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「私は不利益を被ってない」という女性が抱く、フェミニズムへの不信感/山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』

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山崎ナオコーラ

山崎ナオコーラ『母ではなく、親になる』河出書房新社

 今年4月~6月に日本テレビ系で放送された沢尻エリカさん主演の連続ドラマ『母になる』を視聴して、登場人物が「あの子のためなら何だってできる……、母親だから……!」と連呼することに辟易した。“母”ではなくて、“親”という言葉で表せばいいのではないか……母親と父親をこうもはっきり区別し、隔てようとする試みは一体何なのだろう。

 そのようなモヤモヤを抱えていたから、6月に作家の山崎ナオコーラさんが上梓した『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)というタイトルには激しく膝を打った。ナオコーラさんは、2016年に出産。20166月~20173月までWeb河出で同名の出産・子育てエッセイを連載し、本書はその内容に書き下ろしを加えたものだ。

 ナオコーラさんは、妊娠中、「母ではなくて、親になろう」と決めた。『親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む』と。本書では、ナオコーラさんが「母」という言葉に捉われず、「町の本屋さん」の書店員の夫と共に赤ん坊を育てていく中で遭遇した出来事や感じたことが綴られていくのだが、ところどころに日本の現行のフェミニズムへの不信感が読み取れた。そこに言及してみたい。

性別イメージに捉われない子育て

 子育ての過程で、赤ん坊(本書では、ナオコーラさんと夫の間に誕生した子の性別は公開されておらず、呼び方は“赤ん坊”で統一されている)が「ばかばかしい性別イメージ」に染まってしまいやしないかとナオコーラさんは危惧する。男の子は恐竜や電車が好き、女の子はスカート、という風に。確かに、保育園や幼稚園といった集団生活の場において、そういう傾向は少なからずあるように思う。私の子が通う保育園では、園児ひとりひとりに“その子専用のマーク”なるものが定められている。まだ字が読める前の園児にも、“自分の”ロッカーやタオル掛けや下足箱が判断できるようにと施された工夫なのだが、男の子のマークは乗り物や虫や強そうな動物(ライオンや恐竜)、女の子のマークは花やケーキやアイスクリームや小動物(ウサギやネコや蝶々)と、男女それぞれの性別イメージに基づいている印象を受ける。フルーツだと、メロンやバナナは男の子で、苺やリンゴは女の子。サッカーボールは男の子で、音符マークは女の子。まあ、たとえ保育園側が性別イメージに捉われることないよう男女関係なくランダムにマークを決めたいと思っても、難しいのかもしれないが(男の子に苺、女の子にカブトムシだと保護者が不快感を覚える可能性を懸念して)。

 彼女のプロフィールに「モットーは、『フェミニンな男性を肯定したい』」とある。性別によって社会から期待される役割に、なるべくなら応えずにいたいし、他者にも役割を強要したくない人なのだ。しかし、「小説を書いて活動をするとき、自分の性別は公表していないつもりである」のに、「作家」ではなく「女性作家」として社会の中で扱われる。「『女性のために』と思って文章を書いたことがない。女性を代表して意見や感想を書く気など毛頭ない」のに、「女性として男性に言いたいことがあるから文章を書いている」と思われたりする。こうした状況に、ナオコーラさんは辟易してきた。

 作家に限らず、女性は女性であるというだけで、「女性ならではの視点」「女性ならではの感性」を求められる。男性の作家のことをわざわざ「男性作家」とは呼ばないのに、女性の作家に対しては「女性作家」「女流作家」と呼んだりして、男性の作家にはない特別なものを提供せよという暗黙の要請がある。

 また、世の中の男性全員がマッチョである必要はないし、「男性としての強さ」や「男らしい魅力」を備えているのが正しいのではない、「競争に勝つこと」だけが素晴らしいのではない。だから、多様な男性を魅力的に書きたいし、同様に、女性を書く時だって、『自立できない女性のことも肯定していいのではないか』。そうしたナオコーラさんの価値観は、本書の全編にスッと一筋、貫かれている。

 男女の括りだけでなく、権力の強弱や持てる資産の格差により弱者と括られるひとびとにも、ナオコーラさんの視線は向けられる。自己責任という考え方に疑問を抱き、『そもそも、世界中の人ひとり残らず、完璧な努力などできていない』、『成熟した社会では、困っている人がいたら、理由を問わずにみんなで援助する。その人がどうやって生き難い状況になったのか、それを問題にしてはいけない』。だから、かわいそうな人を助けるのではなく、困った人を助けたい。

 子育てエピソードを主軸に、“多様性の肯定”を望む姿勢が一貫して書かれており、『多様性の肯定のために、弱い人も変わった人も世界に必要だ』という記述からも、ナオコーラさんが、性別や性格や努力に関わらず、各々が認められる社会を望んでいることはハッキリ伝わる。

「今の時代、女性は強者」か?

 一方で、「フェミニンな男性を肯定したい」ゆえなのだろうが、ナオコーラさんの目には、現在の日本のフェミニズムが“強者としてのフェミニスト女性たちが一方的に男性を蹴落としている”ように映っている、と思わされる部分も少なからずあり、もどかしさを覚えた。たとえばこんなふうに。

『よく夫や男を批判していい気になっているエセフェミニストがいる。いつまで弱者を気取るのか。今の時代、女性は強者だ。女性が優遇される時代を生きている自覚を持ち、弱く可愛らしい存在である男性には優しくしてあげなくてはならない』(P61-62

 何をもって「フェミニスト/エセフェミニスト」と分類できるのかわからないが(そもそも分類可能なのか、分類していいものなのか)、経済的にも精神的にも自立している強者女性が過半数の世の中かといえば、おそらく誰も首肯できないだろう。賃金にしろ生涯収入にしろ、男女で比較したときに明らかな差があり、女性側が低いのが現状だ。家庭内のケア労働を負うがゆえに、単身男性やケアされる側の男性のような働き方を出来ない存在とみなされて労働市場で低賃金の立場に置かれ、経済的な自立を阻まれる状態の女性は少なくないのである。

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中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

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