神々は、男が死ぬ前に楽しめる贈り物を2つ下さった。ヤられたいなと思ってる女とヤるスリルと、自分を殺りたがってる男を殺るスリルだ。
上の引用はHBOのテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』第3シーズン第8話で、傭兵集団のメンバー、ダーリオ・ナハーリスが買春について言うセリフです。ダーリオはその気になったイイ女とヤるのが大好きで、他の傭兵のように強姦や買春に興味がありません。ダーリオは荒くれ者で別にフェミニストや紳士というわけではないのですが、陰惨な性暴力が横行する『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界ではこれだけでわりと倫理的に見えます。
しかしながら実のところ、ヤる気まんまんのエロくてイイ女というのは、現代日本ではあまりそそらない表現なのかもしれません。先月、wezzyに中崎亜衣「ジャンプのお色気、少コミのエッチ。裸かどうかではなく、女性キャラの反応に共通する記号」という記事が掲載されました。この記事のテーマは『週刊少年ジャンプ』の巻頭に掲載された「赤面したり涙目になったりしている女性キャラ」のセミヌードの絵の話題です。中崎はこの描写について「日本におけるエロ描写のパターンのほとんどが<嫌がったり、拒んだり、恥ずかしがったり、涙目になっていたりする女性>という“エロコード”を含んでいる」ことを指摘しています。つまり、自信満々で肉体を披露するのではなく、強要やいたずら、アクシデントなどで体が露わになり、嫌がっている女のエロさを愛でる表現が日本にたくさんあるということですね。
女が主体性やポジティブな性欲を持って自分の肉体で自己表現するのと、主体性を剥ぎ取られて鑑賞の対象にされることの間には同じエロでも大きな差があります。後者のような表現が流行する背景には、女は慎ましくして性欲を持ってはいけない、自分の意志で堂々と美貌や肉体をアピールしてはいけない、という潜在的な抑圧が潜んでいます。
上の記事では日本のマンガをとりあげていますが、実はこのような強要されて嫌がる女をエロいとする傾向にはかなり込み入った歴史的背景があります。今回の記事では、私の専門であるイギリス文学で女の性欲がどのように描かれてきたのかを簡単に解説したいと思います。一般化は難しいのですが、いわゆる英文学の「正典」と呼ばれているような有名作に絞ってざっくり概観します。
中世から近世の文学に登場する性欲満々の女たち
現代日本では、性欲は男の本能なので我慢できないとか、女には理解できないくらい男の性欲は強い、というようなことがよく言われていますが、こういう認識は多分に歴史的に作られたものです。
中世ヨーロッパの人々は、女のほうが男よりも肉体の誘惑に弱い、つまり性欲が強いと思っていました。聖ヒエロニムスは「ヨウィニアヌスへの駁論」という文章で、「娼婦や姦婦だけではなく、女の情愛は一般に飽くことを知らぬものとして非難される。消せば燃え上がり、たくさん与えればまたほしがる」(p. 594)と、女の情欲をボロカスに言っています。中世の人々が女の性的主体性、つまり性欲を持ち、ムラムラしたり意中の相手を口説いたりする権利を認めていたというわけではありません。中世キリスト教の、女は男より意志が弱く劣っているので、結婚で性欲を管理しないといけないという性差別に基づくものでした。
私が専門にしているウィリアム・シェイクスピアは中世ではなく近世の劇作家ですが、シェイクスピア劇でも女は性欲を持っています。以前にこの連載で取り上げた『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラは抜け目ない政治家である一方、性欲全開でやることなすことなんか全部エロい、セクシーな中年女性です。『ハムレット』ではハムレットが母ガートルードについて「弱き者よ、汝の名は女なり」(第1幕第2場146行目)と言いますが、ここで想定されている主要な女の弱さは性欲に負けることです。真面目ちゃんのハムレットは、中年になっても色っぽくてすぐ再婚した母の性欲が嫌なのですね。
性欲満々なのは子持ちの中年女性ばかりではありません。初恋に身を焼く清楚な乙女にも性欲があります。『お気に召すまま』のヒロイン、ロザリンドは、一目惚れの相手オーランドーがいなくて憂鬱なのですが、いとこで親友であるシーリアに追放の身であるお父様のことが心配なのかと聞かれて「ううん、私の子どものお父様のことなの」(第1幕第3場11行目)と露骨にセックスを想像させる言葉で恋を打ち明けています。
『ロミオとジュリエット』でも、ジュリエットは自分からロミオに求婚し(第2幕第2場)、早く初夜が来ないかウキウキしています(第3幕第2場)。近世のイングランドでは婚前交渉を行った女性は社会的に抹殺されるリスクがあったのですが、少なくともお芝居では清純な乙女が結婚を考えている恋人にムラムラするのは悪いこととはされておらず、性欲は乙女心の一部です。
性欲が無いのにエロく描かれる、近代小説のヒロイン
わりと性欲旺盛だったイギリス文学のヒロインですが、近代小説が発展し始めるとともに性欲を露わにしなくなっていきます。いったい何が起こったのでしょうか。
この謎については、近代イギリス小説の始まりを論じた『小説の勃興』でイアン・ワットが興味深い分析をしています。18世紀のイギリスでは個人主義的な倫理観が尊ばれるようになり、理性によって衝動を抑えること、とくに男女ともに性的に純潔であることが「至高の美徳」(ワット、p. 218)と考えられるようになりました。純潔は男女両方に適用される規範なので、仕事や学問で才能を発揮する機会が極めて限られていた女性でも、この分野では優れた模範になるチャンスがあります。
さらに18世紀末のイギリスでは、宮廷や貴族など上層の階級で性が乱れていると考えられており、ビジネスで富を得た新しい中産階級はこれに対抗する潔癖な性道徳を称揚しました(ワット、pp. 220–221)。結婚についても情熱や欲望ではなく、理性や友情が尊ばれるようになりました。ワットによると、「新しいイデオロギーは女性にまったく性的感情をもたないでもよしとした」(p. 223)そうで、女性が性的なことを口にするのもはしたないこととされるようになりました。
こうした中でイギリス文学のトレンドを大きく変えることとなったのが、サミュエル・リチャードソンの長編小説『パミラ、あるいは淑徳の報い』(1740)です。亡き女主人の息子B氏に目をつけられたヒロインであるメイドのパミラは、婚前交渉などもってのほかということで誘惑を拒みます。誘拐、監禁しレイプしようとすらしたB氏ですが、結局はパミラの貞淑さに感化されて正式に結婚することになります。今読むと、単なるセクハラクズ野郎のB氏が、改心したとはいえパミラの夫におさまるのはあまりにも強引でずいぶん古い話に思えますが、書簡体を用いたリアルな心情表現は近代イギリス小説の嚆矢というにふさわしいものです。
パミラのある種の新しさとして、性的な潔癖さがあります。パミラはジュリエットやロザリンドに比べると全然、性欲を示しません。この小説は大ブームになり、模倣作が次々生まれ、大きな影響力を持つようになりました。ワットは史料や先行研究を駆使しつつ、この小説以降の英文学について以下のようにまとめています。
手本であるヒロインは年若くうぶでなければならず、身体的、精神的に非常に繊細でセックスを求めて言いよられると気絶するようでなくてはならないのであった。本質的に受け身で、正式の婚約が結ばれるまでは自分を崇める求婚者になんの感情ももたない、パメラはそういう女性であり、ビクトリア朝時代の終わりまで、物語のヒロインのほとんどはそういう女性であった(p. 224)。
こんな性欲の無いパミラですが、B氏のせいで何度も性暴力の危険にさらされます。この本を読む読者はおそらく貞操の危機にさらされるパミラの意図せざるエロさにけっこう惹かれて読み進んでいたはずで、発表当時は淫らな作品だという批判もありました。全然、主体的な性欲を持っておらず、女性にふさわしいとされる慎みをたっぷり兼ね備えている一方、外側からの圧力で性的なトラブルに遭いまくる、自分ではエロいつもりが無いのに思いがけなくエロいことになってしまうヒロインの爆誕です。恥ずかしがるエロい処女パミラは、異性愛者男性の性的ファンタジーにとってとても都合の良い存在です。
ヴィクトリア朝のダブルスタンダードから世紀末へ
この後、ヴィクトリア朝からエドワード朝時代にかけてのメインストリームの文学では、女性が性欲をおおっぴらにする描写は非常に少なくなります。以前紹介した『嵐が丘』のようにセクシーな恋愛小説はあるのですが、女の性欲の表現ということになるとあまりはっきりしません。
一方でヴィクトリア朝といえばポルノです。最近、公開されたパク・チャヌク監督の韓国映画『お嬢さん』の原作、ヴィクトリア朝を舞台にしたサラ・ウォーターズの『荊の城』(2002)には膨大な秘密のポルノコレクションが出てきますが、あれはあながち史実から外れた表現というわけではありません。
18世紀のヨーロッパではわりと先鋭的な作家がエロティックな作品を書いていたりしたのですが、ヴィクトリア朝のイギリスではメインストリームの文学から女の主体的な性欲に関する表現がほとんどなくなる一方、そこから分かれたアンダーグラウンドなポルノが内密に読まれるようになります。ヴィクトリア朝の性道徳は、女に貞淑さを求める一方、男の性的純潔は建前だけで、こっそり買春したり、下の階級の女に手を出したりするようなこともしょっちゅうでした。主流文学とポルノの分化はこうしたダブルスタンダードのひとつの反映でしょう。
世紀末になるとちょっと事情が変わってきます。世紀末芸術のファム・ファタルは旺盛な性欲で男を食い尽くす悪女です。一番個性的なのは、ゲイで唯美主義者だったオスカー・ワイルドのヒロインでしょう。『サロメ』(1891)のヒロインは若い乙女ですが、一目惚れしたヨカナーンに熱い欲望を抱き、その美貌を褒めまくります。面白いのは、ワイルドのお芝居では悪女でなくともカジュアルに男性の美貌を褒めることです。『真面目が肝心』(1895)のグウェンドリンは求婚者アーネストについて「なんて素敵な青い眼をしてるの!」(第1幕437–438行目)と本人の前で容姿を褒めます。近代イギリス小説の慎み深いヒロインに比べると、男性の美貌を評価対象にするワイルドのヒロインたちはかなり現代風で、後にくるモダニズムの文学を予告するものになっています。
まとめ
中世から19世紀末頃までのイギリス文学における女性の性欲をかなりざっくり振り返りました。我々が考える「性欲」というものとその描写が非常にその時々の社会通念に左右されるものであることがなんとなくおわかりいただけたらいいなと思います。
性的なものが溢れているように見える現代日本ですが、『ジャンプ』の巻頭挿絵や所謂ラッキースケベ表現などが流行しているところを見ると、我々はまだヴィクトリア朝人、しかもものすごく社会的に性欲を規定され、固定観念にとらわれたヴィクトリア朝人なのかもしれません。
こういう状況は女性にとってはあまり良くないものだと思います。主体性を持って性欲を表現するのははしたない、慎ましくかつエロくないといけないというような規範が女性だけに適用されるのは不公平ですし、性欲も主体性もある女性を苦しめることになります。もしちょっと抑圧がキツいなと思ったら、女性の性欲をポジティブに描いた作品を手にとって読んでみてほしいと思います。イギリス文学にはクレオパトラとかロザリンドみたいな古株をはじめとして、いろいろなヒロインがあなたに読んでもらうのを待っていますよ。
※この記事では、戯曲及び聖ヒエロニムスの引用は全て文献リストにある英語版を自分で翻訳していますが、イアン・ワット『小説の勃興』は日本語訳を引用しています。
文献一覧
サラ・ウォーターズ『荊の城』全2巻、中村有希訳、東京創元社、2004。
ウィリアム・シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』小田島雄志訳、白水社、1983。
ウィリアム・シェイクスピア『新訳ハムレット』河合祥一郎訳、角川文庫、2003。
ウィリアム・シェイクスピア『新訳ロミオとジュリエット』河合祥一郎訳、角川文庫、2005。
ウィリアム・シェイクスピア『お気に召すまま』小田島雄志訳、白水社、2008。
リン・ハント編『ポルノグラフィの発明―猥褻と近代の起源、一五〇〇年から一八〇〇年へ』正岡和恵他訳、ありな書房、2008。
スティーヴン・マーカス『もう一つのヴィクトリア時代――性と享楽の英国裏面史』金塚貞文訳、中央公論社、1990。
サミュエル・リチャードソン『パミラ、あるいは淑徳の報い』原田範行訳、研究社、2011。
ミシェル・フーコー『性の歴史』全三巻、渡辺守章訳、新潮社、1986。
オスカー・ワイルド『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』西村孝次訳、新潮文庫、1953。
イアン・ワット『小説の勃興』藤田永祐訳、南雲堂、1999。
Vern L. Bullough and James Brundage, ed., Handbook of Medieval Sexuality, Routledge, 2013.
Jerome, St., Against Jovinianus, The Principal Works of St. Jerome by St. Jerome, ed. by Philip Schaff, trans. By M. A. Freemantle, Christian Literature
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William Shakespeare, Antony and Cleopatra, Arden Shakespeare Third Series, ed. by John Wilders, Arden Shakespeare, 2006.
William Shakespeare, Hamlet, Arden Shakespeare Third Series, ed. by Ann Thompson and Neil Tayler, Arden Shakespeare, 2006.
William Shakespeare, Romeo and Juliet, Arden Shakespeare Third Series, ed. by Rene Weis, Arden Shakespeare, 2012.
William Shakespeare, As You Like It, Arden Shakespeare Third Series, ed. by Juliet Dusinberre, Arden Shakespeare, 2006.
Robert Palfrey Utter and Gwendolyn Bridges Needham, Pamela’s Daughters, The Macmillan Company, 1937.
Oscar Wilde, The Importance of Being Earnest and Other Plays, ed. by Peter Raby, Oxford University Press, 2008.
‘Pamela by Samuel Richardson’, British Library, 2017年7月23日閲覧。