
利重 うん。
枡野 確かに『ぴあ』の自主映画(コンクール)で、僕が好きだった映画を利重さんも好きだというと凄く嬉しい気持ちになるんですけど、でもそれを作った人は落ちちゃってるから、「ああ、落ちちゃったんだ……」と。自分の愛するものが(認められなかった)と思っちゃう気持ちがあるんですよね。
利重 だから、もっと単純なんすよ、俺は。極めて単純なんです。そのときもパーティーで「よかったよ、あれ!」って(その監督に)言ったと思うんですよね。でもそのことが、「あのとき、賞は獲れなかったけど、利重さんだけは“よかった!”って言ってくれたなぁ……」って。そういうことだけが、実は残っていくんじゃないですかね。
枡野 ああ……。そうなんですよね、きっとね。
利重 すごい単純なんですよ。評価を得るとか、賞を獲るとか、売れるとか、全然考えてないですねえ。恥ずかしいくらい考えてない。
枡野 そこがでもたぶん、すごいことなんだと思いますね。僕もあんまり考えてないとこがあったんですけど、さすがにこの(自分の)本とかも、部数が少ない割に売れなかったりすると……。
利重 ふふふふ(笑)。
【第4回の注釈】
■カート・ヴォネガット
1922年生まれ、2007年没。近代アメリカ文学を代表する作家のひとり。『スローターハウス5』、『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』、『スラップスティク』、『国のない男』など代表作多数。
■『ショートソング』
枡野浩一の青春小説。漫画化もされた(作画・小手川ゆあ)。
≪ハーフの美男子なのに内気で、いまだチェリーボーイの大学生、克夫。憧れの先輩、舞子にデートに誘われたが、連れていかれたのはなんと短歌の会!? しかも舞子のそばには、メガネの似合うプレイボーイ、天才歌人の伊賀がいた。そして、彼らの騒々しい日々が始まった――。カフェの街、吉祥寺を舞台に、克夫と伊賀、2つの視点で描かれる青春ストーリー。≫(amazonより)
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■利重剛さん
りじゅう・ごう。1962年生まれ。俳優・映画監督・エッセイスト。
1981年、自主製作映画『教訓I』が、ぴあフィルムフェスティバルに入選。
同年、『近頃なぜかチャールストン』のプロットを日本映画界の巨匠・岡本喜八監督に持ち込み、喜八プロ作品として映画化され、「独立非行少年」役で主演を果し、共同脚本・助監督をも務める。共演者は財津一郎・小沢栄太郎・田中邦衛・殿山泰司・岸田森・平田昭彦などのベテラン名優たちだった。さらに同年、テレビドラマ『父母の誤算』で新しいタイプの不良少年を演じ、鮮烈なテレビデビューを飾り、以後、数々のドラマ・映画に出演する。
1989年、『ZAZIE』で監督に進出し、1996年『BeRLiN』では日本映画監督協会新人賞を受賞。2001年『クロエ』はベルリン映画祭に出品もされた。他の監督作品に1994年『エレファント・ソング』、2013年『さよならドビュッシー』などがある。
エッセイ集に『街の声を聴きに』(日本文芸大賞受賞)、『利重人格』があり、最新作は『ブロッコリーが好きだ。』
(構成:藤井良樹)
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