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冤罪被害者村木厚子さんに学ぶ「過酷な取り調べに負けない方法」

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『記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉』(河出書房新社)

『記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉』(河出書房新社)

 1974年に「甲山事件」が発生した際、警察は、「生理中の女性は気が昂ぶっていて、発作的な犯行に及ぶかも知れない」(1)という考えから、関係者の女性全員の月経日を調べ、たまたま事件の日に月経が始まったSさんへの嫌疑を深めた。

 逮捕されたSさんは、過酷な取り調べに負け、身に覚えのない殺人を自白してしまう。

以下引用)連日12時間前後に及ぶ取調べに、いかに若いとはいえ○○(引用者注・Sさんのこと)の身心の疲労は極まろうとしていた。取調べ室で与えられる椅子は背もたれも肘掛けもないただの丸椅子で、この小さな椅子に3時間も4時間も坐り続けると、それ自体が拷問のような苦痛となってくる。(中略)そんな身心の疲労の蓄積が湿疹となって噴き上げているのであった。

しかし警察医は湿疹については簡単な診察をしただけで、それよりは思いがけないことを問い掛けてきた。

「あなたは過去に妊娠中絶をしたことがありますか」

(中略)警察はこの事件の動機を摑めないままに、男女関係のもつれが原因ではないかという見方を捨てきれずにいて、それに関連しての問診であった。(2

 動機など掴めるはずがない。Sさんは無実であり、それ以前に、甲山事件は「事件」ではなく「事故」だったのだから。それにしても、「生理」の次は「妊娠中絶」とは、Sさんが女性であるということで、警察がかなりの予断を持って捜査に当たっていたことがわかる。

 自白の直接のきっかけは、刑事の「お父さんも○○ちゃんを疑ってるんですねえ」という言葉だった。

「わたしは暗闇に突き落とされたような気持ちになりました。この世で自分を信じてくれてる者は誰もいないという気になって……もう、どうでもよくなったんです」(3

 実際には、父親はSさんのことを疑ってなどいなかった。

 Sさんは、過酷な取り調べ期間中も、薄着で留置場の寒さに震える外国人を気遣い、自分の上着を差し入れたいと看守に申し出るような人だった。

 取り調べを行う刑事にまで気を遣い、「懲役、禁錮はどう違うんですか、刑務所の食事はどんなんですか」(4)などと要らぬ質問をし、不審な印象を与えてしまった。結局、Sさんが無罪を勝ち取ることができたのは、事件発生から25年後の1999年のことである。

 もし、Sさんのように無実の罪で逮捕されてしまった場合、刑事や検事の過酷な取り調べに負けないためには、どうしたらよいのだろうか?

 2009年に「障害者郵便制度悪用事件」で逮捕されたものの、検察の取り調べに屈せず、無罪を勝ち取った元厚生労働省事務次官の村木厚子さんは、「私は泣かない、屈さない」(「文藝春秋」編集部『私は真犯人を知っている』所収)で、次のように語っている。

「検事の土俵にいる限り、私が勝つことなんてありえない。だとすると、やらなきゃいけないのは負けてしまわないことですよね。負けてしまわない、というのは、やってもいないことを『やった』と言わないこと。もうそれしか目標を作りませんでした」

「まず絶対に体調を崩さないこと。それから落ち込まないこと」

 これなら、なんとか真似できそうである。

 しかし――

「経済的な負担も大きいんです。保釈金を1500万円も払わなければならなかったのも痛かったし、弁護士さんへの費用や実費もかかります。我が家のこれまでの蓄えを放出し、定期預金もいくつも解約しました」

 これは、少なくとも私には無理である。間違って逮捕されないように気をつけるしかない。

 ところで私たちは今、村木さんを「無実の罪を着せられた人」として見ているが、逮捕当時はどうだっただろう。今この瞬間も、無実の誰かを犯罪者と信じ、白眼視しているかもしれない。

1)~(4)松下竜一『記憶の闇 甲山事件1974→1984』河出書房新社

田中ひかる

1970年東京生まれ。著書に『月経と犯罪――女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『生理用品の社会史――タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)など。

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記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉