社会

不登校という選択と偏見の視線。「学校だけが世界じゃない」ことを大人たちが示して

【この記事のキーワード】
Photo by Dave Haygarth from Flickr

Photo by Dave Haygarth from Flickr

 91日は、18歳以下の子供の自殺が最も多い日(内閣府「自殺対策白書」)。日本の多くの小・中・高校では、831日で夏休みが終了して91日から2学期が始まり、学校に行くことを苦痛に感じ絶望視した子供が自ら命を絶ってしまうのだという。“91日問題”とも呼ばれる。

 悲しいことに今年も、830日から94日までの数日間で、学生の自殺・自殺未遂が相次いで報じられた。東京都内だけでも、91日午前、中学2年生の女子生徒が通っている中学校の4階教室から飛び降り自殺を図り、重傷。4日早朝、14階の自宅マンションから飛び降りた中学3年生の女子生徒が死亡。同じく4日朝、公園トイレで都立高校3年の男子生徒が首をつって死亡しているのを発見されている。

電話相談機関

 夏休みの終わりが近づいてくると、ネット上で「無理に学校へ行かなくてもいい」「学校が世界のすべてじゃない」「逃げてもいい」「死なないで!」と新学期を控えた児童・生徒らに呼びかける声が次々と挙がる。子供を支援するNPO団体であったり、図書館であったり、子供の教育や発達に携わる有識者であったり、タレントであったり、様々な立場の大人が様々な切り口・角度から、子供に自殺を踏みとどまるよう訴えかけているのである。

 今年825日には、NPO法人全国不登校新聞社、NPO法人チャイルドライン支援センターなど計5団体が連名で、「学校へ行きたくないあなたへ、味方はココにいます」と題した共同メッセージを発信した。830日には、東京都台東区の上野動物園が、Twitter公式アカウントにて『学校に行きたくないと思い悩んでいるみなさんへアメリカバクは敵から逃げる時は、一目散に水の中へ飛び込みます逃げる時に誰かの許可はいりません。脇目も振らず逃げて下さいもし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい。人間社会なんぞに縛られないたくさんの生物があなたを待っていますから』とツイート。9月1日時点で、リツイートが7万件以上、いいね!が11万件以上とその反響は大きい。

 831日には、魚類学者のさかなクン(42)、タレントの中川翔子(32)、歌手のハナエ(23)らが、それぞれ出演番組や自身のTwitterアカウントで、メッセージを発信。いずれも、つらければ学校に行かなくてもいいこと、学校の他にも居場所はあること、死なないでほしいことを伝える内容であった。

 91日、林芳正文部科学大臣は、会見で「決してあなたはひとりぼっちではない。誰にでもいいので悩みを話してほしい」と、18歳以下の子供たちへ呼びかけた。文科省は、平成19年から「24時間子どもSOSダイヤル(0120-0-78310)」を設置し、子供(や保護者)の悩み相談に対応している。子供からの相談に応じる機関は文科省だけではなく、法務省の「子供人権110番(0120-007-110 平日8301715)」や、厚生労働省「児童相談所全国共通ダイヤル(189)」、またNPO法人チャイルドライン支援センター「チャイルドライン(0120-99-7777 月~土16002100)」など民間団体も、電話やメールでの相談を受け付けている。

不登校児童への視線

 今から20年前、私が小学生だった頃(199399年)を振り返ると、「不登校(学校に行かない)」という選択や、不登校を選択した子やその保護者に対する社会の偏見が今よりもずっと強かったと記憶している。当時、不登校=ずる休み的なイメージを私自身も抱いていた。中学では各クラスに1人くらい不登校の生徒がいたが、私を含めクラスメイトの反応は「かわいそう・心の病気らしいよ~」と“同情”を寄せながら、内心「ずるい~」と妬む節もあった。<不登校児童>だけが校則違反を注意されなかったり、部活だけ来るのを許されていたりで反感を買うこともあった。そこには、彼らが不登校を理由に腫れ物を触るような扱いをされている背景もあったと今になってみれば思う。先ほど“同情”と書いたが、それもまた、好奇の目でしかなかった。どのような事情がそこにあるのか、まるで理解していなかった。

 その当時と比べれば、いま、前述のように「学校が世界のすべてではない」「行かなくてもいいのだ」と発信する声が大きくなり、拡散もされていることは、大変な進歩だ。しかしそれでもまだ、私自身がかつて抱いていたような偏見は、雲散霧消したとは言えないと思う。気になるのは、一連の呼びかけや相談窓口の設置といった“情報”が、肝心の子供たちにしっかり届いているのか、届いているとして子供たちは肯定的に受け止めているのか、また子供の周囲にいる大人たちはそれら“情報”をどのように捉えているのか、ということだ。

 不登校を児童の「弱さ」と見なして発破をかけたり、家庭の恥だと認識する親もいるだろうし、そうなれば子供にとって、学校だけでなく自宅も居場所となり得ない。親や地域の大人たちへの啓発も重要な課題だと考えられる。

 再び自分自身の子供時代を振り返れば、思春期の私はクラスメイトの不登校児に“同情”と“嫉妬”の目を向けながら、同時に「ダサい」「かっこ悪い」という視線も持ってしまっていた。私が学校へ行きたくないと思っても登校していたのは、「休んだらダサい」という意識で自分を縛っていたからでもある。学校へ行きたくない気持ちを相談できる大人も、身近にまったくいなかった。また、家と学校を往復するしかない学生時代、遊び場も地域の中にしかない地方の小さな町で、やっぱり「学校」は絶対的なものだと感じていた。その閉塞感に気づき、広い視野を持つことは、子供にはどうしても難しいことだ。だからこそ成熟した大人であるはずの親や地域住民たちが「学校がすべてではない」とまず知り、その意識を共有していなければならない。我が子が、友人の子供が、子の同級生がそうした状況にあるとき、大人として適切な対応とはどういうものなのか。大人たちもまだまだ知る必要がある。

 最後にひとつだけ気になることがある。前述したNPO法人チャイルドライン支援センター設置の「チャイルドライン」について調べる中で、電話相談の受け手を担っているのが“ボランティア”だということを知った。現在、チャイルドラインに参加するボランティアは全国に約2000人おり、年間で約20万件ほどの電話を受けているが、実際のニーズはその3倍以上で足りていないという。人命にかかわる重要な仕事内容であるにもかかわらず、ボランティアに頼らざるを得ない現状。このままで良いのだろうか。

中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

バナナ&ストロベリー

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)