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就学前教育の就学率95%の日本で、幼児教育の無償化は本当に必要?

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前回、特に不利な環境にある母親に対する最初の1000日(子供が母親のお腹に宿ってから、2歳の誕生日を迎えるまでの約1000日間)の支援の重要性について指摘しました。

6月初旬の経済財政諮問会議で骨太の方針2017の素案が発表され、「幼児教育・保育の早期無償化や待機児童の解消に向け、(中略)、社会全体で人材投資を抜本強化するための改革の在り方についても早急に検討を進める」と明記されました。日本は子供を含めた家族への予算が小さい国なので、最初の1000日も含めた就学前教育の重要性が広く認識され、そのために予算が割かれるようになるのはとても良いことだと思います。

幼児教育が無償化されると家計の負担も減ります。おそらく読者の多くが幼児教育無償化に大賛成でしょう。しかし、幼児教育への予算は増やされるべきだとしても、無償化という方法が望ましいのかどうか、少し考えてみる必要はないでしょうか? これまで何度も書いてきたように、教育について経済アプローチの視点で考える場合、教育のコストに対してどれぐらいのリターンが見込まれるかが重視されます。もし幼児教育・保育が無償化されて各世帯のコストが減っても、そのコストは政府が代わりに負担することになり、結局誰が税金を支払っているかを考えると、無償化に対して十分なリターンが見込まれなければ、「安物買いの銭失い」になってしまいます。

そこで今回は、幼児教育の無償化が本当にいいことなのかについて、お話をしたいと思います。

幼児教育の効果は大きいけれども…

近年、幼児教育の効果の大きさが注目されるようになったのは、ノーベル経済学賞を受賞したJ.J.ヘックマン教授が、幼児教育の効果の大きさを推計した一連の学術論文を発表したことに由来します。

ヘックマン教授の業績は、Heckman Equationというサイトにまとめられていますし、『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)でも幼児教育の重要性が述べられています。幼児教育の収益率は13%にも及ぶと言われており近年の預金の金利の低さと比べるとその収益性の高さが一目瞭然ですが、なぜ幼児教育プログラムの効果が大きいかというと、学力向上による所得向上だけでなく、忍耐力・協調性といった、学力向上の土台・仕事の生産性向上のカギとなる「非認知能力」が上がることによって、所得・健康状況・犯罪への関与が大きく改善されるからです。

しかし、この議論には2点重要なことがあります。それは、ヘックマン教授が分析した幼児教育プログラムは、1)主に貧困層を対象にしていて、(2)とても良質なものであったという点です。

前回の記事で栄養についてお話したので、ここでも栄養を例にしたいと思います。前回、貧困層で栄養不良を経験した子供は脳の発達に悪影響が出て、その影響が生涯続くとお話しました。良質な教育プログラムを通じてこうした子供たちの栄養状況を改善すれば、脳の発達に対する悪影響を抑える効果が見込まれます。しかし例えば、栄養不良状況でもない中間層や富裕層の子供に栄養を2倍与えたからといって脳の発達が2倍になるわけではありません。むしろ食べ過ぎでお腹を壊してしまうのがおちでしょう。また、栄養不良の子供に質の低い栄養価の悪いジャンクフードを大量に与えた所で、それは脳の発達にはあまり寄与せず、その子の肥満化を促進するだけになってしまうと考えられます。

ここでいう栄養は、教育のことです。つまり栄養価の高い食べ物は良質な教育のことであり、ジャンクフードは質の低い教育のことだと思ってください。ヘックマン教授が分析した貧困層を対象とした幼児教育プログラムが、中間層や富裕層を対象とした場合に必ずしも同様の効果がでるとは限りませんし、たとえ貧困層を対象としていても、教育内容が良質でなければ、やはり同様の結果は出ないでしょう。実際、Heckman Equationのサイトの中でも、質の低いデイケアや幼稚園/保育園へのアクセスを拡大させても同じような高い効果を発揮するわけではなく、やみくもなアクセスの拡大よりも教育内容の質を高めるような教育投資が為されるべきだということが記述されています。

幼児教育の質の高さは、カリキュラムや施設など様々な要因によって規定されます。そして、高度な知識と技能を持つ先生が、きちんと仕事が出来ているかどうかは重要な要因の一つです。では、日本の幼児教育の状況はそのようなものになっているのでしょうか?

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畠山勝太

ミシガン州立大学博士課程在籍、専攻は教育政策・教育経済学。ネパールの教育支援をするNPO法人サルタックの理事も務める。2008年に世界銀行へ入行し、人的資本分野のデータ整備とジェンダー制度政策分析に従事。2011年に国連児童基金へ転職、ジンバブエ事務所・本部(NY)・マラウイ事務所で勤務し、教育政策・計画・調査・統計分野の支援に携わった。東京大学教育学部・神戸大学国際協力研究科(経済学修士)卒、1985年岐阜県生まれ。

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幼児教育の経済学