「女性に定期的に訪れる出血現象をあなたは何と呼んでいますか?」というアンケート調査を行ったとしたら、月経を経験している女性も、月経のない人も、大多数の人が「生理」と答えるのではないだろうか(1)。
しかし、正しい呼称はあくまで「月経」であると主張する人たちがいる。
彼女たちは、“正式名称”である「月経」を使わずに、“代用語”である「生理」を使うことは、女性の身体的特性を否定し、月経の受容を女性自身が阻むことにつながると考えている。本当にそうだろうか?
月経を「生理」と呼んだり、使用済みの生理用品を捨てる容器のことを「汚物入れ」と呼ぶことに対する批判は、すでに1970年代に、ウーマン・リブを経験した女性たちによって行われている。当時はまだ、月経を不浄視したり、「恥ずかしいもの」「汚いもの」と見なしたりする風潮が強かったため、それは正当かつ必要な批判だった。
批判を反映したものか、他のあらゆるものと同様に洗練されただけなのか、かつて「汚物入れ」と呼ばれていたものは、今日スタイリッシュなデザインに変わり、「サニタリーボックス」「トイレコーナー」などと呼ばれている。一方、出血現象については「生理」という呼称が定着したが、これは、ナプキンやタンポンを「生理用品」と呼んでいることの影響が大きいといえる。
現在、「生理」という呼称に対して批判的な人たちが依拠しているのが、1992年に出版された小野清美著『アンネナプキンの社会史』の以下の部分である。
(月経は昔から)いろいろな呼び名をされてきたが、本来いちばんなじんでいた「月経」という言葉は正しくは医学用語である。この言い方は、明治時代から定着していたのである。ところが、昭和22年4月7日に公布された「労働基準法」の第67条にはじめて「生理日」「生理休暇」という言葉が使われ、「月経」は「生理」という言葉にとって代わられる。
ここには少なくとも3つの間違いがある。
まず「生理」という言葉が昭和22年(1947年)に突如として現れたかのように書かれているが、、生理休暇獲得運動が始まった1920年代にはすでに使われていた。「“生理”休暇」を要求されたから、「“生理”休暇」という名称にしたにすぎない。
さらに、月経という言葉が「明治時代から定着していた」というのも事実ではない。たしかに医師たちは「月経」を使っていたが、世間一般では口に出すことも憚られ、女性たちは陰で「月のもの」「お客さん」「あれ」などと呼んでいたのである。
そして戦後、生理休暇が制定されたからといって、「生理」という言葉が一般化したわけでもない。男性はもちろん女性も、月経については必要最低限しか語ろうとしなかったため、これといった用語も必要なかったのである。
状況が一変したのは、1961年の「アンネナプキン」の発売後である。
アンネナプキンは、坂井泰子さんという27歳の主婦が、女性のために清潔で便利な生理用品を作りたいという一念で設立したアンネ社によって開発、発売された“元祖使い捨てナプキン”である。発売と同時に爆発的に売れ、愛用者たちからは、その快適な使い心地に対する感謝の手紙が、坂井さんやアンネ社あてに、1日に100通以上も届いた。その手紙の中のいくつかに、月経日を「アンネの日」と呼んでいるものがあった。
当方6年の女児のため用意に購入しました。私どもの最初の不快な印象をムスメ達に与えず愉しく、その日を過ごさせるために……。私、ある方面で40前後の方々のグループにて非常勤にて余暇をカウンセラーとして働いておりますが、私共の仲間の間では貴社のお名前を拝借してこの日を「アンネの日」と呼び合っています。柔らかみを含ませる意味で……。生理、メンスなど一寸ズバリでイヤ味を覚えますから……。(2)
当時は、「月経」はもちろん、「生理」「メンス」も口にしづらかったことがわかる。
アンネナプキンの発売の翌年、アンネ社はこうした手紙をヒントに、「『アンネの日』ときめました!」というキャッチコピーを使った広告を制作し、新聞等で大々的にアピールした。その結果、「アンネの日」は月経日の代名詞として、瞬く間に全国に広がった。
広告制作の翌年には、次のような投稿が新聞の「家庭欄」に掲載されている。
「いつもより帰りが遅いなあ」と少々案じているところへ、小学5年生の娘が息をはずませて帰ってきた。放課後、女の子だけ残って保健の先生からお話があったというのである。私は来るべきときがついに来たと、思わず身体が堅くなるような思いだった。
さりげないふりで「どんなお話だったの?」と聞く私に、娘は今日1時間半ほどあった「初潮について」のスライドやお話をいろいろ話してくれた。(中略)おわりに娘は、「これは言い方もいろいろあるけど、今は“アンネの日”って言うんだって。アンネって女の人の名前でしょう」という。私はただただ感心して聞き入るだけ。
思えば私がそれを学校で聞かされたのは、女学校に入ってからで、帰宅しても母には話はしなかった。その間に、私は友人から知らされていたのだが、そんなことは口に出すべきことではないと思って、自分の胸ひとつに収めていた。その後1年くらいして初潮を見たが、そのときどんなふうに母に切り出したものかとためらったあの日の気持ちは今でも忘れない。
それに比べて今の子は、私の目の前で何の恥じらいもおそれもなく話してくれた。それは「アンネ」のひびきそのままに、さわやかな感じだった。私は育ちゆく乙女たちの将来が、このようにすこやかに、のびのびとあれかしと心から思った。(3)
それまでは、月経に関することは母子の間であっても話しづらかったのだが、「アンネ」という言葉がその垣根を外したのである。そして、女性たちが月経を語る言葉を得たことで、月経に対するタブー視も急速に薄らいでいった。“アンネナプキン以前”と“アンネナプキン以後”とで、月経観が大きく変換したのである。
月経を口に出すことも憚られた時代から、「アンネ」という“代用語”を経て、今日女性たちは自分たちに起こる出血現象をためらいなく「生理」と呼べるようになった。そこに不浄視や羞恥心は感じられないし、月経の“代用語”として使っているという意識もないだろう。
「生理」には別の意味もあるため、正確を期すなら「月経」を使った方がよい。しかし「生理」を使ったからといって、女性の身体的特性を否定することにはならないし、月経の受容を女性自身が阻むことにもつながらない。
(1)前回、「経血漏れ」について書いたが、これさえ「生理漏れ」と表現されることが多い。しかし、漏れるのは「生理」ではなく「経血」なので、この場合は適切な用語とは言えない。
(2)渡紀彦『アンネ課長』
(3)1963年3月10日付『毎日新聞』朝刊