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男が男を変えるべき。「社会が悪い」に逃げない「わたくしごと」の男性学を/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【2】

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「男らしさのプレッシャー」を濫用する男性学

――力関係の差に無自覚な男性に考えさせるためにどうすればいいのか、ってことも考えなきゃいけない、というケアも女性はじめ立場の弱い側が担わないといけなくなるわけですもんね。

平山 それはやっぱり男の仕事ですよね。前編でもお話ししましたが、それを気付かせる役割を女性がしなきゃいけない限り、男性の優位は揺るがない。ジェンダー関係を本気で変える気があるなら、男性は男性に対して訴えていかないと。男性の抑圧性を指摘する女性に対して、一所懸命「自分は違う」「そんな男性ばっかりじゃない」と訴える男性がいますが、第一に、すべての男性がそうじゃないことなんて、女性だって知っています。第二に、自分は「そんな男性」じゃないとしたら男は「そんな男性」を何とかすればよいだけのこと。逆に、女性に訴えるばかりで「そんな男性」の対処自体は誰かに任せているのだとしたら、「そんな男性」の方には手を出さないという意味で、男性の抑圧性を黙認しているのと一緒です。

――そうですね、例えばいじめの現場で黙認する側にも加害性が生じる、ということに構造として似ていると思います。

平山 「ジェンダー平等な社会をつくるために、女性はもっとこうするべき」みたいな「助言」をする男性もそうですが、そうやって女性にばかり何かを訴える男性は、ジェンダー関係を変える上で意味がないだけでなくて、むしろ障害です。

ジェンダー関係を是正するための取り組みとしては男性学もありますが、少なくとも日本においては良い影響があったかどうか、わかりません。男性学は、「男はこうでなくては」というさまざまな期待のもとで男性があえいでいる抑圧を指摘するとともに、そこからの解放を訴えてきた、というまとめに異論を唱える人は少なくないと思います。ただ、繰り返し強調しているように、ジェンダー関係の是正のためには、男性がいつの間にか持ってしまう優位性に意識的になることが必要なんですが、男性の受ける抑圧にフォーカスする男性学が、そこをどう解決できるか、というのが見えてこないし、むしろ、そこのところに問題意識をもっているようには感じられないので。

――このあたりは前編でもお話が出た点で、平山さんは『介護する息子たち』で丁寧に批判されています。

平山 もう一つ、男性学が男性の受ける抑圧を主張することで、男性も女性と同じジェンダーの被害者である、という理解が浸透しつつあります。それは、男女の非対称性を問題にしてきたフェミニズムの取り組みとは必ずしも相容れないし、むしろ「男性=被害者」の図式を濫用して、男性のほうが差別されているんだ、というような、意図せぬ優位性をまったく無視した主張に力を与える結果になっています。今年の『週刊金曜日』(6/9号)での北原みのりさんの寄稿で指摘されているんですが、「男性=被害者」の主張は、現状のジェンダー構造を変えるために役立ったのではなく、(ジェンダー論やフェミニズムへの)バックラッシュに加勢しています。

――田中俊之さんは『男がつらいよ』(KADOKAWA)の中で、日本人男性の自殺率の高さを取り上げ、日本の過剰労働を紐づけて「男の生きづらさ」だ、とまとめているように読めました。自殺するほど男は追い詰められているのだと言わんばかりです。

平山 男性の自殺率は、もともとは、男性が追い詰められたときに取る選択がなぜ自殺なのか? ということを問うためのデータだったはずです。例えば、男性が自殺に向かうのは、支配の志向を手放せないからだ、という説明があります。つまり、経済力や社会的地位によって他者を支配できなくなったとき、自分がコントロールできる最後の相手として選ぶのが自分自身である。自分自身を自分の自由にできることを示す究極の手段のひとつが、自殺なのだという説明です。つまり、自殺率のデータは、男性が支配の志向にこだわり続けてしまう問題を反省的に問うためのものであって、それを「生きづらさ」の指標にするのは適切とは思えません。過剰労働が心身を蝕む、という主張には賛成しますが、自殺率を「生きづらさ」の指標にすると、男性よりも自殺率の低い女性は、こんな性差別的な社会でも「生きづらく」ないということになります。田中さんもまさかそんなことは思っておられないでしょう。

――辛いから自殺に向かうんだと単純に説明する「男性学」がもてはやされる状況は、むしろ暴力的に見えます。もちろん、ある特定の男性の中には男性というジェンダーだけでなく、経済、障害、国籍、人種などさまざまな社会階層があって、それが深刻なダメージを生む可能性も重要な課題なので、そういう議論を、という話ならわかりますが。

平山 自分の言動を、社会による期待みたいな「外から来る何かのせい」にすぐに繋げるのは慎重になった方がいいです。男性学も本来は、自分のなかの何が原因なのか? っていう内省的な取り組みのはずだったのに、そこが省略されて構造に原因を求めるばかりで、かえって自分自身の志向を問い直す方向から外れてきている気がしますね。フェミニズム・女性学の姿勢を、私たち男性はもう一度真摯に学び直すべきですよね。男性は、フェミニズムが言語化してきた「社会による『らしさ』のプレッシャー」についてだけを濫用してきたように思います。

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鈴木みのり

1982年高知県生まれ。集英社『週刊プレイボーイ』編集者にナンパされ、2012年より雑誌などに記事を寄稿しはじめる。2017年より『週刊金曜日』書評委員を担当。第50回ギャラクシー賞奨励賞受賞(上期)ドキュメンタリー番組に出演、企画・制作進行協力。利賀演劇人コンクール2016年奨励賞受賞作品に主演、衣装、演出協力などを担当。2012年よりタイ・バンコクでSRSを受けるMtFを取材中。(写真撮影:竹之内裕幸)

twitter:@chang_minori

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介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析