社会

痴漢冤罪を知らしめた映画『それでもボクはやってない』が伝えたかったことは

【この記事のキーワード】

 日本の行政、司法に対する問題提起のみを純粋に観る者に訴えるのであれば、別の罪名でやったほうがよかった……この映画が公開された当時、仲の良い傍聴マニアとそんな話をした。そう、私は本作で「最低の人たち」と鉄平の弁護人に毒づかれている傍聴マニアという人種であるが、本作での傍聴マニアの描写も、警察官や検察官、裁判官たちと同様に悪役然としていた。無罪を争う被告人に向かって「本当はやった?」と不躾に法廷で話しかける不届き者など見たことがない。一方的な決めつけに基づく悪意のある描写は、10年前に観たときと同様、今回改めて観てもやはり腹立たしさを覚えるが、こうした腹立たしさを、真面目にやっている警察官や検察官、裁判官らも抱いているのではないかと思うのである。

 本作では裁判の流れ自体はディテールが細かい。弁護側請求証拠を却下する裁判官のあっさりした様子、次回期日を決める際に法廷で交わされるやり取りなど挙げればきりがない。これまで見てきた法廷モノの映画やドラマとは比べ物にならないほどのリアリティだと感服する。長期化した公判の途中で裁判官が異動になる流れも、あるあるである。だが実際は痴漢裁判の多くでその被告人は罪を認め、初公判で結審してしまう。つまり「真っ向否認を貫く痴漢裁判」自体がそもそもレアなのだ。迷惑防止条例違反で多数の証人が出廷していれば、おそらく34回目ぐらいで傍聴マニアに広く知られる話題の裁判となる。映画のように、必死に支援者を集めずともマニアや記者らでおのずと傍聴席は満席となるだろう。痴漢の否認裁判というレアケースを題材にして行政・司法の問題をあぶりだしたが、そのレアケースが観る者に鮮烈な印象を与え、10年という時を経て、痴漢といえば冤罪という恐怖だけが残ってしまった。

1 2

高橋ユキ

傍聴人・フリーライター。2005年に傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。著作に「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。

twitter:@tk84yuki

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。

男が痴漢になる理由