社会

男性同性愛者による「憐れみの戦術」と「数の戦術」/前川直哉『〈男性同性愛者〉の社会史』

【この記事のキーワード】
『〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』(作品社)

『〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』(作品社)

「たくましい男性のグラビアをもっと載せてほしい」という投書を読めば「分かるわ―」とうなずき、「女性と結婚して隠れて男と逢瀬を重ねるのが理想」という投書を読めば「ふざけんなよ」と思う。当事者が雑誌に投稿した語りの引用に共感したり反発したりしながら、すっかり雑誌読者の気分になって私が読んでしまった本、それが前川直哉さんの『〈男性同性愛者〉の社会史』(作品社)である。

とは言え、この本は男性同性愛者の面白投稿を集めただけのものではもちろんなく、むしろかなりハードな学術書である。1920年代から1980年頃の日本において、男性同性愛者としてのアイデンティティを持った当事者たちが自らの3つの悩み(「周囲に自らの性のあり方を打ち明けられない」「相手を探したい」「異性と結婚すべきか否か」)の解消をどのように試みたかを、各種雑誌(と新聞)の読者投稿欄の分析によって明らかにする力作である。

鍵となるのは「憐れみの戦術」「数の戦術」という当事者の行為の2つのパターン。この鍵をもとに本書の内容をまとめると次のようになる。

1920年代に〈男性同性愛者〉としてのアイデンティティを獲得した当事者たちは、『変態性欲』などのいわゆる「変態雑誌」上で自らの悩みを吐露し始める。そこで用いられたのが、「せめて此の不自然な、悲しい同性愛者に一言でいゝから、暖かい御言葉を戴きたう御座います」との投稿のような、医者などの「エライ人」の同情を期待する「憐れみの戦術」に基づく語りであった(第1章)。

1950年代以降、「変態雑誌」の編集方針に対し、男性同性愛者の読者は自らが欲する(性的な)コンテンツが少ないとの不満を持つようになる。男性同性愛者の読者の多さに訴える「数の戦術」によって、最終的には男性同性愛者向けに特化した雑誌が創刊される形でこの不満は解消されていく。結果として、「周囲に自らの性のあり方を打ち明けられない」「相手を探したい」という悩みもまた少しずつ解消されることになった(第2章、第3章)。

残る1つの悩み、「異性と結婚すべきか否か」については、1950年代以降1980年頃までのさまざまな雑誌において、「結婚しつつ、妻に内緒で男性とも交際する」選択が多くの男性同性愛者に支持されていた(第4章)。本書が対象とした1920年代から1980年頃にかけて続く、男性同性愛者同士による水面下での交流に基づくこれらの悩みの解消を、著者は「クローゼットへの解放」と呼んでまとめる。

この本のよいところを2つ挙げたい。まずは、丁寧に資料を読み込んで書かれたにもかかわらず、整理が巧みなおかげですらすらと読めるところである。一つ一つの要素を細かく検討する歴史学の本を読むといつも迷子になる私でもすんなりと読めたのは、3つの悩みと2つの戦術というポイントに要所要所で立ち寄ってくれる構成のおかげだと思う。もちろん、全体像の明快さだけでなくディテールの分析の魅力も十分に兼ね備えている本であることは言うまでもない。

もう一つは、ジェンダーへの繊細なまなざしを常に備えているところ。結婚した女性に家事労働を負担させ、自分は隠れて男遊びをしておいて「男の肉体を追求し、男とつきあったって、世間なみの浮気と事ちがい、それで細君が不幸になるわけじゃない」とのたまう投稿にはっきりと現れているように、男性同性愛者の悩みの解消は時に「男の身勝手を男同士で許し合っているだけ」でしかない。このことへの著者の批判的な視線が気持ちいい。この視点がなければ、本書は「憐れみの戦術」をずる賢くなぞりながら、同性愛という要素を理由に女性差別を免罪する、ダメな同性愛擁護論になってしまっただろうと思う。

ということで、読みやすくて配慮の行き届いたこの本をいろんな人に読んでほしい。補足として、これからこの本を読む人に私から2つほどアドバイスを。

まず、「悩み」の解消法に対して、全面的に共感するだけでなく、反感や疑問のアンテナも働かせて読んでほしい。例えば、女性差別的な解消法を現在の読者である私たちが受け入れる必要はない。また、さまざまな解消法を現代の男性同性愛者のやり方と同一視しないためにもこのアンテナは必要。というのも、この本が取り上げた時代のあと、つまり1980年代以降、HIV/エイズの問題を経験した男性同性愛者は、「クローゼットへの解放」では不十分、やはり社会にカミングアウトして積極的に状況を改善しなければ、という危機感も持つようになったからである。この本の内容を「今」と結びつけつつ「今」と同一視しないセンスが必要だと思う。

また、この本は「日本に男性同性愛者としてのアイデンティティを持つ人々が存在するようになったのは大正期以降のことである」という、多くの人にとって直感的に理解しにくい歴史的事実を前提に書かれている。この事実に明るくない人は、まず第1章を丁寧に読んでこの事実を理解してからそれを前提とした序章を読んで、次に第2章以降を読むというのもありだと思う。あるいは、序章から第1章へと進んだあともう一度序章に戻ってから第2章に飛んでもよいかもしれない。序章と第1章の内容をつかまえれば、第2章以降は一気読み間違いなし。雑誌の読者投稿を読み漁る気分で、ぜひどうぞ。

森山至貴

1982年神奈川県生まれ。現在、早稲田大学文学学術院専任講師。専門は社会学、クィア・スタディーズ。主著に『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)がある。(写真撮影:島崎信一)

twitter:@sankaku_queer

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放