そもそもね……みんなエロゲがどんなものだか知らないでしょ? 私はエロを目的にエロゲをプレイしているわけではないのです。
エロゲにもいろいろな種類があります、いわゆる性的に楽しむことを目的とした抜きゲーや、ゲーム要素の強い作品、キャラの可愛さ重視の萌ゲー、感動を呼び起こされる泣きゲーをはじめとしたシナリオ重視の作品などなど。完全に分類できるわけでなくさまざまな要素が合わさっています。
みなさんがイメージするのは萌ゲーや抜きゲーだと思いますが、エロゲ好きにはシナリオ重視のゲームを好む人も多く、エロシーンを飛ばすのも“あるある”です。コンシューマー版が発売されたり、アニメ化して人気になるものもたくさんあります。
私はやりませんが、抜きゲーにも良さがあるはずです。エロゲを批判する人はその実態を知らず、また知ろうとしないまま「たぶんこういうものだろう」というイメージで話しているなと思うんです。
私はエロゲを総合芸術作品だと思っています。あんなに贅沢な体験ができるコンテンツをほかに知りません。エロシーンが入ることで18禁としてレーティングが設けられるので、表現に幅が生まれます。声優さんの演技、シナリオライターの文章、BGM、立ち絵(会話パートなどに使われるキャラの絵。表情が数パターンあり台詞によって変化する)・背景・CG、ムービーなどの演出、OP・ED主題歌etc……。「あ、これエロゲにするために無理やりセックスシーン入れたな」と思うものもありますが、エロシーンが入ることでより物語に深みが出る作品もあります。
私の場合はエロゲですが、性的娯楽や二次元のコンテンツに対しては誤解が多いまま話が進んでいると感じます。
エロゲが好きな性被害者がいてもいい
エロゲを楽しむ匿名の自分と、性被害者として活動する実名の自分とのあいだで、私は引き裂かれていました。前者のコミュニティでは性被害者として表に出ていることを隠し、後者の活動では自分が魅力を感じているものを隠している。そんな自分に違和感と罪悪感を抱えていました。
「自分の好きなものを隠したくない」「知らずに誤解されたくない」そう思って「エロゲを楽しむ会」という、プレイしたことのない人にもわかるように紹介するイベントを開催し、それをきっかけにエロゲが好きだと公にしはじめました。
正直今はエロゲをプレイする時間をほとんど持てていないのですが、私という人間が形作られるうえで“エロゲ”や“オタク”は外せない要素で、そこで得たオタク同士の人間関係も含め、今でも大切に思っているのです。
エロゲが好きな性被害者がいてもいいはず。必要なのは知ろうとすること、相手の意見を一度受け止め、現状や問題点を把握したうえで会話や議論をすることだと思います。私自身も自分の枠を人に押し付けてしまって失敗したと思うときもあります。人間は間違えます。間違えたことは反省するべきですし、それによって起きた責任は持つ必要があります。しかし、間違いは繰り返し丁寧にその都度修正していくしかないのだと思います。周囲が糾弾して排除してしまえばその機会を失わせてしまいます。
私は今でも、自分で自分に枠を押し付け、社会に定着しているドレスコードにとらわれてしまうことがよくあります。そんなときは「好きなものを好きだという気持ち」や「自分がどういう自分でいたいのか」を思い出し、そこに立ち戻り、枠を意識することで外していくーーそんなメンテナンスを何度でも繰り返しつづけることが大事なのではないでしょうか。