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洋服が工場で作られていなかった時代を論じ、語り継ぐ/『洋裁文化と日本のファッション』井上雅人(青弓社)

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これまで何十年か生きてきて、世の中というのは昨日と今日ではたいして動きがないように見えて案外すごい勢いで変化しているものだと確信するに至った。そのことを特にはっきりと思い知らされるのが、町ゆく人々のファッションの移り変わりである。

流行りの色やかたちはもちろんのこと、それらを支える生産と流通、すなわち衣服がどんなふうに作られ、どうやってひとりひとりの手に届くのか、その産業構造は自分が子どもだった頃と現在とでだいぶ違っているようにみえる。

たとえばユニクロがフリースジャケットのヒットで大躍進したのが1990年代末から2000年代のはじめ。2008年にH&M、その翌年にはFOREVER21が日本上陸。この頃、ZARAも店舗数を急激に増やすなど、低価格でトレンドを意識したファストファッションの存在感がぐっと強く大きくなった。以降、庶民の生活に景気回復の兆しは見えないまま、チープな衣服が大量に流通する時代が続いている。21世紀育ちの世代にはおそらく実感がないだろうけれど、20年前、いやおそらく10年前でも、洋服は全般的に一点一点がもっと高価で、いまよりちょっと特別なものだったのだ。

20世紀の最後の四半世紀には、インポートブランドがあこがれの的になったり、国産DCブランドが一世を風靡したり、個人の好みや立場の問題よりももっと大きな枠組でのさまざまな流行があった。さらにさかのぼれば、洋服を手に入れる手段として「既製服を買う」ことが第一の選択肢となったのは、過去50年ほどのことだといわれている。1960年代半ばまでは、洋服は家庭内で、または仕立屋に注文して作るのが一般的だった。つまり、いわゆる団塊の世代が子どもの頃に親から与えられていた服は、まだ手作りのものが多かったということになる。

『洋裁文化と日本のファッション』(青弓社)は、そうした「洋服を布から仕立てること」が庶民の生活の一部として必要不可欠な作業だった時代へと読者を案内する。

著者は序章で以下のように述べている。

「洋裁文化とは、洋服を作ることを中心にして、学校、雑誌、デザイナー、ファッションモデル、洋裁店、ファッションショーといった様々な事象から形成された、大衆を主役とした生産と消費の文化のことである。その文化は、一九四〇年代の後半から一九六〇年代の半ばにかけて、昭和で言えば二〇年代と三〇年代の昭和中期にかけて形成され、消滅していった」

第二次世界大戦後の日本で、大衆の日常着が和装から洋装へと切り替わってゆくのと共に花開いた「洋裁文化」。近年のNHK連続テレビ小説『カーネーション』『とと姉ちゃん』『べっぴんさん』を思い出す人もいるだろう。いまではおおかた消えてしまった、しかし今日のアパレル産業の下地となった文化の実態を、著者は当時のデザイナーの活躍(デザイナーという職業のありかたの変遷も含む)、ミシンの普及と洋裁学校の来歴、ファッション情報を伝える雑誌の歩み、洋裁店とファッションショーなど、さまざまな角度から描き出す。

また、戦後の話題が中心になってはいるが、戦中・戦前からの連続性にも目を配りつつ、人々の身体観の変化や消費社会の形成の道程をたどってもいる。戦中の「総動員体制」はすべての国民に軍人となることを求め、合理性が重んじられた結果、いうなれば性別や階級を超えた「身体の平等化」がすすみ、女性たちは自らの活動的な身体を発見した。その基盤のうえに戦後の「民主化」の実践として洋裁ブームが起こったという指摘は重要だ。

共に大正時代に設立され、戦争が終わる頃にはしっかりした経営体制とカリキュラムを整えていた文化服装学院とドレスメーカー女学院(現Doreme ドレスメーカー学院)が洋裁ブームをリードし、覇権争いを繰り広げていたというのも面白い。後々までかたちを変えて継承されてゆく服飾専門学校カルチャーの源流だ。

歴史資料や関係者の証言のほか、当時の映画や小説で洋裁に携わる人々がどのように描かれていたかも引きつつ、激動の消費社会黎明期の光と影が映し出される。これまで歴史の研究者や語り手が社会的地位の高い男性に偏っていたこともあって、一般的な戦後史や文化史だけでなく、大衆史や作家主義的なファッション史からもこぼれ落ちてしまいがちだった生活文化が、改めて論じられる意義は大きい。21世紀の若い人たちにとっても、祖母が生きていた昭和の時代がいったいどんなものだったのか思い描く助けとなることだろう(中高年にとっては母が生きていた時代だ)。

こうして主に終戦から1960年代までの人々と衣服との関わりを紹介してきたこの本は、洋裁文化が既製服の文化にその支配的な地位を明け渡して久しい1984年に勃発した、吉本隆明と埴谷雄高のいわゆる「コム・デ・ギャルソン論争」の検証で締めくくられる。洋裁文化の最盛期と現在とのちょうど中間に位置するようなこの時期の議論は、過去と現在はたしかに地続きなのだと読者に念を押しているようだ。私たちはずいぶん遠くまで来て、装いに関してもかなり幅広い選択肢を獲得したけれど、個人の自由を祝福するのと同時に弱者を搾取するアパレル業界の、いや社会全体の構造はいまもたいして変わっていない。昭和のリアルに興味のある人はもちろん、これからのファッションのありかたを探る人にもおおいに参考になりそうな一冊だ。

野中モモ

ライター・翻訳家。著書『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』(筑摩書房)。訳書『バッド・フェミニスト』ロクサーヌ・ゲイ(亜紀書房)、『つながりっぱなしの日常を生きる』ダナ・ボイド(草思社)、『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』(太田出版)他。

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