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【第14回】トランス男子のフェミな日常「ゲイといえば痴漢という人たち」

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連載「トランス男子のフェミな日常」/隔週日曜日更新

 あちこちでLGBTについて話をしていると「そういえば自分もゲイの人に会ったことがあるんです」と、自分の痴漢被害体験を語り出す男性たちにしばしば出会う。映画館の隣に座った人や、電車で一緒だった人から体を触られたというアレだ。

 男である自分が性的な被害に遭うなんて思っていないところに、男から触られたので、この出来事をどう処理していいのか分からないのだろう。異性愛男性の多くは、戸惑いながらこの話をする。おそるおそる話をする場合もあれば、「だから同性愛者は気持ち悪い」という感情をあらわにしながら話す場合もあって、後者のときはなんだか胸が痛くなる。単に「どんな場合でも痴漢は良くないし性暴力には反対だ」とシンプルに済ませられたらいいのだけれど、なかなかそうならない。

 あるワークショップで初老の男性がこのような話をしたとき、周りの人たちは一種の怪談をきいているように盛り上がってしまった。えー、そんなことがあったんですか、と悲鳴に似た声が上がる。こんなとき、同時にいろいろなことを思う。

 まずは、異性愛と同性愛の非対称性について。「じゃあ、手を上げなくてもいいですけど、この中に痴漢にあったことのある女性はいますか?」と尋ねてみると、女性のそこそこは自分自身や友人が該当していると答える。このとき加害者の多くは異性愛男性と思われるが、だからといって異性愛者を性暴力と結びつけて考える人は少ない。しかし、同性愛者の場合には、そもそもカミングアウトの問題などから「見えなくさせられている」ので、いとも簡単に映画館の痴漢がゲイ代表になり得てしまう。そういう構造って不幸よね、というのがひとつめ。

 ふたつめは、男性は性暴力や、そもそも性的欲望のターゲットになることが社会の中ではあまり想定されていないので、実際に暴力にさらされた時に男性たちは「そのこと」を語る言葉を持たないのだろうなということ。性暴力にあった男性へのスティグマについては、こちらのページにも詳しい。怪談や冗談めかして話すことはできても、男性にとってシリアスに傷ついた体験を語るのはなかなか大変そうで、社会の中に同性愛嫌悪がある場合には、なおさらだ。

 最後は「男性も被害に遭うことがある」という事実は、性暴力についてみんなが考える際のまなざしを変えるのではないかということ。女性が被害に遭うときには、被害者の服装や振る舞いが良くなかったとか、そもそも自分が誘ったとか言われることがあるけれど、同じことは男性には言われないだろう。痴漢に遭った男性に対して、ひとりで映画館に行き「高倉健」特集を観ていたのがいけない、なんて言う人がいたら結構ヤバいと思うが、ひとりでクラブイベントにいった女性に対しては同じことが言われたりする。自己責任論なんて言われない立場にある人たちは、自分が考えなくて済むことを日々意識させられている人たちがいることを想像してみれば、気がつくことも結構あるのでは。

 今年7月、実に110年ぶりの法改正が行われ、強姦罪は強制性交等罪へと改められた。男性の被害や性的マイノリティへの視点も含まれた内容に変わったが、こうやって並べてみると、被害者や加害者の性別や性的指向によって随分と文脈が違ってしまうものだなと、あらためて実感してしまう。本当は、同性愛嫌悪に関連づけたり、被害者が自己責任論に問われることなく、シンプルに「イヤなものはイヤ」で済ませられたらいいのに。

遠藤まめた

1987年生まれ、横浜育ち。トランスジェンダー当事者としての自らの体験をもとに10代後半よりLGBT(セクシュアルマイノリィ)をテーマに啓発活動をはじめる。主にLGBTの若者支援や自殺予防に関わる。著書に「先生と親のためのLGBTガイド 〜もしあなたがカミングアウトされたなら」(合同出版)ほか。

twitter:@mameta227

サイト:バラバラに、ともに。遠藤まめたのホームページ

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