私は本作を読むと、人と自分の傷つきに向き合うことの必要性を感じます。自分が傷ついたことにすら気づけなかったり、傷つき方がわからずに笑ってしまったり、あさっての方向に空回ってしまったり……そんな人は意外と少なくありません。そうするとその傷つきは可視化されません。自分がよく知らずになんとなく軽蔑していたような人たちも本当はこのようなバックグラウンドを抱えて傷ついた人なのかもしれません。
また、自分や人の傷つきに本当は気づいていたとしても、それ以上に傷ついたり傷つけたりすることを怖がって動けなくなったり、傷を見ないふりをすることも多いでしょう。この作品では“かずやくん”はサチと自分の傷つきに気づいていながら目をそらしつづけます。一方で彼女の傷つきに気づいたり、寄り添ってくれたりする友人がほかにいたことが、彼女にとって幸いだったと感じます。
傷つくとわかっていても
もちろんこれを読んでいる方のなかにも、気づかないまま蓋をした傷つきがあるかもしれません。一度負った痛みや引きずった過去は、たとえ見ないふりをしても消えることはありません。その人のなかに正体不明のまま留まり、忘れられないようにたびたび顔を出します。
その痛みに向き合うことは、とても怖いことです。しかしサチは後半いいます。「私は知ってる、傷ついても死なない」ーー過去を引きずりながらもずっと怖がっていたサチやかずやくんが、もがきながら自分の痛みに向き合えるようになり、人とも向き合って「だいじょうぶ」にしていくのです。必要なのは傷つかないことや傷つけないことでなく、傷つくとわかっていて踏み出す覚悟と、傷ついたことを受け入れてその上で生きていくことなのだと思います。
不器用で怖がりである意味「バカ」で褒められたものではとてもない、でも憎めないそんなキャラクターたちが進んでいく姿を見ると、自分や人の傷つきに向き合う心の準備の一歩になるかもしれません。