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性の仕事人である「おんなのこ」が巧みに遊ぶ、性風俗というゲーム/熊田陽子『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ』

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『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ――SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(明石書店)

『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ――SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(明石書店)

 私たちは、「性風俗」と聞けばその良し悪しを語りたがってしまう社会を生きている。頭ごなしに否定する人がいる一方で、数ある仕事の一つにすぎないと擁護されもする。「必要悪」なんていう多少ひねった評価もあるだろう。

 学術的な議論においても似たようなことが起こる。「性差別」「性的自己決定権」「女性の貧困」「疾病・障害と生きる女性の困難」などの要素を次から次へと入力して、結局「性風俗」を是とするか非とするか、その結論をみんなで確かめあっている。

 もちろんそれはとても大事なことだ。しかし同時に、現に性風俗の現場で働いている人が何をしているのかを知ることも重要なはずだ。この、善悪の判断をまずは棚上げにして、性風俗世界で働くセックスワーカー、現場の言葉では「おんなのこ」が何をしているかに、7年にわたるフィールドワークで迫ったのが、熊田陽子さんの『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ:SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(明石書店)である。

 熊田さんによれば、「おんなのこ」と客の相互行為はプレイ=ごっこ遊びである、それも遊びと本気の境界線の曖昧さを楽しむような、そんな複雑な遊びである(熊田さんがとりあげるSMに典型的だけれども、「所詮は演技」と互いが強く感じる雰囲気の中ではプレイはなりたたない)。同時に、「おんなのこ」は他の「おんなのこ」とルールにもとづく遊び=ゲームとしてライバルでもあり仲間でもあるような関係を作りあげる。そして、このようなプレイとゲームを成立させる重要な要素が、客への、そして自分自身への「笑い」である。

 私が一番おもしろく読んだのは、4人の「おんなのこ」のプレイやゲームへのスタンスを掘りさげた第4章。「客に合わせている限り、客が希望を伝えて行われるプレイ内容は誰が対応してもほぼ同一」なのであり、ここには客を獲得する競争は(「おんなのこ」の容姿に関するもの以外)存在しなくなってしまう。

 しかし「おんなのこ」たちのプレイやゲームへのスタンスはとても個性的だ。客の望むプレイをできるかぎり実践するのか、自分にできるプレイを客にあわせてカスタマイズするのか、ゲームにのめりこまないのか、勝ち負けでなくゲームそのもののおもしろさを楽しもうとするのか。さまざまなスタイルの分析はそれ自体が読み物としておもしろい。「おんなのこ」たちは結局何をしているのか、という熊田さん自身の提示した問いに対する、細部のゆたかさに富んだ答えが、この分析の中にあらわれていると思う。

 もうひとつおもしろいと感じたのが、「おんなのこ」をめぐる研究の成果から、「セックスワーク(sex work)」の日本語訳としての「性労働」という言葉づかいを熊田さんが批判する第7章。熊田さんは労働(labour)と仕事(work)を区別した上で、生きるための/機械や道具を理想とする/お金のための営みとしての労働ではなく、生存に縛られない/創造性をもった/愛着を時にともなう営みとしての仕事として「おんなのこ」の実践を捉えるべきだと主張する。だから、性風俗世界で働く「おんなのこ」は、「性労働者」ではなくて「性の仕事人」なのだ。本書を通読して、たしかに仕事人という表現はとてもしっくりくるな、と私も感じた。

 機会があれば、熊田さんにぜひ訊いてみたいことがある。本書の中には、熊田さんがフィールドワークをしたY店ではたらく「おんなのこ」たちではない、客の妻や恋人や子どもや娘、男性スタッフの妻や恋人や子どもや娘といった女性が、語られる対象としてですらほとんど出てこない(唯一のはっきりとした例外は著者である熊田さん自身)。熊田さんがわざと書かないようにしたのか、そもそも「おんなのこ」の生きる性風俗世界においてはそれらの女性がいない、見えないものとされやすいのか。

 私としては、後者なのではないかという気がする。私たちには「普通でない」とみなすひとびとをその属性や特徴で名指してひとまとめにする(そして時にそれとなく排除する)習慣がある。でも性風俗世界では、仕事人たちは「風俗嬢」といったまとめかたをされない。「おんなのこ」という属性も特徴も名指さない呼び名それ自体が、彼女たちのあり方がここでは「普通」であることを象徴しているのだとすれば、性風俗世界では裏返って「おんなのこ」以外の「普通ではない」(とされる)女性が見えなくなるのも当然かもしれない。

 もうひとつ、どうしても書いておきたいことがある。本書には、議論の本筋にはそれほどかかわらない、それゆえに深く掘り下げられることのない細部に、思わず目を引く面白い箇所が山ほどあるのだ。

 「肛門や睾丸を強く噛まれることを希望する客」っていうけど、睾丸はともかく肛門を噛んだらひどい痔になりそう、っていうかそもそもものすごく痛そう。「おんなのこ」として働くカノ子さんには自称「台東区一の変態」の友人がいるっていうけど、それどんな人だよ。「つるっとしてて」「大きすぎるってわけじゃない」男性器がイケメン+イチモツで「いけもつ」って、誰が上手いこと言えと(ちなみに対義語は「しけもつ」)。「水道の蛇口みたいなおちんちんの形」ってどんな形だよ。

 私の抜き出し方のせいでおもしろくなくなってしまったら本当に申し訳ないのだけれど、本書それ自体を読めば、真面目な研究書であるだけに不意打ちのおもしろさを楽しめると思う。私にとっては、こういうディテールに触れることこそエスノグラフィを読むことの醍醐味。ぜひ、研究書だからとためらわず、細部を楽しむつもりで読んでみてください。

森山至貴

1982年神奈川県生まれ。現在、早稲田大学文学学術院専任講師。専門は社会学、クィア・スタディーズ。主著に『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)がある。(写真撮影:島崎信一)

twitter:@sankaku_queer

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