社会

社会は頑張って異性愛者を育んでいる 同性愛は先天的か後天的かの議論を超えて

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同性愛の発生原因をめぐる議論 〜科学の立場から〜

同性愛がどのようにして発生するのか——私たち人間は宗教や科学の分野でそれを説明しようと躍起になってきました。ある時は精神疾患として、ある時は犯罪心理として、またある時は悪魔の化身として。そのいずれの説明においても、同性愛はなんらかの悪しきもの、除去されるべきもの、予防されるべきものと捉えられてきました。

今ではできる限りそうした偏見を持たずに解明しようと、心理学、生物学、社会学などからジェンダー研究、セクシュアリティ研究まで多岐にわたる研究が進んでいます。しかしいま科学的に分かっていることは「先天的な要因と後天的な要因のどちらもあると予想される」ということくらいで、何かコレという発生原因を突き止めてはいないのが現状です。

「あいつらとは違ううちら」の危うい境界線 〜社会構築主義の立場から〜

私たちには様々な属性があります。「レズビアン」や「バイセクシュアル」、「女」など性の属性の他にも、民族や国籍、障害、趣味、政治思想による属性もあります。このうち、先天的だ、変更不可能だ、変更は難しいと思われる属性に基づく差別については、それを非難する方向に世界が動いています。

しかし様々な研究や調査によって、属性は身体が持つのではなく社会との関わりの中で意味を持つことが指摘されています。これは社会構築主義と呼ばれる立場です。

例えば人種の議論では、「白人」概念の歴史的変遷の研究が行われています。100年前だったら白人とされなかった人がいま白人とされていたり、当時だったら黒人とされた人がいま白人とされていたりと、人種の境界が歴史的に変わってきている、つまり社会や文化のあり方に左右されているということがわかっています。障害の議論でも、「健常者」と「障害者」の境界がいかに社会の仕組みによって設定されているのかの議論が行われてきました。「男性」についても、「こういう人が男性だ」という通念は歴史的に変わっており、また医療においても人の性別を振り分ける基準は外性器なのか内性器なのか染色体なのかなどの議論があります。翻って日本においても、明治〜昭和のあいだに「日本人」の範囲が急激に広がったり狭まったりしました(そうした政府の都合によって翻弄され続けている人が今でもいます)。

これらの属性はたいてい優位な属性と劣位の属性に振り分けられています。それは「△△(劣位の属性)ではない〇〇(優位な属性)」——つまり「あいつらとは違ううちら」——という風に人が語り合ったり、法律などの公的な文書にしたり、新聞などのメディアを通して伝えたりすること(こうしたありとあらゆる言語活動の集合体を「言説」と呼びます)の繰り返しによって、境界線を明確にしたり引きなおしたりしながら優劣の上下関係を常に調整し、保っているのです。

前回の記事で紹介したように、私たちが性的指向という概念で人の性のあり方を説明し始めたのはたかが数百年前のことです。同性愛という概念が、「正しい性のあり方」を中心とする序列の劣位に置かれ、正しくない、悪いものとして生み出されたのです。いやむしろ逆かもしれません。正しくない、悪いものとして様々な概念を生み出すことで、最後に残った中心部分を「正しい性のあり方」としたとも言えるでしょう。その中心部分に、「同性愛ではないもの」としての「異性愛」概念が生まれました。異性愛と同性愛という概念は等しく歴史上の産物であり、ほぼ同時期に生まれた概念なのです。

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マサキチトセ

評論家(クィア理論・フェミニズム・社会運動論)。LG(B)T。関心は貧困、セックスワーク、刑務所制度、LGBT運動。YouTubeでマイノリティフレンドリーな『クィア英会話』っていうチャンネルやってます。

ブログ:包帯のような嘘

YouTube:クィア英会話《マサキ》-Masaki

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