社会

ダイバーシティは「取り戻す」もの 差別の歴史の中で生み出された”性的指向”と”性的嗜好”の違い

【この記事のキーワード】

性的嗜好と性的指向は区別すべき?

 LGBT についての基礎的な知識の一つに、「同性愛や両性愛、異性愛は性的嗜好ではなく性的指向である」というものがある。これ自体は以前から言われてきたことだし、少し LGBT(あるいは同性愛や両性愛)について学ぼうとすれば早い段階で知る内容ではあった。しかし当事者のあいだにも広範に広がり、日本でも基礎中の基礎の前提知識であるかのようになったのは、やはりここ数年のことのように感じる。

 「性的嗜好ではなく性的指向」というのはつまり、特定の性的行為などを好むかどうか、特定のフェチシズムがあるかどうかなどを表す「嗜好」とは違い、同性愛、両性愛、異性愛はもっと根本的な、人がどの性別に対して性的関心を向けているかに関する分類ですよ、という主張である。「たかが“趣味”なのに差別とか大げさだよ」と思う人がまだ多くいる現代社会において、この「性的指向」という概念は確かに有効なのだろう。

 しかしこれは、人間の性や、それが社会でどう解釈されているかなどについて学術的に研究する分野(ジェンダー研究、セクシュアリティ研究、クィア理論など)の勉強を進めていくと、必ずしも正しいとは言えないものだと知ることになる。つまり「性的指向」という概念は、「影が動くのは太陽が動いているから」と同じように、これから学ぼうとしている人たちが理解しスムーズに次のステップに進む、そのために学習の初期段階に配置されているものなのだ。

 では、勉強を進めたときに見えてくる性的指向についてのより深い解釈とは――つまり「地球が自転している」にあたる部分とは――何なのだろうか。

性的指向は差別の歴史が生み出した

 江戸時代の日本や古代ギリシアで男性同士の性愛関係が文化の一部であったことは、聞いたことのある人も多いだろう。そのどちらも、身分制度と密接に結びつき、また男性にのみ許された文化であった(女性はそもそも性的欲望の対象であり、主体にはなり得ないと思われていた)。また、「同性愛を禁忌とする」とされるキリスト教においても、禁止事項は肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(オーラルセックス)などであり、同性同士に限らず異性同士でも行ってはならないとされていた。

 つまりこれら前近代の社会において、男性同士の性愛関係は「身分にふさわしい嗜み」や「誰もがやってしまうかもしれない許されざる行為」として解釈されていた――男性同士の性愛が、まさしく「性的嗜好」であったことを意味する。現代社会で「嗜好」とされるものの多くは男性の欲望の様々な現れ方のバリエーションとして認識/容認/禁止されてきた歴史があるが、同性愛もかつてはそのひとつだったというわけだ。

 それが近代を迎えて、大きく変わることになる。

 男性が男性と性愛関係を結ぶのは趣味のようなものではなく人間としておかしい、とされるようになったのだ。それが、性的嗜好とは別のものとしての「性的指向」の歴史の始まりである。この背景には、人口を管理するために結婚や出生率、避妊などの把握が必要だと認識した近代国家と、人間の性愛について道徳や科学、医療、法律の観点から語り出した専門家たちの存在がある。そこでは、性的欲望を分類する最も重要な基準は、体格でも民族でも他の何でもなく「男女という性別」であるとされた。

 前近代と近代以降の違いを理解するために一つの例を出そう。例えば私たちは、誰とも性的な行為をしたことがなくても「自分は異性愛者だ」とか「彼は同性愛者だ」と分類しているし、そう分類できると思っている。誰もが異性とも同性とも性愛関係を結んでしまうことはあるけれど身分によってはダメですよとか、誰もが異性とも同性とも性的行為をしてしまうことはあるけれどアナルとオーラルはダメですよとか、そういう理解を私たち近代社会に生きる人々は捨てたのだ。

 それ以来同性愛は、個人の重要な特性/属性とみなされるようになり、異常な精神を持った人間の持つ性愛として扱われたり、犯罪者の持つ性愛として扱われたりといった歴史を歩むことになった。現代社会で私たちが経験する同性愛者差別の歴史の原点は、「性的指向」概念の発明にあったのだ。

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マサキチトセ

評論家(クィア理論・フェミニズム・社会運動論)。LG(B)T。関心は貧困、セックスワーク、刑務所制度、LGBT運動。YouTubeでマイノリティフレンドリーな『クィア英会話』っていうチャンネルやってます。

ブログ:包帯のような嘘

YouTube:クィア英会話《マサキ》-Masaki

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