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LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ〜司法とメディアの移り変わり〜【SHIPにじいろキャビン10周年記念シンポジウム】

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Photo by Jaime Pérez from Flickr

今年918日、「セクシュアルマイノリティが自分らしく心身共に健康に暮らせる社会」、「多様性が尊重される社会の実現」を目指して活動を行っている、特定非営利活動法人SHIPのコミュニティスペース「SHIPにじいろキャビン」開設10周年を記念したシンポジウムが開かれた。

シンポジウムでははじめに、中京大学の風間孝氏、性文化史研究家の三橋順子氏が「府中青年の家裁判を振り返る」「メディアにおけるLGBTの扱いを振り返る」というテーマで発表を行った。

「性的指向」が初めて判決文に刻まれた府中青年の家事件を振り返る【SHIPにじいろキャビン10周年記念シンポジウム】
先行するトランスウーマン。メディアにおけるLGBTの扱い方を振り返る【SHIP10周年記念シンポジウム】

その後、風間・三橋両氏に、タレントで文筆家の牧村朝子さん、府中青年の家裁判を担当した弁護士の中川重徳さんが加わり、ディスカッションが行われた。本記事では、このディスカッションの様子をレポートする。

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司会者から風間・三橋両氏の発表の感想を求められた中川重徳弁護士は「OCCUR(アカー・動くゲイとレズビアンの会)は、自分たちの状況を社会に伝えていこうと考えて、裁判を起こした。当時も今も、本質的なところで生きづらさや困難は変わっていない。一橋大学のアウティング事件など、様々な問題が裁判になったり、裁判になりつつある。この生きづらい社会を変えるためにも、ぜひ法律家を、裁判という制度を使ってほしい」と語る。

またタレントで文筆家の牧村朝子さんは『性的指向』という言葉が府中青年の事件を発端に日本に普及したことが知られていないことを指摘した上で、「声なき者の声は語り継がないと残されない。みんなで語り継いでいきましょう」と呼びかけた。

本シンポジウムの参加者は、性的マイノリティを取り巻く様々な問題に対して関心の高い人びとが多いだろう。それであってもディスカッションの中で取り上げられた事件を知っているという参加者は決して多くなかった。

例えば三橋さんが言及し、牧村さんが詳細を紹介した1911年の糸魚川入水心中事件。これは学校卒業後、親から、別れること、男性との縁談と強制された女性同士のカップルが新潟まで逃れ、糸魚川に飛び込み心中したという事件だ。この事件について調べた牧村さんは「国会図書館で調べた限り、「おそるべき同性愛」と報じた記事しかなかった」と語る。記録が残されていないせいだろうか、この事件を知る参加者は数える程度しかいなかった。

また、比較的最近の事件だからだろうか、参加者の半数程度が知っていた、2000年に起きた、夢の島公園でゲイ男性が殺された新木場事件。この事件で、被害者の本名が報じられた結果、母親は家を売り払い、老人ホームに入所することになる。当時、事件に関するホームページを立ち上げたSHIPの理事長を務める星野慎二氏は、府中青年の家事件と同じように「ホームページを作るやつが悪い」「ハッテン場に行くやつが悪い」と性的マイノリティがバッシングされていたと当時を振り返る。さらに星野氏は続ける。

星野「府中青年の家事件の時、私はクローゼットだった。本音を言うと、風間さんが紹介していた人びとのように、私も当時はOCCURの裁判に反対していた。ニュースになれば、職場で火の粉が振ってくるのではないかと思っていた」

星野氏の発言を受け、風間氏は言う。「降りかかる火の粉は払いたいものだと思う。でも問題は、カミングアウトする側にあるのか、揶揄している側にあるのか。その境目をどう考えれば良いのか、いま話し合いたい」。

風間氏は講演で「(同性愛者の団体であると)自己紹介しなければ府中青年の家を利用できたのかもしれない。しかしその自由はカミングアウトした途端に奪われる「自由」。許容された枠の中で生きることから、その枠自体を問う裁判でもあった」と語っていた。ゲイコミュティの中で起きたOCCURに対する批判的な反応は、そもそもマジョリティが、マイノリティに対して自由を制限する「枠」を作っていたからこそ起きたものだ。当時、OCCURをバッシングしていたマイノリティがどういった環境に置かれていたのかを考えることなく安易に批判できるようなものではない。

新木場事件の刑事裁判を傍聴したという中川氏は「裁判では、加害者の動機ができるだけ伏せられていた。被害者のセクシュアリティを人目に触れないようにする配慮だったのだと思う。だが、加害者は調書で、『ホモ』の人たちは何をやっても警察にいかないから『ホモ狩り』をした、とはっきり述べていた。社会に差別意識があることは、刑事裁判であっても光が当たらない。制度も法律もなければ、当時のジャーナリズムも人権という視点を持っていなかった。当時、星野さんのホームページや、OCCURが裁判を傍聴し記録しようと呼びかけたことは、日本にある差別意識を可視化する第一歩だったのだと思う」と語る。

はじめに牧村さんが話したように、マイノリティの問題は、語り、記録しなければ忘れ去られてしまう。今、こうして事件が語り継がれようとしているのも、当時、声を上げた人びとが存在したおかげだ。だが声を上げることは決して並大抵のことではない。風間氏は「たまたま裁判に勝てたのでよかったけれど、負けていたらどのくらいバッシングがあったのだろうと考えると怖くなる。負けて判例が残ったら未来永劫不利益が続くんだぞ、とも言われた」とも語っていた。

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