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“物証なし”の和歌山カレー事件。林眞須美死刑囚は、このまま拘置所で一生を終えるのか?

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 前々回取り上げた「甲山事件」では、事件当時生理であったことを理由に疑われたSさんが、警察の過酷な取調べに対しやってもいない罪を自白し殺人犯にされてしまった。前回の「障害者郵便制度悪用事件」で逮捕された村木厚子さんは、取調べに屈することなく、無実を勝ちとることができた。今回は、一度も自白しないまま死刑判決を受け、今も無実を訴え続けている「和歌山カレー事件」の林眞須美被告に注目したい。

 今から約20年前、19987月に発生した「和歌山カレー事件」。夏祭りで作られたカレーにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった。

 事件からほどなく、現場近くに暮らす林健治、眞須美夫妻が「疑惑の夫婦」として注目を集めた。なぜなら、夫妻は保険金によって得た豪邸で贅沢な生活を送っており、町内で浮いた存在であったばかりでなく、健治氏がヒ素を扱うシロアリ駆除業を営んでいたからである。

 同年10月、夫妻は保険金詐欺などの容疑で逮捕され、健治氏は20056月まで服役した。眞須美被告はカレー事件の容疑でも逮捕され、今は死刑囚として大阪拘置所にいる。逮捕直後の過酷な取調べにも一度も自白せず、その後も一貫して容疑を否認している。そのため、逮捕から7年間も接見禁止にされた。

 当初から「動機なし」「物証なし」と言われたカレー事件では、状況証拠の積み重ねと「スプリング8」という大型放射光施設によるヒ素の鑑定結果が、有罪の根拠とされた。しかし時が経つにつれ、いずれも根拠足りえないということが露見してきた。

 例えば、警察は事件当日の関係者の行動を詳細に調べた結果、カレー鍋にヒ素を混入する機会があったのは眞須美被告だけであったと結論づけたのだが、その有力な根拠とされた目撃証言が途中で変遷している。

 調理されたカレー鍋は、ある家のガレージに置かれ、祭りが始まるまで町内の主婦たちが交代で見張りをしていた。その向かいの家の住人が、眞須美被告がガレージの中をうろうろしながらカレー鍋のふたを開けて覗き込んでいたと証言した。ところが、当初は「自宅1階のリビング」とされていた目撃場所が、途中で「自宅2階の寝室」に変わっている。勘違いだったと言われればそれまでだが、殺人事件の有力証言にしては心許ない。

 さらにこの目撃者は、そのとき眞須美被告は白いTシャツを着ていたと証言している。しかし、他の主婦たちは黒っぽい服装をしていたと述べ、当の眞須美被告も黒いTシャツを着ていたと述べている。

 その日、白いTシャツを着ていたのは眞須美被告の次女だった。次女は眞須美被告と背格好がよく似ているため、目撃者が見間違えた可能性もある。いずれにしても「覗いていた」とされるカレー鍋は、2つあった鍋のうち、ヒ素が混入されなかった方の鍋だった。

 検察は、眞須美被告が自宅にあった「プラスティック容器入りのヒ素」を「紙コップ」に移し、それを「カレー鍋」に混入したとし、「プラスティック容器入りのヒ素」と「紙コップに付着したヒ素」の鑑定を依頼。「スプリング8」による鑑定の結果は、2つのヒ素は同一というもので、検察の筋書きを裏付けた。しかしその後、京都大学の河合潤教授が行った鑑定では、同一でないという結果が示されている(河合潤「鑑定不正の見抜き方」『季刊刑事弁護』92号)。

 これらの新証拠をもとに弁護側は再審請求を行ったが、今年3月、和歌山地裁に棄却されたため、即時抗告した。

 眞須美被告が「無実」かどうかはわからない。究極的には本人にしかわからないことだ。いずれにしても有罪と断じるには現時点では無理がある。ある日突然真犯人が現れるかもしれない状況では、法務大臣も死刑を執行できまい。眞須美被告はこのまま拘置所で一生を終えるのだろうか。

 カレー事件で亡くなった方々のご遺族の悲しみ、被害に遭った方々の苦しみは今も続く。眞須美被告の冤罪の可能性を指摘することは、この方々と対立することになるのだろうか。否。亡くなった方々、ご遺族、被害に遭われた方々のためにも、捜査や裁判が杜撰であってはならない。

田中ひかる

1970年東京生まれ。著書に『月経と犯罪――女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『生理用品の社会史――タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)など。

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