社会

ダイバーシティは「取り戻す」もの 差別の歴史の中で生み出された”性的指向”と”性的嗜好”の違い

【この記事のキーワード】

それでも存在する、性的嗜好と性的指向の違い

 ではなぜ「性的指向は性的嗜好と違うんだ」という主張が行われているのだろうか。性的指向が歴史上ある時期に発明された「人間の性に関する一つの解釈」に他ならないのであれば、嗜好も指向も同じではないか。しかしこれにはいくつか理由がある。

 一つめは、同性愛という「性的指向」概念がいかに近代の産物であったとはいえ、私たちはその近代の延長線上に生きており、その「性的指向」概念に基づいて差別を受けているからである。この差別を解消するためには、「色々な人がいるよね」というダイバーシティー(多様性)の理念だけでは不十分だ。異性愛とは異なるものとして同性愛が、異性愛「者」とは異なる人間の種類として同性愛「者」が差別されてきたという歴史の先端に、私たちは生きているのである。

 二つめは、たとえ差別を目的とした不当な分類だとしても、同性愛「者」としてカテゴライズされた人たちはそのカテゴリーを逆手に取り、あえてそのカテゴリーを受け入れアイデンティティーにすることで、「差別されている」という共通点を軸にサブカルチャーや社会運動を生み出してきたからである。また、そのプロセスで他の被差別カテゴリーの人々とも関わり、連帯をしてきた。そうして形成されたコミュニティに生きる当事者にとって「性的指向」は単なる性的欲望の分類ではなく、ライフスタイルや価値観などを含む大きな概念である。

 三つめは、同性愛という「性的指向」の概念こそ未だに私たちの人間の性についての解釈の基盤になってはいるが、それを踏まえた上でどう判断するかの価値観が変わってきているからである。つまり、生まれながらの根本的な性質だから差別してよいのだという時代から、生まれながらの根本的な性質だから差別してはいけないという時代に変わってきたのだ。個人の重要な特性/属性としての「性的指向」概念に苦しめられてきた私たちだが、今後はむしろそれを利用し続けることが差別の解消につながり得るのだ。

 太陽が実際に動いているのは事実である。だが、太陽系ごと動いているだけなので、地球上で影が動く理由を問う設問とは無関係だ。それと同じように、「性的指向と性的嗜好は違う」という主張も、歴史を見れば事実である。しかしそれは、人間がどう欲望を持つかという身体/精神の仕組みとは無関係だ。

 私も LGBT という言葉を使うが、それは同性愛者やトランスジェンダー当事者の被差別の歴史を認識/尊重するためであって、本来的な意味で他の性的嗜好やアイデンティティのあり方と決定的に何かが違うからではない。

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マサキチトセ

評論家(クィア理論・フェミニズム・社会運動論)。LG(B)T。関心は貧困、セックスワーク、刑務所制度、LGBT運動。YouTubeでマイノリティフレンドリーな『クィア英会話』っていうチャンネルやってます。

ブログ:包帯のような嘘

YouTube:クィア英会話《マサキ》-Masaki

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