セレブの離婚ゴシップから来る気づき
今回の記事では「いつまでも幸せに暮らしました」幻想、つまり愛し合う男女のカップルが末永く一緒に暮らすことが幸せなんだ、というファンタジーについて考えたいと思います。
今年の8月10日、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの離婚手続きが保留になっているというゴシップが入ってきました。この噂にそんなに信憑性があるとは思えないのですが、去年の9月にこの二人が離婚手続きの開始を発表した時は、びっくりしたファンが多かったと思います。
実は私はアンジーとブラピが離婚すると聞いてすごく驚いた……のですが、そんなことで驚く自分自身にもかなり驚きました。私は普段ゴシップを追いかけているわけではなく、ブラピとマリオン・コティヤールが不倫しているとかいう噂もどうせ新作の宣伝でしょ、くらいに思っていました。ところがいざ離婚のニュースを聞くと、なんだかショックを受けたのです。
アンジーとブラピは誰が見てもお似合いの美男美女で、才能があり、仕事でもそれぞれ成功していて、完璧なカップルに見えます。ワインを作る葡萄やオリーヴに囲まれたフランスのお屋敷に住んでおり、かわいい子どもが6人います。2006年には、無類の建築マニアであるブラピの誕生日に、アンジーがフランク・ロイド・ライトの伝説的な建築物である落水荘訪問をプレゼントしたそうです。おとぎ話の王子様と王女様かというような暮らしぶりですね。
こういう情報は私が今、記事を書くために調べて知ったのではなく、リアルタイムでニュースを見て知っていたことです。あまりゴシップに興味ない私がこんなことを知っているというのはつまり、どうも無意識にこの2人の話を普段からチェックしていたらしいのです。自分でも気付いていなかったらしいのですが、私にとってアンジーとブラピはワイルドでアーティスティックな理想のカップルだったらしいのですね。
私は子どもの頃から結婚式などに対しては全然、憧れがありませんでした。結婚とか、永遠の愛とかに関する幻想は持っていないつもりだった……のですが、どうもそういうわけではなかったらしいことがアンジーとブラピの離婚のゴシップでわかったのです。よく考えてみると、6人も子どもがいて豪邸に住むなんて願い下げだし(子どもが目の届かないところでどんなイタズラをすることか)、私はお酒が飲めないのでワインの葡萄畑にはあまり住みたくありません。
そんな自分にも「王子様と王女様はいつまでも幸せに暮らしました」的なお話に憧れる幻想があったなんて! うかうか男性のプリンセス願望の記事を書いてはいられません。既に「さよなら、マギー」でも書きましたが、生きていく上で人はいろいろな幻想や思い込みを身につけるものです。一生気付かないこともありますが、ちょっとしたことで幻想の存在に気付くこともあるのです。
一昔前には、こういう幸せなロイヤルカップルというファンタジーは、ディズニー映画などおとぎ話の翻案が担っていたと思いますし、セレブのゴシップもその幻想に寄与していると思います。一方で現実世界ではそういう幸せな男女関係が長くは続かないというのはご存じのとおりです。
1981年に行われたウェールズ公チャールズとダイアナの華やかな結婚式は「フェアリーテール・ウェディング」と呼ばれ、ダイアナはおとぎ話のお姫様のようだと言われましたが、チャールズ(実は彼もブラピ同様建築愛好家です)の不倫による離婚でおとぎ話は終わりを迎えました。現実は、おとぎ話みたいな理想のカップルが永遠の愛で結ばれ、ずっと一緒に暮らす……なんていう甘いものではないのですね。ディズニー映画がどんどん幸せな結婚から多様な人生の描写へ内容をシフトさせていることを考えると、おとぎ話みたいなカップルの幻想はそろそろ賞味期限切れなのでしょう。
新しい永遠の愛「ライド・オア・ダイ」
さて、おとぎ話ふうの「ずっと幸せに暮らしました」幻想がだんだん古くさくなっている中、人気を博している「永遠の愛」の表現が「ライド・オア・ダイ・チック」(Ride-or-Die Chick)です。ヒップホップ文化から出てきた表現ですが、それだけにとどまるものではありません。
「ライド・オア・ダイ」は、文字通りにはライド・アウト(ride out)とダイ・トライング(die trying)、つまり乗り越えるか挑戦して死ぬか、という意味です。ライド・オア・ダイ・チックはこうした態度で男を愛する女のことを言います。ライド・オア・ダイ・チックは何があっても無条件で相手の男を愛し、犯罪などの危険なことに携わっているとしても恋人を助け、刑務所に入ったり死んだりするようなリスクも厭いません。似たような表現で「ダウン・アス・ビッチ」(Down Ass Bitch)というのも同じように使われます。
1999年にロックスがラッパーのイヴとコラボして出した「ライド・オア・ダイ、チック」(別名「ライド・オア・ダイ、ビッチ」)、及び2001年から2002年にかけてジャ・ルールがチャーリー・ボルティモアとコラボして出した「ダウン・アス・チック」(別名「ダウン・アス・ビッチ」)という曲は、ライド・オア・ダイの美学を明確に歌い上げたヒップホップとされています(Almeen-Shavers, p. 198)。
セクシーで勇気があり、1人の男に誠実な情熱を捧げるライド・オア・ダイ・チックは、「ヒップホップ世代の理想の女性像」(Lindsey, p. 95)です。こうしたライド・オア・ダイのカップルのアイコンとしては伝説の犯罪者カップル、ボニーとクライドがおり、ヒップホップのラブソングにはしばしばこの2人が登場します(Phillips, et al., p. 270)。
ライド・オア・ダイ・チックはヒップホップ文化から生まれてきた女性像で、激しい人種差別や貧困を背景としているため、フェアリーテール・ウェディングの前に開けている穏やかな生活のヴィジョンとは無縁です。ライド・オア・ダイ・チックと彼女が選ぶ男の前には苦難が待っていますが、この2人は永遠の愛で結ばれ、死ぬまで一緒なので、ある意味では「いつまでも幸せに暮らしました」の変形でもあります。シビアな現実から生まれたのに、妙に理想化された異性愛を描いているのですね。
面白いことに、外から見るとむしろおとぎ話のロイヤルカップルのように見える男女が最近、このライド・オア・ダイという言葉を使って形容されることがあります。例えばビヨンセとジェイ・Zはまさに女王と王というのがふさわしいようなパワーカップルですが、2014年に結婚の誓いを新たにした時「ライド・オア・ダイ」のカップルだと言われました。ちなみにこの二人は「03 ボニー&クライド」という曲で初めて共演しており、この曲もライド・オア・ダイ美学の代表曲と言われています(Pough, p. 189)。
最近はこうしたライド・オア・ダイの理想化がヒップホップの外にまで広がっており、たとえばマルーン5のヴォーカルであるアダム・レヴィーンについて、妻のベハティ・プリンスルーが7月20日に「私のライド・オア・ダイ」だというコメントをつけてインスタグラムに夫の写真をアップしました。アダムとベハティもまるでおとぎ話みたいな美男美女なのですが、ストリート風のワイルドな表現で自分たちの愛を表しています。穏やかな幸せに包まれたフェアリーテール・ウェディングのカップルよりも、トラブルにあっても愛を貫くライド・オア・ダイのほうが、現代のカップルにふさわしいと思われているのかもしれません。
人生はおとぎ話みたいにはならない
しかしながら、一見情熱的で男女が助け合う関係を理想としているように見えるライド・オア・ダイの美学には罠がひそんでいます。ヒップホップの文脈におけるライド・オア・ダイ・チックは人種差別への反逆などポジティヴな部分が評価されることもありますが、一方で男性のファンタジーに従属した女性像だと批判されることもあります(Lindsey, p. 92–93)。ライド・オア・ダイ・チックは身も心も1人の男に捧げており、愛情生活以外に選択肢を持っていません。描き方によっては非常に男性に都合の良い女性です。
ライド・オア・ダイ・チックは映画にもよく登場するステレオタイプで、『スーイサイド・スクワッド』のハーレイ・クィン(マーゴット・ロビー)や『ワイルド・スピード』シリーズのレティ(ミシェル・ロドリゲス)の名前がよくあげられます。最近公開されたエドガー・ライト監督の映画『ベイビー・ドライバー』に出てくるデボラ(リリー・ジェームズ)なんかはこの典型例で、作中でボニーに喩えられたりもします。デボラは会ったばかりのベイビー(アンセル・エルゴート)を愛し、目の前で人を殺したベイビーにひるまずついていき(車に乗るのが大きなモチーフの映画なので、まさにライド・オア・ダイです)、一緒に警察から逃げようとします。ベイビーが収監されると律儀に出所を待ち続けます。物凄くステレオタイプなライド・オア・ダイ・チックですね。
新しい「永遠の愛」像を提示しているように見えるライド・オア・ダイのカップル像ですが、結局は女性が男性に全身全霊で尽くすという、昔ながらの異性愛に関する社会的規範に従っているところがあります。女性向けのデートアドバイス記事などでは、永遠の愛の幻想に目がくらみ、トラブルに巻き込まれて人生を台無しにすることがないよう、ライド・オア・ダイ・チックになるのはやめましょうという内容のコラムなども時々見受けられます。
私は思わぬところでおとぎ話風の理想のカップルに憧れていたことがわかりましたが、それがわかった今、これからはうっかり別の理想を求めてライド・オア・ダイ・チックになったりしないよう、気をつけようと思います。皆さんの中にもおとぎ話のカップルや、ライド・オア・ダイへの憧れがあったりしますか? もしそうなら、ディズニーや『ワイルド・スピード』を見て楽しむ程度にしておいたほうがいいかもしれません。実際の人生はそうはうまくいかないものですから……。
参考文献
※英語記事からの日本語訳は全て拙訳です。
Antwanisha Alameen-Shavers, ‘The “Down Ass Bitch” in the Reality Television Show Love and Hip Hop: The Image of the Enduring Black Woman and Her Unwavering Support of the Black Man’, Donnetrice C. Allison, ed., Black Women’s Portrayals on Reality Television: The New Sapphire (Rowman & Littlefield, 2016), 191–212.
Lindsey, Treva B., ‘If You Look in My Life: Love, Hip-Hop Soul, and Contemporary African American Womanhood’, African American Review 46.1 (2013): 87–99.
Layli Phillips, Kerri Reddick-Morgan, and Dionne Patricia Stephens, ‘Oppositional Consciousness within an Oppositional Realm: The Case of Feminism and Womanism in Rap and Hip Hop, 1976-2004’, The Journal of African American History 90. 3 (2005): 253–277.
Gwendolyn D. Pough, Check it While I Wreck it: Black Womanhood, Hip-hop Culture, and the Public Sphere (Norther University Press, 2004).