性的コンテンツに親しんだり、性の話をしたりする女性は、性に奔放であり、誰とでもセックスをすると誤解されやすいです。「性は隠すもの」「性について語る女性は、はしたない」「性にオープンな人は異性にだらしがない」といわれているからです。そのためセックスワーカーのように性に関わるお仕事をする人や、性的なものを楽しむ女性は「被害に遭っても自己責任」もしくは「それは性暴力ではなく自分から誘ったんだろう」とされやすい風潮があります。
性に関わる仕事をしても、性の話を積極的にしても、性に奔放とはかぎりませんし、性に奔放だからといって、誰とでもセックスOKではありません。
またひとりの女性が“性被害者”であり、同時に“娯楽の性を楽しむ人物”でもあるーー両者は本来ならまったく矛盾しません。“性暴力を嫌うこと”と、“エンタテイメントとしての性表現を楽しんだり、コンテンツに関わったりすること”はまったく別の話だからです。
そして「フィクションとして楽しむぶんにはOKだけど、現実にされたら嫌」も矛盾しませんし、そう思う女性は少なくないと思います。また、たとえ創作でも触れたくない表現は人それぞれです。私自身はレイプシーンが詳細に描かれるエロゲはどうしても気持ち悪くなってしまうので、出てきたらプレイを止めて情報を入れないようにします。そのラインは人によって異なり、誰かから決めつけられるものではないはずです。
では、そうした誤解をなくすためには性表現を規制すればいいのでしょうか。エロゲや二次元の性表現において、問題のある部分や社会への影響はたしかにあると私も思います。エロゲが好きで女性経験の少ない男性から恋愛相談を受け、彼らが作品内での知識を3次元にも適応させていることに驚愕した……という経験が何度もあります。「同人誌ではこうだから、こうしたら喜ぶと思った」「ゴムしていないほうが愛を感じる」と本気で話す人もいました。
エロゲを知らない、だからすれ違う。
しかし、ここで問題なのは“性的に正しくない娯楽コンテンツの存在”ではなく、“性に関する情報を得る場がほかにほとんどない”こと、そして彼らが“性や女性について無知であると自覚していないこと”です。創作物には人に影響を与えるだけの力があります。
この問題において「創作物は三次元には影響はない」と主張する人もいますが、それはかえって創作物への軽視に繋がります。同時に「女性を尊重しない表現や間違った知識に慣れて当たり前だと思ってしまう可能性がある」という批判の論点や背景を理解せずに、問題や主張をすり替えて曲解している現状も見られます。
二次元が好きならなおさら批判は批判として受け止めて、伝わり方を意識し、娯楽コンテンツから多く情報を得ていることを自覚し、影響を受けても人を傷つけることなく娯楽コンテンツを楽しむにはどうすべきかを検討する姿勢が大事なのではないでしょうか。
とはいえ、私は性的娯楽コンテンツは教科書ではないので必ずしも正しくなくていいと考えています。いきなり表現の規制をするのではなく、どうしたら間違った影響を受けない状態にできるのか、そのコンテンツ自体が何を表現し伝えようとしているのかを知ろうとする姿勢も大事です。