「エロの分配」はホモソーシャルの特徴
前川 清田さんはどうだったんですか? なぜヘテロ男性である清田さんがホモソーシャルの問題に関心を持ち、『男の絆』を読んでくれたのか、僕としてはそこが興味深いです。
清田 僕は中高6年間を男子校で過ごしたこともあって、元々「ジェンダー」という概念すら知らずに生きているような人間でした。それがひょんなことから桃山商事の活動を始めることになり、女の人たちから様々な苦悩を聞く中で少しずつジェンダーへの意識が芽生えていきました。ホモソーシャルもそういう過程で知った言葉なんですが、最初は「男同士でつるむのが大好きなマッチョ男子たち」のことを指す言葉だと思っていたんですよ。でも、実際はもっと広い意味──そこには自分自身も含まれている言葉だということを後から知りました。
前川 そうですね。男性である以上、無関係ではいられない言葉だと思います。ちなみに僕も中高ともに男子校だったんですよ。前編で「ホモソーシャルのダメなところは女性を“人間扱い”しないこと」という話をしたけれど、その傾向が最も強いのが男子校出身者です。ジェンダー研究者の江原由美子さんが行った調査によれば、「男子校男子/共学男子/女子校女子/共学女子」の4パターンの中で、男子校男子だけが突出して性差意識が強く、また固定的な性別役割分業(=「男は仕事、女は家庭」といった)に肯定的な意識が強かった(「男子校高校生の性差意識」『フェミニズムのパラドックス』所収)。
清田 思い当たる節がありすぎてつらいです……。高校生のときは女子の善し悪しをルックスでしか判断できなかったし、学校でもみんなから読み飽きたエロ本を集め、ロッカーに管理して別の人に貸し出すというエロ本図書係をやっていました。女性をナチュラルに“モノ扱い”していたからだと思います。
前川 まさにTHE・男子校ですね。「エロの分配」というのはホモソーシャルの特徴なので。でもこれは清田さんの出身校に限った話じゃなくて、ある意味“日本社会の縮図”とも言える。
清田 『男の絆』の帯にも、「この国は巨大な男子校!?」というコピーが書かれていました。
前川 女性との接点がない思春期の男子校生が女子を性的な対象としてしか見られないというだけなら、まだ「イタい」話で済むかもしれない。まさに清田さんがそうだったように、その後の人生で女性と具体的な接点を持ち、女性観が更新される可能性も十分あるので。しかし、明治時代のエリート校はすべて男子校で、そこの出身者たちが国や企業の中心を担い、この国の制度やシステムを作ってきた。そういう視点で見ると、もはや社会的な問題ですよね。ホモソーシャルな日本が抱える課題の根っこには、歴史的な検証を積み重ねていくことでしか迫れないと考えています。