連載

キモくて金のないおっさんの文学論~『二十日鼠と人間』と『ワーニャ伯父さん』

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全員、人生が詰んでいる『ワーニャ伯父さん』

 アントン・チェーホフの戯曲の特徴は、登場人物ほぼ全員の人生が詰んでいるということです。チェーホフの作品にはキモくて金のないおっさんがたくさん登場するのですが、おっさんどころか才能ある若者とか、大変な美女とか、「勝ち組」扱いされそうな連中もめちゃくちゃ不幸です。そこを突き放しつつ、哀愁をまじえてリアルに人生を描き出すのがチェーホフです。

 『ワーニャ伯父さん』(1899年初演)のタイトルロールであるワーニャは、『二十日鼠と人間』のジョージやレニーに比べればだいぶ恵まれています。一応健康で、明日の食べものにも困るほどの金欠ではありません。住まいも家族もあり、しっかり者の姪ソーニャがいろいろ助けてくれます。

 しかしながらワーニャはたいへん不幸です。ワーニャは亡き妹の夫セレブリャコフ教授の学識を尊敬し、妹の残した屋敷を管理して、その収益を都会で暮らす教授に送金していました。ところが47歳になったワーニャは、自分が独身で手もとにはたいした財産もないということに気づき、実はたいした才人というわけでもない教授に搾取されてきただけだと考えるようになります。ワーニャは教授の若妻で27歳の美女エレーナに言い寄ろうとしますが、うまくいきません。

 この作品の残酷さは、観客がワーニャをいくら可哀想と思っても、彼のキモさ、つまり感じの悪さや性格の欠点にも気付かざるを得ないようになっているところです。娘のソーニャを田舎にほったらかして自分は収入を吸い上げ、ろくに感謝もしない教授にいいようにされてきたワーニャは気の毒ですが、この作品に登場する他の人々に比べてとくに人格などが優れているわけではなく、どちらかというと気難しくてあまり人好きのしない男です。ワーニャが初めて会った時にエレーナに求婚していれば……と妄想して独白するところは、彼がいわゆるキモいおっさんであることを残酷なまでに明らかにしています。

あのとき彼女は十七で、ぼくは三十七だった。どうしてあのとき恋してプロポーズしなかったんだろう。やろうと思えばできたじゃないか。そうしていれば、あの人は今ではぼくの妻だ……。そう……。さだめし今ごろは、二人して嵐に目を覚ましていることだろう。彼女は雷鳴におびえている。ぼくは彼女を抱き寄せて、ささやきかける。「さあ、心配はおよし、ぼくがいるからね」。ああ、考えるだけでうっとりするなあ。思わず笑みまでこぼれてくるじゃないか……。(第2幕、pp. 47–48)

 ここでワーニャは「20年前に求婚しても断られたかもしれない」という、観客ならば当然思いつく可能性をまったく考えずに妄想に浸っています。ワーニャは教授に比べると学識はないし、森林保護活動家でやはりエレーナに恋している医師アーストロフのように情熱的な理想を持っているわけでもなく、知的な男が好みらしいエレーナの気を惹けそうなところはありません。以前『西の国のプレイボーイ』に関する記事で、自信が無さそうなわりになぜかヒロインと結婚できると信じ込んでいる男性キャラクター、ショーンに触れましたが、ワーニャもあまり自分に魅力が無いことは知っているのに、ついついエレーナと結婚できたかもとか思ってしまうのです。

 この戯曲のポイントは、ワーニャのキモさが平凡な人間であれば誰でも持ち合わせているような要素であり、観客に「ワーニャはキモいけど、つらい時は自分も含めて誰でもああいうキモいことを考えるよな」という自省に導く作用があるところです。ワーニャは『二十日鼠と人間』に登場する男たちに比べるとかなり文字通りキモいおっさんですが、それでも観客はワーニャが自分たちに近いと考えます。ワーニャは結局、財産のことで逆上して大騒ぎし、自殺を試みるが失敗するという結末を迎えます。この結末はワーニャ自身のあまり感じがいいとはいえない性格を示すものである一方、観客の親近感を誘うものでもあります。

 この作品のもうひとつのポイントとして、キモくて金のないおっさんは不幸だが、若いのにキモい女も実に不幸だ、ということが示唆されているという点があります。ワーニャの姪ソーニャは親切で感じも良く、普通の意味でキモい人ではありませんが、不美人で自分でもそれをよく理解しています。第3幕では美女エレーナの前で、不細工な自分に対して他人は皆気を遣うのだと告白までします。ソーニャはアーストロフに恋をしていますが、相手にされていません。そんなソーニャですが、自殺騒ぎを起こして死ぬことすらできなかったワーニャに対して「ひょっとすると、あたし、伯父さんよりずっと不幸かもしれない。でも、あたし、自棄なんかおこさないわ」(第4幕、p. 114)となだめます。ワーニャはまだ男として不幸を騒ぐことが許されているのですが、ソーニャは周りから女として家を守り、他人を助けることを期待されていて、その役割を覚悟して引き受けています。

 このソーニャの台詞は、人生のつらさ比べをしてもあまり意味はないのだ、という諦念をも示唆するものです。この作品では、ワーニャやソーニャはもちろん、美女のエレーナであろうと、色男のアーストロフであろうと、全員等しく人生がどん詰まりです。エレーナは不幸な結婚生活を続けますし、アーストロフは失恋して酒浸りです。美しかろうが不細工だろうが、若かろうが年だろうが、様々な理由で人生はつらいし、笑っちゃうくらい不幸だというのがチェーホフ劇なのです。

 『二十日鼠と人間』も『ワーニャ伯父さん』もキモくて金のないおっさんについての物語ですが、方向性はだいぶ違っています。『二十日鼠と人間』ではおっさん同士の女性を介さない連帯の可能性が語られますが、その夢は容赦なく社会につぶされます。『ワーニャ伯父さん』では全く解決が提示されていません。一方で弱者男性が女を敵視する『二十日鼠と人間』に対して、『ワーニャ伯父さん』ではキモいおっさんと同じくらいつらい女や色男も登場します。結末は表現のスタイルは違いますが、こうした名作が時代の壁を越えてキモくて金のないおっさんに声を与えてきたことは確かだと思います。皆さんも是非、いろいろな本をひもといて、過去の作家たちがいかにキモくて金のないおっさんたちのことを真剣に考えていたか、知って欲しいと思います。

参考文献

John Steinbeck, A Life in Letters, ed. Elaine Steinbeck and Robert Wallsten (The Viking Press, 1975).
John Steinbeck, Of Mice and Men (Penguin Books, 2002).
ジョン・スタインベック『二十日鼠と人間』大門一男訳(新潮文庫、1993)。
アントン・チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』浦雅春訳(光文社、2009)。

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北村紗衣

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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ハツカネズミと人間 (新潮文庫) ワーニャ伯父さん/三人姉妹 (光文社古典新訳文庫)