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男が男を変えるべき。「社会が悪い」に逃げない「わたくしごと」の男性学を/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【2】

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自分の存在が誰かの脅威になっているかもしれない

――シスジェンダー(性別に違和感を持たない)・ヘテロセクシュアル(異性に対して性欲を抱いたり恋愛感情を抱く)男性が中心の社会で、男性に働きかける一方で、子どもへの教育も重要かと考えます。最近、報道でも目立つ性暴力に関しての反応などを見ていても、性交の同意問題、性の自己決定権、多様な在り方の包摂など、性教育がやはり肝心なのではと。

平山 男性の性欲は強くて「暴発」しやすい、だから、女性がそれを刺激しないように気をつけようとか、私たちが性に関して「これがふつう」と信じてきたことはたくさんあります。そういう「ふつう」の多くが、男性にとって都合よくつくられてきたフィクションだということを、きちんと理解してもらうことは大事ですよね。

――そういう意味では、親や周囲の大人からの何気ない「男の子は女の子よりワイルド、女の子は男の子より礼儀正しい」という価値観、もっと言えば妊娠中に、子どもの性別が女の子とわかると母親の顔つきに対して「優しくなった」みたいな物言いが、子どもに対して良い影響を与えないのでは、と考えたりします。

平山 そういう「ふつう」に沿って男女の関係をつくれば、女性が心身ともに無理を強いられてしまう。だから、「ふつう」の性を前提とした性の「自由」は、男性が女性を性的に搾取する自由にほかなりません。「自然」で「ふつう」の関係のなかには不平等があらかじめ織り込まれているんだ、ということ。そして、性の自由とは、本来そういう不平等を強いられないことなんだ、ということを、若いうちから徹底的に理解させることは必要です。

――平山さんは、『介護する息子たち』を書かれたきっかけを、女友達との関わりにおいて男女の「力の不均衡」を感じたり指摘されたことだと、あとがきで書かれていましたよね。

平山 私は小さい頃から、異性の友達に囲まれていました。でも、そうやって男の子がひとり異物として女の子の集団にいると、幼稚園や小学校の先生が明らかにやりにくそうだったんです。言葉遣いだったり、しぐさだったり、女の子だけならいくらでも「きちんとして」とまとめて注意できるのに、男の子にはそこまでうるさく言う必要がないと思っているからですよね。でも、そうやって「男の子なんだからそんなこと気にしなくていいよ」「男の子はがさつなくらいが丁度いい」みたいに、自分は気にしなくていい、周りが気にしてくれる状態を小さい頃から周りがつくってあげすぎた成れの果てが、今の男性のナチュラルな傍若無人ぶりを生んでいるんじゃないかと思っています。

ジェンダー論の大先輩のある大学の先生が先日、「男の人の身体が大きいのは生物学上しょうがない、でもこの身体で足を開いて椅子に座ったら邪魔じゃないのかな? って考える配慮はどこに行ったのかな?」と言っていました。これって、ジェンダー関係を考える上で、すごく示唆的です。身体のサイズと同じく、性に関する「ふつう」も、男性にとっては自分の意図とは関係なく、最初から自分の手元にあったもの。そういう意味では本人にとって「自然」なのかもしれませんが、だからといってそれに開き直るのは、パワーの濫用なんですよね。自分の身体のサイズが「自然」に大きいのなら、それと比較して「自然」にサイズが小さい人もいるはず。大きい人が開き直っていると、小さい人はひたすら我慢し続けなければいけません。自由って、そういう「自然」な状態で起こりうるパワーの違いを是正するための概念のはずなのに、「自然」な不均衡が原因で抑圧される誰かのことなんて気にしないで済むことを自由だと思っている人が多すぎます。

――まず男性にできることとして、電車の中で周りを気にして姿勢正しく座れ、と言いたくなりますね。それは前編でおっしゃっていた夫婦やカップルの話、身近な人、目の前の人に対してどう配慮するか、という話と通じます。無自覚にどーんと座ってたら邪魔だろっていう。

平山 自分の存在がもしかしたら相手を脅かしているかもしれない、居心地の悪い気分にさせているかもしれない、その可能性はないかな? と男性が気をつけて考えるようになるだけで、ジェンダー関係は変わり始めると思うんですよね。

――単純に、身体の大きい人が目の前にいて、威圧的な態度のつもりはなくても、何か言われると怖いと感じたりしますよね。

平山 そうそう、それはありますよね。身体の大きさの違いは意図的に生じたものではない。けれど、だからこそ、普通に頼んでいるつもりでも、相手にとっては威圧的になっているんじゃないか? と配慮して関わるのと、「おまえより身体がデカいのは俺のせいじゃねーし」みたいな態度で関わるのとでは全然違うわけですからね。

――男女間で対話ができないのはひょっとしたらそういった側面もありそうですよね。もう怖いから自分が気をつけよう、我慢しよう、と女性側が思って萎縮したり。

平山 女性が慎重になってしまうことはよくありますが、それを男性は「女の人が自発的にやった」「自分が無理にそうさせたわけじゃない」って言い切ってしまう。介護や家事などのケア役割についても、「別にカミさんにやれって命令したわけじゃねーし」と無責任になるのではなくて、どういう力が働いて女性側が「自発的」に担っているのか、少し考えてみてほしい。自分の目からは自発的に見えるものを疑うこと、見かけの自発性に開き直らない態度が必要です。

――無自覚な影響力と言えば、セクハラのことも思い出されます。セクシュアルハラスメントがセクハラと略され、軽々しく扱われているけど、「それって力関係の不均衡に基づく性暴力だからね」って思います。

平山 性的なニュアンスの言葉を言わなきゃセクハラじゃない、みたいな、ハラスメントを矮小化するような理解には辟易しますよね。重要なのは、構造上、立場上、圧倒的なパワーの差があって、相手の言動に拒否したり反論したりできない場合があるっていうこと。それに気付かない、あるいは気付こうともしないで自分の好きにふるまうことが、ハラスメントですよね。罵倒してないんだからパワハラじゃない、とかいう誤解・曲解もそうだけど、目に見える表面上の言動だけを取り上げて状況を都合良く解釈すること、それ自体が権力であり暴力なんだってきちんと理解してほしいですよね。

――ハラスメントは直接的な暴力や言動とは限りません。介護上の問題として、息子が親を気遣ったケアのつもりが、相手の意思を無視した暴力になる可能性を平山さんは書かれていましたよね。職場や学校でも起こり得ると思います。

平山 自分の意思とは関係なく持ってしまう権力に敏感になる、っていう、社会関係の当たり前があまりにもおろそかにされています。本書で言いたかったのも、そういう話なんですよね。悪意を持って脅かそうとしているかどうかではなく、意図とは関係なく、あなたの今のあり方自体が目の前の人を威圧したり脅威になっていないかっていうこと。それに一人一人が気づいて、意図とは別にできあがる力関係を恐れるところからしか、自由で平等な社会はありえないんです。もちろん意図を持って相手を脅かしたり搾取したりするのは論外です。

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鈴木みのり

1982年高知県生まれ。集英社『週刊プレイボーイ』編集者にナンパされ、2012年より雑誌などに記事を寄稿しはじめる。2017年より『週刊金曜日』書評委員を担当。第50回ギャラクシー賞奨励賞受賞(上期)ドキュメンタリー番組に出演、企画・制作進行協力。利賀演劇人コンクール2016年奨励賞受賞作品に主演、衣装、演出協力などを担当。2012年よりタイ・バンコクでSRSを受けるMtFを取材中。(写真撮影:竹之内裕幸)

twitter:@chang_minori

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介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析