私たちが生きる現実は、とてつもなく厄介です。解決しない問題なんていくらでもあるし、人間だって善と悪、敵と味方なんかでは簡単にわけられない。漫画家・鳥飼茜さんは、そんな厄介な現実を安易にデフォルメすることなく、鮮やかに、そして細やかに描く貴重な作家です。男女の性の不平等を描いた代表作『先生の白い嘘』(講談社)や、女子のためのデトックス漫画『地獄のガールフレンド』(祥伝社)、そして『週刊SPA!』にて連載中の『ロマンス暴風域』(扶桑社)など数々の作品を世に送り出し、男と女の間に横たわる問題を読者の眼前に広げました。
“わかりやすさ”や“スカッとする結末”が求められがちなこの社会。そこで私たちはいかに生きるべきなのか、お話を伺いました。
「記号化されたキャラクター」ではなく「その辺にいる人たち」を描きたい
——『先生の白い嘘』の新妻くんや、『地獄のガールフレンド』の石原くんのように、鳥飼さんの作品には“男らしくない男の子”が登場しますよね。最近、ドラマや漫画などでそういう男の子が描かれることが多いなって思うんですけど、だいたい記号的というか、いかにもな「オネエ系」や「ジェンダーレス男子」になっちゃう。でも新妻くんや石原くんはそういうパターンには嵌まらない、現実にその辺にいる人たちですよね。
鳥飼 彼らはその辺にいると思います。石原君とかは当時付き合ってた彼氏の色んな部分を抽出して描いたんですよ。一見あたりは柔らかくて男の子っぽくない、“彼氏”というより“彼女”みたいなんだけど、物の見方はものすごく男尊女卑だったりとか、フェミニストみたいな顔をして封建的なことを言い出すとか、「なんかお前はバランスが悪いな!」と言いたくなるような人って結構いるんですよね。新妻君にしても、途中で女の子を買ったりとかしてますし、先生の部屋に上がっていって「守りたい」とか……それが怖いんだよ!って。
——完全に善い人も、完全に悪い人もいない。「この人はこういうキャラ」でわかりやすく片付けられないなって感じました。
鳥飼 過去作の『おはようおかえり』(講談社)は、出てくる人物も極端に漫画の記号化をされた性格っていう感じでしたね。ああいう描き方って、本来は嫌いなんです。主人公の一保くんは「優柔不断でマメな男の子」、彼の姉二人にしても、「美人だけど部屋が片付けられなくてあたりがきつい」、「雰囲気は柔らかいけど実は芯が強い」とか。読む側がどこかで見たことあるような人間の設定みたいなのは嫌ですね。
でも当時はそうでもしないと連載がとれなかった。そのときの担当編集が“ザ・少年漫画”っていう感じの人だったから「とにかくわかりやすい漫画を描きましょう」って。「優柔不断で料理とかできるタイプの男の子が美人にいじめられてて〜みたいなのを描いてください。そういうのがみんな読みたいと思います」って言われて、その通りにやったら連載はとれたんですけど、もう2巻くらいで私が嫌になっちゃったんです。「こんな典型的な漫画みたいな人間を描いていられるか」みたいな気持ちになってきて。
——だけど『おはようおかえり』も、最後には漫画のお約束を裏切りましたよね。一保くんもこれまで散々彼女とのあれこれで話を盛り上げてきたのに、最終回ではしれっと別の女の子と付き合っているという。
鳥飼 途中から変わったんですよ。私の中にも「どうにかしてこの人間たちを好きにならなくちゃいけない」っていう気持ちがあったし、昔アシスタントをしていた古谷実さんからも「思い切りやりなよ」というアドバイスもいただいて。そうしたら最後の方はめちゃくちゃな話になったんですね。漫画の典型的な人間像からは離れた感じで、私はあれで『おはようおかえり』が好きな漫画になりました。
——解像度がぐんと上がって、「あ、これはただのキャラではない、生活している人だ」と感じられるようになりました。「ストーリーのオチ」じゃなくて「一保くんの選択」なんだ、と思えて、すごくいい最後だったなと。
鳥飼 あの結末が嫌だったという人もすごく多かったので、そう言ってもらえると嬉しいですね。最初は典型的なキャラクターだったけど、後からその下の階層、そのまた下の階層、もっと下の階層……というふうに人格を付けていけるんだ、そうすれば自分も彼らを好きになれるんだって分かったんです。それはすごくよかった。
男性性=悪ではない。でも男性性のどこかの部分が、女性を傷つけることを忘れないで
——その階層が深すぎて、読み込むのがしんどいと感じてしまうこと、あるいは読者によって読み込まれないこともありそうですね。連載中の『ロマンス暴風域』には、風俗嬢の芹香ちゃんと、彼女に盲目的に恋する恋愛弱者・サトミンが出てきます。純朴そうに見える芹香ちゃんが実は小悪魔的にサトミンを翻弄している……色々な細部からそれは匂ってきて、女性ならすぐに気がつくところだけど、男性はいつまでも気づかない。しかもそれは読者も同じかもしれないという。
鳥飼 描いているときも、男性読者と女性読者で気づくタイミングがズレるようにしようとは思いましたね。
——これは男性に失礼なのかもしれませんが、男性の見ている世界ってもしかして解像度がかなり低いのでは?と感じてしまいました。
鳥飼 たしかに男の社会は解像度を低くしないと生きづらい。男性側もおそらく直感的にそれを察していて、物事をわざとラフに読み込んでいる感じがします。でもだからこそ色々な意味で寛容なんですよね。ちょっと腹立つことを言われても、すぐに気持ちを切り替えてなかったことにしてくれたりするから。
——私も男女の問題を考えていると、つい「男性性=暴力的で悪いもの、闘わなければならないもの」と思ってしまいがちなのですが、それだけでもないということですね。
鳥飼 そうですね。きっと男性性自体は決して悪いものではなくて、それこそ寛容さとか成し遂げる力とか、いいところもある。それは純粋にすごいと思うし、尊敬しています。だけど「男性性のどこかの部分が女の人を傷つける」っていうことには目を向けてほしい。読んだ人に少しでもそういうことを考えてもらえたら、描いている私も気が晴れるというか。
——逆に女性性が男の人を傷つけることもありますよね。個人的に男性から聞いて印象的だったのが「何でも許してくれる優しい彼女だったのに、別れ際になった途端『今まであなたのこういうところが嫌だったけどずっと我慢してた』と爆発して牙を剥いてきた。今までずっと騙されていたんだと思うと女性がすごく怖い」っていう話で……。
鳥飼 それが女性性なのかはわからないですけど、溜め込む人は多いですね。自分もそうなのでめちゃくちゃ共感します。でも私の場合、最後まで言えないんです。表現の場では活発に物申してるっていうイメージかもしれないですけど……。ギリギリになって言った人は偉いと思う。私は結局何が嫌だったのかって相手に伝えないで別れることが多いし。
——作風を見ると実生活でもズバッと言っていそうな印象を受けるので意外です。
鳥飼 言わない。だって怖いもん。私、思ったことを男の人にぺらぺら言ってた時期に、何回か手を出されてることがあるんです。本質的なことを言われて、口で返しようがなくなったときの男性の対応って、めちゃくちゃ怖いんですよ。そういうことを経験してしまっていると、余計言えないですね。
——それこそすごくバランスが悪いし、怖いですよね。「言ったらそうなるんじゃん」って思ってしまう。
鳥飼 男の人って体も大きいし、何を考えてるのか底知れないところがあるじゃないですか。暴力は振るわれないにしたって、不機嫌になられるのも怖い。
——不機嫌さを露わにする相手に怒るのではなくて、「この状況は自分のせいなんじゃ」と自分を責めてしまう女性も多そうだなと。
鳥飼 それはありますね、虐待を受けた子どもがどんなふうに育っていくかっていう統計を目にしたことがあるんですが、男の子の場合は他罰的になるのに対して、女の子は自罰的なりやすいらしいです。個人差は考慮しても、そういう違いはあると思いますね。私も夫と暮らしていたとき、不機嫌になられると「私が悪かったのかな、あれがダメだったのかな」って邪推が止まらなかった。育児ノイローゼだったのもあるけど、「もう殺されるんじゃないか、だったら先にやるしかない」みたいな感じで、家の中でポケットにカッターナイフを入れて過ごしていたくらい。「もしかしたら私殺しちゃうかもしれない」と思うのも怖かったですね。
——逆に「この核心をついたらこの人は折れて死んじゃうじゃないか」っていう人もいますよね。だから女の側は相手を傷つけたり逆上させたりしないように、黙っているしかない。
鳥飼 男の人って、そういう本質的なことをやりとりするっていうのが苦手なんだろうな。やっぱり社会的なものを期待されて生きているから、対社会ではすごく力を発揮するけど。一対一で他人と向き合ったり、個人としての自分と向き合ったりすることは、あんまり期待されてきていない。だからそういうことは女の方が考えてるのかな、とは思いますけどね。
「レイプ魔はマッチョに掘られればいい」では何も解決しない
——『先生の白い嘘』に出てくるレイプ魔の早藤くんは、最後の方では自分の罪と向き合おうとしますよね。だけど自分の罪を浄化することに必死で、それによって他人を傷つけてることに気づけない。目の前に陣痛で苦しんでいる妻がいて、本当ならタクシーを呼んであげなきゃいけないところを、自分の罪を告白するために110番してしまう。
鳥飼 あれは最低ですよね。美奈子が最後に早藤くんを見捨てなかったことも、やっぱり人によっては嘘だろって思うでしょうし、「なんであいつは許されてるんだよ」と憤る人もいるでしょう。でも他人から許されたからといって、自分のしたことがなくなるわけではないんです。だから美奈子が彼を許したことは、彼の救いにはならない。それは本人が一番分かってるはずだっていう期待が私自身の中にもあったんですよね。
——美奈子と早藤くんの結末は最初からこうしようと決めていましたか?
鳥飼 早藤くんを殺しちゃうとか、肉体的に殺さないにしても社会的に殺しちゃうとか、いろんな完結の予想図があったんですよ。でも早藤くんを殺しちゃったら元も子もない。何もなかったことになっちゃう。ただ連載の途中で、周りの人たちから「早藤くんをどうしてやったらスッキリしますかね」みたいな話をしょっちゅうされたんですよね。「刑務所に入れられて、自分よりマッチョな男にケツを掘られればいい」とか。でもそれって何の解決にもならないじゃないですか。男の力で性を暴力的に制圧するっていうことで解決しちゃったら、同じことを繰り返してるだけの話になっちゃうから。
——悪人を裁いてスッキリしたいと思う人も多いんでしょうか。今まさに『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ系)という番組がゴールデンで放送されているくらいですし。
鳥飼 あ〜、あれやだ! 「こんなに腹の立つ人がいたんですよ、でもこの一言で刺して黙らせてやった」みたいなエピソードをドラマにしたやつですよね。“倍返し”をずっとやってるんだなって感じだけど。みなさんよほどストレスが溜まっていらっしゃる……だから、そういう横の人に対する怒りが抑えられないんだろうね。
——しかも嫌な人をとことん嫌に描き、正義をとことん正義にするという二極化で解決しようとする。
鳥飼 いまスマホとか見てると、漫画の広告で変なバナーが出てくるじゃないですか。一番えげつないところを切り取ったやつ。たとえば早藤の胸糞悪い場面をバナーで見た人が、「これをどうスカっとさせてくれるのかな」って感じで作品を読んだとしたら、きっと「なんだよこの終わり方」みたいな感想を抱くんだろうと思います。だけどそれは私の知ったことじゃないですよ。善悪の乱暴な二極化とか、「スカっとさせてくれ」とか「嫌だったやつを成敗してくれ」みたいな成敗欲とかは、私は全然よしとしていません。今後もそういう解決は絶対にしませんから、グロいバナーに釣られて足を踏み入れた人は注意してください(笑)。
(聞き手・構成/餅井アンナ)