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反性差別と「性別二元論」批判を切り離したフェミニズムの失敗を繰り返してはいけない【道徳的保守と性の政治の20年】

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Photo by Hindrik Sijens from Flickr

 

「男女共同参画社会基本法」が制定した1999年前後から巻き起こったフェミニズムへのバックラッシュ。このバックラッシュ派は、現在アンチLGBT運動を行っている団体とかなりの部分で重なることが確認されています。

85日に行われた公開研究会『道徳的保守と性の政治の20年—LGBTブームからバックラッシュを再考する』で発表した東京大学の飯野由里子さんは、当時フェミニズムがバックラッシュ派に「性差を否定するものではない」と対抗したことで、「性別には男と女しかいない」というジェンダーの二元論的な考え方を再生産し、性的マイノリティに対するフォビアを強化してしまったのではないか、と指摘します。

LGBTブーム」と言われる昨今、わたしたちは当時の反省をどう活かすことができるのか。飯野さんの発表を紹介します。

道徳的保守と性の政治の20年—LGBTブームからバックラッシュを再考する

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反性差別と「性別二元論」批判を切り離したフェミニズムの失敗を繰り返してはいけない
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フェミニズムが批判への応答で見落としたもの

 こんにちは。飯野由里子です。やや前向きなメッセージが発せられた遠藤さんの発表と違い、私のお話は「いったんバックラッシュが始まると、お互いから学び合うこと自体が難しくなる」という内容になります。

 私が男女共同参画社会基本法のことを知ったのは、アメリカの大学を卒業し日本に帰国した19995月のことです。その時初めて基本法を読んで「これは問題があるのではないか」と感じました。

 例えば前文の「男女が性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができるのが男女共同参画社会である」は“能力主義的”だと感じましたし、第六条「男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、相互の協力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介護その他の家庭生活における活動について家族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を行うことができるようにすることを旨として、行われなければならない」も“家族主義的”なところがあります。きっとこうした論点は、今後フェミニズムや女性学の中で議論されていくのだろうと思っていたのですが、その直後にバックラッシュが始まってしまいます。

 バックラッシュ派による自治体の条例、ジェンダーフリー教育、性教育などを攻撃する言説がマスメディアで取り上げられるようになったのは、2002年くらいだったと思います。そうした中、日本女性学会から『Q&A男女共同参画をめぐる現在の論点』という文書が出されます。ところがこの内容にも私は疑問を覚えました。

 Q&Aは、バックラッシュ側から出ている典型的な批判に対して女性学会、あるいはフェミニズム側から回答を行うという形で構成されています。いくつか例をあげてみましょう。

批判1:「ジェンダー・フリーは、男らしさ/女らしさを全否定するものだ。」
回答1:「ジェンダー・フリーは、男はこうあるべき(たとえば、強さ、仕事・・・)・女はこうあるべき(たとえば、細やかな気配り、家事・育児・・・)と決めつける規範を押しつけないことと、社会の意思決定、経済力などさまざまな面にあった男女間のアンバランスな力関係・格差をなくすことを意味しています。ですから一人ひとりがそれぞれの性別とその持ち味を大切にして生きていくことを否定するものではありません。「女らしく、男らしく」から「自分らしく」へ、そして、男性優位の社会から性別について中立・公正な社会へ、ということです」

批判2:「世の中は、男/女の違いがあってこそおもしろい。ジェンダー・フリー社会は、同じような人々しか存在しない平板で退屈な社会だ」
回答2:「男/女の違いばかりが人の違いではありません。ジェンダー・フリーの社会は、金子みすずが「みんな違ってみんないい」と言ったような、男性にも女性にもいろいろな人がいる、一人ひとりが多様に違う楽しい社会なのではないでしょうか」

といった形です。

 ここからもわかるように、「ジェンダーフリーやフェミニズムは、男らしさ/女らしさを否定するものだ」というバックラッシュ派の批判に対して、Q&Aは「そうではない」と応えています。「男性優位の社会から中立・公正な社会」「男女間のアンバランスな力関係・格差をなくす」といった文言から読み取れるように、Q&Aでは、特定の人たちに不利益を生じさせるようなジェンダーのあり方が問題だという点は強調されています。しかし、「性別には男と女しかない」とか「誰が男で誰が女なのかは自明である」という考え方−−二元論的なジェンダーの捉え方−−自体を問題視する視点はかなり弱められています。

 このQ&Aで出された見解は、その後のバックラッシュ対抗運動の中でたくさんの人に引用されることで正当性をもつようになります。その結果、「ジェンダーバイアスや性差別をなくしていくことこそが重要である」という視点ばかりが強調され、二元論的なジェンダーの捉え方自体を批判する視点が落とされていきます。しかし、この視点を落としたことが、後のバックラッシュ対抗言説に限界を設けることになった、と私は考えます。

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