今回もまた小池氏は、問題となったツイートのあとに「昨日のツイート、反省してます。若者と接することは多くても、若者と暮らしていないので、今の若者の現状が頭では分かっていても、肌の感覚では分かっていなかったんだなあとリプを読んで思いました。自分も同じような若者だったはずなのにね。年長者として、もっと、広く深い目でツイートすべきでした」「リプを下さった方、ありがとうございます。まだ、年寄りの僕でも、このツイッターというツールで成長出来ることがありがたいです。(小池一夫)」と謝罪している。
批判を無視することなく、具体的に自分の考えや思いを記した上で謝罪を行う小池氏の態度は、企業によくある「不愉快な思いをさせて」といったテンプレ的謝罪でない点も含めて、適切な対応であるように思う。迅速な謝罪によって事態は収拾したようにみえた。だが、小池氏は13日そして15日に、自ら本件を掘り起こすようなツイートを2つほど行っている。
「よくこんな酷いことをリプしてくるなという人がいて、どんな人だろうと思って見に行ったら、南に炎上あればすぐに駆けつけ嫌味を言い、北に炎上あれば罵詈雑言で非難し、という悪い宮沢賢治みたいな人だった。サウイウモノニ ワタシハナリタクナイ。(小池一夫)」
「「失礼な人は相手にしなくていい」というルールを自分で作るのだ。失礼な人というのは、最初から自分と分かり合おうということを放棄しているし、人に失礼であることを己で良しとしている程度の者なのだから。このルールを決めておかないと、うっかり挑発に乗ってしまったり、傷ついてしまったりする。」
もともと小池氏がツイッターで話題になったきっかけの一つは、人生の教訓となるような格言ツイートを行っていたことにある(小池氏の名言を集めたbotがあるくらいだ)。この2つのツイートも、おそらく今回の騒動の直後でなければ、共感を寄せる人も少なくなかっただろう。だが現在の流れの中では、負け惜しみのようにしか見えない。
批判の際に、ただ溜飲を下げたいだけなのでは? と疑問を抱かせるような暴言を吐いている人もいる。それらに応答するかしないかを決めるのは当人の自由だろう。しかしこれでは、自分を批判するのは、何かにつけて誰かを批判し、冷罵詈雑言を浴びせ、炎上をたきつけたいだけの人だ、と言わんばかりではないか。批判として受け止められる指摘と、受け止められない暴言があり、2つのツイートが後者に対するものなのであれば、具体的に明示して言えばいい。なぜ揶揄の形でツイートをしてしまったのだろう。今回の批判に対して、まだ煮え切らない思いが小池氏にあるのだろうか。
早々の謝罪に対しては、賞賛の声も出ていた。2つのツイートは、小池氏の「反省」を疑いたくなる、余計なひと言だった。
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