「アジア系」で十把一絡げ
ここまで「アジア系」という言葉を繰り返してきたが、実のところアメリカにおける「アジア系俳優」「アジア系ドラマ」の括りには問題がある。前回の記事「私が『エイジアン・ビッチ!』と呼ばれた理由~増えるアジア系への差別 in アメリカ」にも書いたように、アメリカでの「アジア」の定義は広すぎるのだ。
米国国勢調査での「アジア」は、東アジア、東南アジア、南アジアを含む。さらにネイティヴ・ハワイアン、サモア、トンガ、ミクロネシアなどの太平洋諸島系と合わせ、AAPI(エイジアン・アメリカン&パシフィック・アイランダー)とすることも多い。
だが、『フアン家のアメリカ開拓記』『マスター・オブ・ゼロ』の2本をみるだけでも明白だが、台湾系とインド系のドラマを同じカテゴリーに押し込めるのは、そもそも無理に思える。それぞれ言語、宗教、食文化、音楽など固有の文化があり、その文化に基づいた物語なのだ。
なにより人種が異なる。『オール・アメリカン・ガール』では中国系の俳優が韓国系一家のほぼ全員を演じたことで無理が生じたのではないかと書いたが、本来、東アジア系同士であれば俳優の互換性はある。しかし、外観が異なる人種を演じることはできない。『フアン家のアメリカ開拓記』の中国系俳優が『マスター・オブ・ゼロ』でインド系を演じ、「私はテロリストじゃないですよ」というキツいジョークを発することは不可能だし、その逆も然りだ。
アメリカにおけるアジア系全体の人口が少ないからこそ、「細分化すると面倒だ、AAPIでまとめておけばいいじゃないか」と扱われる。今、アメリカではアジア系の人口が急な勢いで増えている最中とはいえ、全米人口の5%だ。いきなり10%、20%となるわけではない。人口が少なくともポジティブなプレゼンス(存在感)を高め、十把一絡げにされないためにアメリカのアジア系がなすべきことはなんだろう? アジア系アメリカ人のテレビドラマ界における模索は今後も続くのである。
(堂本かおる)
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